(3-44)
◆
魔王使徒、底面開眼部が、開き切ろうとしていた。
「斬れ、打て、斬れぇ!」
「ちくしょう、どうなってやがんだアレは!!」
「御託はいいから斬り込んでけぇ!」
前衛エリアに集まった聖騎士隊たちが高く飛び上がっては攻撃を突き刺してゆく。
だが〝目玉〟はまるで水面のように剣や槍をすり抜けて、傷ひとつつくことはない。アルフュレイウスやアレンティアの攻撃も同様だ。
「上位特効が……効かないぞ! さっきは効いてたのに!」
「『剣鱗』と『薔薇の剣』でもダメなのか!」
埒が明かないと悟った面々が別の部位に攻撃を送るが、それでも開いてゆくまぶたを止めることはできない。
「開き切るぞ!」
『敵術式、発動臨界です。攻撃隊は下がって戦闘再開態勢に移行してください! 急いで!』
ギリギリまで粘っていた前衛陣が必死の速度で再展開してゆく。
目が、開き切る。
一瞬の空間のブレを残し、瞬時に。また、きれいさっぱり無傷になった魔王使徒の球面が現れていた。
「くそったれ! もう少しだったのに!」
突き刺さっていたアンカー・パイルが落ちてゆく。
『やっぱり「魂の束縛」も消えたか――くそがっ、すぐにもう一発いくぞ!!』
「総員、攻撃準備!」
「アンカー・パイル、打ち上げぇ! 残りの巻き取り作業、急げぇ!!」
即座に数本のアンカー・パイルが打ち込まれてゆく。無理を悟った作業班が事前に巻き戻しを開始していたために、これは先よりも早かった。
同時、黒い鎖が魔王使徒の脳天に現れる。
『本陣、攻撃術式チャージ、残り四十秒!』
「攻撃開始ッ! 仕切り直しだ!」
再び、様々な色の攻撃が飛び交い始める。その中で、魔王使徒の攻撃が確実に聖騎士団の戦力を撃ち落してゆく。
回復阻止の失敗。そして蓄積したすべてのダメージがリセットされるという事実は、軽くはない疲労となって彼らの肩にのしかかっていた。
◆
術士本陣の極大攻撃が爆裂する。
圧倒的な光と熱量が戦闘地域を揺るがしてゆく中、目を覆った軍人たちが机を叩いている。
「一撃目より効果が薄いぞ、くそったれぇ!」
「向こうも学習している。加えて結界による圧縮に対して最適化が進んでいるのだ!」
すぐに向き直り、作戦のさらなる修正が議論され始める。
「全体の疲労度が思いのほか高い! 有効策を打たねばならんぞ……!」
「無理もない。元より戦闘慣れしていない者も多い上に想定外の事態続きですからね」
「もっとも、想定外があるということ自体が想定のうちなのだがな……しかしそれにしても。ダメージのリセット。凶悪なモンスターの散布による部隊展開と攻撃の阻害。いやな手ばかり打ってくるではないか」
などなどというやり取りを聞きながら。
学院長は『オーロラ・フェザー』を顕現させ、今しがた入手した敵回復術式の精査に挑んでいた。
しかし高い『オーロラ・フェザー』の知覚を以ってしても目ぼしい回答は得られていなかった。やはり記述が飛び飛びなのだ。連続性がない。だが、いくら魔王使徒の術が人間のそれとかけ離れているからと言ってもあり得ないことだ。
アレンティア・フラウ・グランフィリアの報告も気になっていた。ズレていると。よく分からないが。
とにかく――
おそらく、多世界詠唱。
それに理論値の加速をつけ加えて欺瞞しているか。
しかし、それを行なうならこちらの観測にも見えていなければならない条件がいくつも足りていない。推論によりヴェールを一枚剥ぐとまた別の違反にぶつかる理不尽。
まだ、圧倒的にデータが足りない。
それを紐解くには、魔王使徒のことを知る必要がある。
「落としてしまったという特殊素材の回収はまだかしら?」
「現在、当該と思われる素材回収班の聴取による地域を捜索中。ですが、先の混乱の中でもっと別の場所に移動している可能性が高いです。全回線で荷物の特徴も知らせていますが……!」
オペレーターが首を振る。
「あるいは、すでに敵に回収されたか、か!」
「ええい、せめて荷だけでも届けてくれていれば」
「無理もありませんわ? 取得時に正体が分からず、精査する前に苛烈な襲撃を受けてしまえば。全体が攻撃を受けていてはせめて作戦の要である自分たちだけでも帰らねばと必死だったのでしょう。本回収任務への適正の希少さを言い含めておいたからには、なおさら」
その時、投影されていた学院全図の立体映像全域に波紋が走った。
「――! 魔王使徒から微細な空間震。探査系の知覚触媒と思われます!」
「結晶体に動きアリ! 一部が特定箇所に集中していきます」
「! そこかっ。まだだったか!」
「その付近に部隊を集中しろ! 敵を阻みつつ近辺を捜索! 最優先だ、ジリ貧でブチ殺されるかがこれで決まるっ! 死んでも死守しろ!!」
◆
「うおおおっ!?」
衝撃。
六メートル大の大型結晶魔人が振り下ろした拳に土柱が立ち上がり、十数名が吹き転がされてゆく。飛び上がり、回り込み、押しかけ、なおも数十名の戦士・術士の混成部隊が追いすがる。
「第二・第三波、くるぞぉーー!」
「止めろおッ!」
さらに、続々駆けつけてくる〝兵〟〝将〟と手当たり次第にぶつかってゆく。味方を巻き添えにすることもいとわぬ魔王使徒の上空からの爆撃も加わり、戦場は乱戦の極みに達していた。
そんな中、自身らも幾多もの傷を負いながら、回収部隊が決死の捜索を行なっていた。
「……これか!? おい、こっちだ! これを見てくれ!」
「なんだこりゃ、分からんわけだ……!」
抉れて穴ぼこだらけになった芝の上に転がっているのは、魔人の結晶片と見分けがつかないものだった。
だが、たしかによくよく見ると内部には素材回収班に支給された機材が見えている。まるで塩化した結晶が噴きこぼれて触媒を包み込んでしまったような形である。
その異様な姿に、触っても大丈夫なものかどうか。捜索隊はまず恐る恐る指先を触れて状態を確認した。
そして異常がないことをはやる動悸の中で確認し、救助用の背負い袋に包み込み、急場で運搬する体を整えた。
「よし、すぐにこれを――」
その頭上に、影がかかる。
見上げるような巨体――〝将〟。
一瞬前まではいなかった。大きな地響きが聞こえたような気もする。そういえば足を取られてひざをついたような気も。
体格に比して異常に小さな頭部にのっぺりと張りついた目だかなんだか分からない文様が、ちっぽけな人間を見下ろしてきていた。
「!!」
いや。同時に拳も降りてきていた。とっさに前に出た護衛役の聖騎士が一度大きくバウンドしてから遠方へ殴り転がされてゆく。なにかは分からないが鎧の隙間から赤い色が広がった気がした。ばしゃ、と生暖かい感触が顔面に広がって感情が凍結する。
「――――」
荷を背負う。一目散に駆け出す。反撃する。仲間の救出に向かう。直接戦闘に不慣れであった術士は第一に採る行動を迷った。
「――――うおあああっ!!」
一瞬の迷宮を抜けたのち。彼は反射行動に近く、自身がもっとも慣れ親しんだ挙動を選択した。
ポシェットから『レベル4・キューブ』を取り出していた。
魔人の顔面で、炸裂する。
爆炎が去り――魔人は、無傷。
そのまま、手を伸ばしてくる。
「……う、あ、」
術士は、ただ見すごすことしかできなかった。一歩を下がっていたと気づいたのもずいぶんとあとになってからだった。
荷が拾われる。頭部の下の結晶が口のように砕けて広がり、飲み込まれる。
そして。
術士などなんの用もないとばかりに、きびすを返し――走り出した。
時間が動き出す。
「っ!!」
何者かに突き飛ばされると同時に轟音が耳を叩く。顔を上げる。駆けつけてきていた聖騎士の隊が、襲いかかってきていた魔人どもとぶつかっていた。一斉に周囲の喧騒が戻ってきていた。
自分を突き飛ばした聖騎士は即座に天へ突き上げた信号弾を射出。
「ここだー!! 目標物発見ッ!! 持っていかれるぞォーー!!」
叫びながら聖騎士自身、背中を見せている〝将〟目がけて単身で駆け出していた。どんどんと〝将〟の背は遠ざかる。荷を取り込んだ〝将〟を守るように続々と魔人たちが立ちふさがる。その隙間を縫って、騎士は巨体の背に取りついた。
「うお――らぁああ!!」
渾身の一撃と思われるまばゆい〝気〟の輝きをまとった剣を何度も叩き下ろし、走りながら〝将〟の頭部は肩ごと抉れ飛んだ。
騎士は内部から背負い袋を担ぎ出し。
別方向から飛んできた巨大な拳に――すり潰されるように――吹き飛ばされていった。
地面に落ちた騎士の姿は群がる結晶魔人の波に消えて見えなくなった。
「がっ、……く! くおっ――ああ!」
だが、声だけは届いてきた。同時に、その場から全力で投げ出されてきた影も。
投げられた背負い袋は騎士と術士の中間地点に転がった。それに群がろうとした魔人の壁に先んじて、かじりついていた後続の聖騎士たちが後ろ足に蹴り転がし、次には確保。
さらに術士の下に投げ転がされてくる。術士はとっさにそれへ飛びつき、背負っていた。
だが、視線は消えていった騎士の方角から離せなかった。
「いけぇ! ここは任せろ!」
「目標確保ォ!! 死んでも守れ!」
別種の信号弾が打ち出されてゆく。術士が往くべき方角に向けて。
「早くいけぇ! こっちはかならず助け出す!」
「っ……!」
追い立てられるように、走り出した。
信号弾の煙の尾の下に道を作るように、ほか部隊が壁を作って魔人たちを阻んでゆく。それらの隊から離脱した数名の聖騎士が併走を始める。
「護衛を代わる! 走れ! よくやったぞ!」
「し、しかし。俺は……」
ここにきてようやく術士は気づいていた。自分が採るべき最優先の行動は信号弾を打って仲間を呼ぶことだった。自分の遅れを取り戻すために、ふたりが犠牲になった。
「気づけたんだ、無駄じゃない。信号でも爆発でもなんでもいいさ」
「それに、そんなにヤワじゃない。助かるさ。次につなげる希望を守ったんだ、胸張って今は走れ! かならず届けるぞ!」
「っ、はい!」
進路に向けて次々と信号弾が上がってゆく。その頭上で、魔王使徒が忌々しげに単眼を引き締めていた。
◆
「!!」
『魔王使徒の活性値に異常反応! 全域攻撃です!』
『推定範囲は後衛陣をオーバー! 学院敷地の70パーセントに及びます』
『全体、全力防御陣形!』
それらの声が叫ばれる一瞬前に、スフィールリアは魔王使徒を振り仰いでいた。
ついにきたのだ。初手の時とは違う、正真正銘の全力攻撃。すべてをなぎ払う力が。
悲鳴じみた指示とともに、次々と中衛層の人員が指定の箇所に集まってゆく。
護衛の聖騎士が肩に手をかけた。
「全力防御だ。スフィーちゃん、俺たちも早く防御陣の中に!」
「…………げない」
「えっ?」
スフィールリアの瞳は、焦点をうしなったように上空を見上げていた。
うわごとのように。唇が震えている。
「防げない……ルンティの矢』……? リ……カー…………服……貫くため、の…………」
「スフィーちゃん?」
「どしたの! 止まってる場合じゃないよ!」
「いや、彼女が今な――」
回り込み――聖騎士は異変に気づいた。
視線はおぼろげに、ただ魔王使徒を映している。
その蒼かったはずの瞳が、金色に輝いていた。明滅している。
なにかに反応するように。あるいは、自我と無自我の間を行き来する痙攣のように。
ゾッとして――
聖騎士はスフィールリアの肩を強くつかんだ。
「おいっ!?」
「無世界値の虚次元壊振による神域基底ストラクチャ崩壊。540000Mys・bit以下の情報子権限っ……密度、がっ……!?」
「――スフィーちゃん!」
肩を持ち、がくがくと揺さぶって。スフィールリアの視点が引き戻された感触があった。
瞳の、金色の輝きも失せていた。
聖騎士は力を注ぐように、彼女の目を強く覗き込んだ。
「大丈夫か!?」
「えっ? あ、あれ? あたし、今なにか言ってました?」
まだ、彼女には寝ぼけたような気配がある。聖騎士は気つけだかなんだか分からない心地で強くうなづき返す。
「防げないって言ってた! なにか分かったのか!?」
「え……?」
「使徒の、全力攻撃! 防げないって! それとも違うことだったのかっ?」
「えと……」
ほほをかきながら二、三度、ぱちくりと。
これはもう取り合わずに防御陣まで引きずっていくべきかと考え始めたところで、彼女は「あっ!」と重要な忘れ物を思い出したような声を上げて、指を立ててきた。
「そう、そうなんです! 防げない! みんな死にます!」
「っ!?」
ぎょっとして、仲間と見合わせようとしていた顔を引き戻さざるを得ない。彼女自身も自分の物騒な言葉に驚き、狼狽しているようだった。額を押さえてウロウロと、道に困っている通行人のように身体を揺らしてから、
「ええとだから、そう、どうすれば……あっ、そう、だから――本陣へ! 学院長!!」
インカムの直通回線を開いたようだった。そのまま、応答したらしい学院長にしどろもどろで畳みかけている。
「――というわけなので、今やってる防御陣なんとかならないですか!? このままじゃ全員死んじゃうんですけど!」
『ちょっと待ってね? いきなりすぎてよく分からないんだけど? あと忙しいので要点をね?』
「だから! 目玉の攻撃! 防げないんです! 防御力、数値が……ええと、なんだっけ!」
『あのね――』
なんだか分からないまま、聖騎士も割り込んでいた。
「54万以下って言ってた!」
「ちょっとぉ、だからなんなのよ!?」
「そう! それ! 足りないんです。ソレ以下の構造は全部無視されて……ああもうなんだか……全部吹っ飛んじゃうんですってば!!」
『!? いきなりキミはなにを言っとるんだね!? <真理院>の算出ではこれで充分だと回答されておる! 余分に裂けるリソースもない! ただでさえ結晶体の阻害と安全確保で難易度が高いのだ、妙な混乱を招くようなことは――』
『――スフィールリア。根拠は』
すべてを遮り。不思議と耳を当てていない彼らの下にも聞こえる確かさで、フォマウセンの冷静な声がスフィールリアを追求した。
『特にないのね?』
「っ……」
泣きそうなスフィールリアの横顔にまたひとつ汗が落ちる。
ゾワゾワと競り上がってくる緊張感にいたたまれなくなり、とにかく割り込んでなんとかできないか嘆願してみようと聖騎士が口を寄せようとしたところで、
『――防御構成を修正します。使用する触媒法具を倍に増やして。遮断密度を250パーセント上昇させるわ?』
『なにを言っておられるのです!? 貴重な防御リソースを!』
『すでに一度無駄打ちしているんですぞ!?』
『中核術士と盾の聖騎士にも損害が出ますが!?』
『かまいません。全責任はわたくしが負います。時間がないなら余裕もないわよ。急いで! ――スフィールリア、これでいい? といっても、これが限界なのだけど』
「…………」
一拍、呆けてから……
スフィールリアはその場で頭を下げていた。
「あ、ありがとうございます!」
『よろしい。当たっていたらごほうびをあげる。あなたたちも早く避難して』
通信が切れて。
「……」
スフィールリアが、うれしそうなんだか驚いているんだか分からない表情で三人を見てきて。
「よし、よく分からんがいこう、スフィーちゃん!」
「あっ! えっと、勘なんですけど。それでもヤバい気がするので、ひょっとしたら遮蔽体のうしろの陣がいいかもって……」
「ようっし分かったソッチにいこう。もう完全に信じた! だからソッチにいこう早くいこう! お前ら急ぐぞ!」
「応よ!」
走り出す。
全回線が、敵攻撃発動まで六十秒を切っている旨を伝えていた。
大気の密度が、増してきている気がした。
◆
ゼロ・カウントを迎える。
魔王使徒の攻撃術式の投射が始まり、結界の内部が真っ白に塗りつぶされた。
その様子が、王城からはよく見て取れていた。
結界の外側にまで漏れて吹き上がってくる猛風に顔を覆い、戦いの様子を見守っていた第二王子と第三王女はテラスの縁にしがみついていた。
光が渦巻く乱流そのものであることは、内部に時々現れては消える、掘り返された樹木や建材と思しき影が飲み込まれてゆく姿から知れることだった。
まるで雷が絶え間なく鳴り続けているかのような胸を掬う轟音が、かの地に働いている力の恐ろしさをそのまま体言している。
「排熱が始まります! お伏せください!」
叫びの一瞬後。結界天蓋中央から壮大な噴水のようにエネルギーが排出され、次いで、目さえ開けていられない熱が風に乗って噴きつけてくる。言われるまでもなくふたりは頭を押さえて床に伏せていた。これでも王城の〝翅〟の防衛システムに緩和されての熱量だからすごい。王城直下の森には火などついているほどだ。
「うごわっ――すごい、な!」
「中の人たち、大丈夫でしょうかっ」
「殿下ーーーっ! おっ、王子っ、姫ぇえーーー! このままではなりません、どうかご避難をぉお!」
「ええい、ちょ、うるさいな! てか痛い痛い!」
突風が吹き去り。玉体を引きずり下げようとしていた体勢のまましがみついてきていた家臣を振り払う。またすぐに立ち上がってまだ熱いテラスの縁にかじりつき、結界の様子をうかがう。家臣も泣きたそうな顔をしながら立ち上がってきた。
「殿下、どうか退避を! 御身になにかあったらわたくしたちは!」
「そう言うなよ。あれが魔王の勢力ならば。俺たちのだれかが見ておかなくちゃいかんだろう。王家の役割を考えた時、な」
「そうですわ! 玉座を動けないお父様の代わりに、そして勇気ある者たちに報いるためにも、わたくしたちが見届けなくてはいけないのです! それに〝王権〟により、今はまだ彼らにわたしたちが傷つけられることはありませんものね!」
「な、なにを言っておられるのです……」
「まぁ、な……ってな! むしろ身の危険だって話なら、お前たちから逃げてくれないか? 気ぃ遣われて死なれても気まずいんだが」
「……殿下を置いていけるわけがぁっ!?」
「ああ……分かった。分かったから。本当に危なくなったら一緒に逃げるからさぁ……」
本当に泣き出す彼をなだめながら、彼は。
視線は城下の結界から外さずに、今も謁見の間に座す父王が、どんなことを思っているかということを――思っていた。
(完全なる魔王の来訪ね。ついに、そしてだ。世界の決済は近い、か? 本当に俺たちの代でそれがくるのかもな。父上……兄上、よ!)
◆
光の対流も終わり。
学院敷地全体が、もうもうと蒸気の白を上げていた。
大気はまだ激しくうなっている。
急激な加熱からの冷却により、そこかしこの物体から小爆発をするような軋み音も弾けている。
スフィールリアたちが隠れた遮蔽体も同様で、特殊コーティング層のところどころが溶け崩れていた。
講義棟の下、敵の攻撃が終わったこと、自らの無事を互いに確認し始めるざわめきが広がり始める。
「な、なんちゅう威力、だ……」
「あ、危なかったな、本当に。スフィーちゃんが言ってた通り……」
「スフィーちゃん……大丈夫?」
「は、はい……耳がキンキンしますけど……」
言う通りくらくらする頭を押さえながら立ち上がる。……なので、だれかが発した「あ!」という声にも認識が遅れた。
「スフィーちゃん、危ない伏せて!」
「へっ? なんて? ――きょわぁ!?」
確認するまでもなく身体ごと覆い被せられて伏せさせられたスフィールリアだが。
女騎士の肩越しで、意味が分かった。
「――――」
遮蔽体に利用された講義棟。ひび割れたそれが、今、粉塵を上げながら自分たちの上に総崩れしてきているということに。
そして、なだれ込んだ瓦礫が彼女たちを覆い隠していった。
◆
「な、なんなのだこの威力は!」
「損害状況はどうなってる!」
「げ、現在のところ……一番から四番区域の損害がもっとも甚大です。三番は推定で完全壊滅! 連絡が完全に途絶しており、損害不明。直前の報告では触媒の直結が間に合わず、防御陣形効果が120パーセントまでしか上がっておらず、おそらく……。現地に救助部隊が向かっています」
「全体の損耗率は暫定40パーセント。現在報告を集計中ですので、まだ増えるかと……」
「結晶体再展開への対応も厳しい状況です。対応を急がねば。孤立する区域が出れば全滅しますぞ」
「――交代だ。即時に結界外の待機人員を動員する」
「それしかないか。交代戦力と救助要員で一時二倍投下する! 連絡と結界緩和、急げ!」
「同時に、緊急時対応に沿って区域統合だ。損害率が二割以上の区域を速やかに合流、後退しつつ、体勢の立て直しと生存者の探索を編成。魔王使徒への攻撃線だけは絶対に維持。団長クラスを前に出せ、立て直す間ぐらいなら別個判断で部隊スペックは維持できる。絶対に〝黒帝〟を殺させるな!」
「――本陣は最大術式の編成回復を最優先! 治療薬も全部そっちに回せ! ええい、わたしたちのもいらんから!」
「はい!」
無数の指示が飛び交う術士本陣も、有様はそれほど無事とも言いがたい。
仮設卓や天幕は転がり、吹き散らされ、解析や通信用の機材も横倒しになって煙を上げている。
また、それに倍する人員が仰向けに寝かされて応急処置を受けていた。もっとも安全なはずの最奥部にいた指揮官たちも、作戦や指示を話し合いながら治療を受けている。回復薬も節約して、とりあえずの消毒と包帯のみといった具合だった。
「回収対象の特殊素材が届きました! 読み取りを開始済み!」
そんな中で届いた知らせは、一時だけ指揮陣の顔を明るくさせた。
「よ、よし! データが取れ次第すぐに〝黒帝〟側に送ってくれ!」
「よくやってくれたッ!」
が、すぐに立て直した椅子と机に重くもたれかかる。
「……くそったれぃ! 要となる〝素材〟回収の代償がこれかっ!」
「しかも二倍の消費を注ぎ込んで、ですからな。まさか一定以下の防御を無視して素通りするとは」
「想定通りの体勢なら全滅していたな……」
……ふと、そのつぶやきで。
視線が向いてくるのをフォマウセンは感じていた。
「なんと言いましたか、お弟子様の……彼女はこういったことを見破る特殊な能力がおありで?」
なんと言うべきか、思いつかず。
フォマウセンは一度タウセンと見合わせた双眸をきょとんとさせて、なんということもなく返答した。
「ただの勘ですわ?」
「勘て」
「ええ。女の勘。申し訳ないですけれど。当たってよかったですわね?」
うしろのタウセンも肩をすくめている。
「……」
顔を見合わせて。
深追い危うしと判断したかそういうものかと納得したか、面々はそのまま議論に戻っていった。
「――全力防御の見直しを。全滅しなかったのは幸いと捉えるべきでしょう。今回のデータから次回以降は対応できます」
「しかし、倍だぞ!? こちらの防御の手札を半分以下にされたに等しい。いや、過供給でかならず損害が出る分、状況はもっと不利だ! <真理院>に対策はあるか?」
「構成を変えます。分担人員を増やして負荷の軽減を。ひとつの陣の収容人数が減る上に、〝盾〟の『超重〝防〟型』も増やしていただかなければなりませんが……」
「……それで。その消費率だとどれぐらい保つ?」
「おそらく……いえ。損耗を抑えるために余裕を持った構成を考えますと……残り、四回。これが限度かと」
「…………」
一拍、重い沈黙が落ちた。
「それまでにあの不死身のバケモノを封じなけりゃならんのか……」
と、そこに。
自らの通信アイテムに最優先の呼び出しがかかり、フォマウセン学院長は自身の解析作業を止めぬまま、意識をそちらへと移した。
『学院長、俺だ。送られた素材を解析した。時間はいいか?』
「お、おお!」
「早いな!」
重圧から逃れるように、立ち上がった指揮官たちが明るくした顔を向けてくる。
「それ以上に重要な項目があるかしら? あなたの通信は最優先にしてある。それで、そんな言い方をしてくるからにはどんなやっかいごと?」
『いい報告と悪い報告があるんだが、両方同時に伝えなきゃならん。「当たり」だ。魔王召喚式の具体的な分岐ポイントを導出できた。これを全部押さえれば目玉野郎から式の制御権を奪える』
「それはいい方ね。悪い方は?」
『六千八百九十万と、八千だ』
「――は?」
『六千八百九十万と八千。それが予測される、必要になる素材数の最低値だ。今しがたデータの送信を……今、完了した』
届けられた『メモリーキューブ』を奪い取るように受け取ったフォマウセンは即座にそれを『オーロラ・フェザー』に展開させた。敵・回復術式の解析も中断。杖に知覚を同調させ、読み込んでゆく。
「――あり得ない」
出てきた言葉といえば、それだった。通信の向こうのテスタードは当然の非難を受けたようでもあり、同時に苛立ちも含む声で答えてきた。
『分かってる。だがどう計算してもそういうことにしかならねぇんだよ……俺としても間違いであってほしいとは思うが、残念なことにそうするともっと悪いことになる。もっとも希望的に不都合を排除した結果がそれだからだ。ほかの試算も送ってある』
「…………」
さっと手を振り空間中の表示を切り替える。
予測結果の桁も替わり、数十億、数十兆という数字が顔を出してくる。
「こ、これはどういう……フォマウセン様?」
怪しい雲行きに気づいてか、何名かの指揮官が、恐る恐る声を出す。
フォマウセンは答えず、まぶたを揉み、息を吐き出してからテスタードへ確認していた。
「多世界詠唱、ね?」
『そうだ。それは間違いないはずで、だからそういう数字になる。実際はもっとコンパクトに収束するはずだがどうしてもそこにたどり着けない。矛盾に次ぐ矛盾を説明しながら総体をはじき出すとこれぐらいになるんだ。重複もかなり多いが、外すと計算が成り立たなくなる』
縫律杖が投射する魔王召喚式総体モデルは幾億・幾千兆の波模様を描く糸が形を変えながら舞い踊り、絡み合い――しかし全体を見渡せば複雑優美な花弁を模したように揺らめいている。その中に糸を束ねる星のような光点が煌いている。それこそ、満天の銀河模様のようにだ。
フォマウセンはテスタードの各計算モデルを添削してゆきながら、自身でも確認するように語る。
「でもあり得ないわね。これは近似値時空以外のすべての可能性世界を網羅した数字でしょう? 『時空のカーテン』の法則を無視すれば、術式の完成は数十億年先の規模になるはず。なのでこの最小値も破棄ね。実際のモデルは――こんなところね」
表示すると同時に、テスタードにも送る。魔王使徒の術式掌握に必要となる素材数は三億二千万になった。
『根拠は?』
テスタードの声に含まれる笑いの意味はよく分かる。自ら希望を捨てるような行ないであるからだ。だがフォマウセンはきっぱりと明確に断じた。
「世界法則。すでに現実そのものが塗り替えられているのなら、今こうして敵の召喚式を阻もうとしている事実自体が矛盾だわ。敵の振舞いが矛盾に満ちていたとしても、今はまだ、絶対にこの世の法則に準じて存在しているはずなのよ。ここを間違えてはいけない」
『……』
「いいこと? 敵は我々に重大な嘘をついている。その前提で解析を続けなさい。なにか分かったらすぐにまた連絡を」
『了解だ』
通信が切れる。
「ふ、フォマウセン殿、ですからいったい……?」
フォマウセンは疲れた風な笑みで振り返り、息とともに答えた。
「要はですね? あの魔王使徒が、三千体ぐらいいるという話ですわ?」
「……は?」
「多世界詠唱――とわたしが便宜上そう呼んでいますが。あの魔王使徒は今、別の可能性世界に存在する架空の自分と分担を分けて、数百億・数千兆にもおよぶ〝大合唱〟を繰り広げているのですわ? そうして別の可能性世界から分担した術式を受け取ることで魔王使徒は、単体では通常成しえない莫大無比な術式を成り立たせているというわけです」
「……は? いえ。はい? え?」
数名の上級術士や軍幹部が苦い顔をする中、ついてこられていない者らがただただ困惑の表情を浮かべている。恐るべき上位存在をまだ知らない者たちが理解できないのも、無理はない。
「文字通り、上位次元の存在なのですわ。あの魔王使徒という存在は。我々三次元の住人が空間を三次元的に移動できるように、上位次元の住人は、『時間』や『可能性』を自在に行き来できるのです。だから多世界に及ぶ知覚力を持ち、別の可能性世界を覗くこともできる。そして――それが現実の確度を上げるということにもなる。ですから魔王使徒の召喚術式が成功すれば、全可能性時空で魔王がかならず召喚される…………魔王が存在しない時空が存在しない、ということになるのですわ?」
「そんな……」
「では、その可能性世界が三千通りはあるということですかな?」
別の将官の問いに、かぶりを振る。
「それも、違いますわ。三千体と言ったのはわたくしたちの時空――つまりわたしたちが相手にしている目の前のあの使徒が、あと三千体はいなければおかしいという予測の話です」
「……は!?」
ここに及び驚愕は全員に共有された。
彼女の背後に控えるタウセン教師が、計算の続きを行ないたい彼女に代わって補足をしてくれる。
「多世界詠唱を行なうにあたり、定められたパターンに沿って部分的に組み立てたパズル同士のように構築した分担術式を別の可能性世界から受け取る役割を負う使徒〝自身〟が、三千体いなければ成り立たない計算結果であったのです。術式として最低でも三千の分割パターンが逆算された。矛盾というのがそこです」
「お、お待ちください! ではなんですか、我々が相手にしている魔王使徒は三千いるうちのたったの一体にすぎず、残りがどこかに控えているというのですか!?」
「あるいは三千体の集合がアレであるとかか!?」
「――いえ。それも違いますので、落ち着いてください。それは我々の事前調査が否定します。あそこにいる魔王使徒はあくまで一個の確たる存在なのです。そして、アレほどの規模の存在が三千も潜んで堂々と術式を実行していれば隠しようもなく察知されています。存在している使徒はあの一体のみ。であるから矛盾なのです」
フォマウセンが引き継ぐ。
「そう。そしてもっと悪い数字が三億という数字。敵の矛盾点を暴かない限り、今のところはこれが一番現実的な数字であり、わたしたちはこれを前提に対応しなければならない。言わずもがな最悪中の最悪な事態というのは、この数字がウソでなかった時よね?」
「そんな数の素材を、まさか」
「残りの全力防御四回分の間に……。集め切れるわけがないではないか……」
それが結論であった。
幾重にも渡る乗算を重ねる、人間には制御不可能な圧倒的な術式。それが、さらに可能性世界にまで渡って同じ分が乗算されてゆく理不尽極まる天文学的世界を描き出す。それが今のところの魔王召喚式の全容だ。
その中の、全可能性世界での『共通項』。重なり合っている部分。これが三億という数字の正体だ。最低でもそれだけは網羅しなければ魔王召喚は阻止できないことになる。
しかし、やるしかない。
「試行回数を増やすしかない。死ねと命ずるに等しいが……どちらにせよ、こちらが力尽きるのが早いことにしかならないか」
「……素材回収班に連絡を。彼らにとっても非常に厳しい任務となるが、やってもらうしかない」
「了解しました」
が、あり得ないことでもある。魔王使徒はそれほどの規模の術式を求めていない。
まずは最低限の召喚を望んでいるはずなのだ。いきなり完全なる召喚を望めば、この世界の抵抗力全部が圧しかかってきて失敗するからだ。
「…………結界の中核を担当してさえいなければね。わたしたちが直接突っ込んででもたしかめにいきたかったところだわね?」
「それでは方々が困るというのだから。仕方のないことでしょう」
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