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「でもみんな、なんであんな必死にお仕事情報探してたんだろ?」


「<総合クエスト掲示板>については、二時間目の講義でも触れられましたわよね?」


<アカデミー・マーケット>と<アカデミー・ショップ>は学院正門から広がる〝前庭〟の、右手側に存在している。


 しかし、アリーゼルの情報通り、今はほとんどが休業状態だった。

 これは<クエスト広場>の事情と同じく、<アカデミー>側からの活動自粛要請がゆき渡っているためだ。


 入学式が続くこの時期は、国内有力者や、諸外国王侯貴族も多くが訪れる。

 そんな彼らが入ってくる正門付近である。彼らの目に入っては少々困る取引というのも、ここではそう珍しいものではなく、困るからには見られたくないのである。


 なにしろここは王都であり<アカデミー>。――余人には作り出せない特殊なマテリアルや宝具がひしめいている。

 各国の権力者や裏社会の住人が喉から手が出るほどに欲しがる機密クラスの物品や情報も当たり前のようにゴロゴロと転がっているし、彼らはそれらの品や情報を、自分たち以外の外部勢力が獲得することをひどく恐れる。目をつけられれば果てしなく面倒なことになる。

 学院側の要請と生徒の利害があるていど一致した形で、この時期の<マーケット>は静かになるわけである。


 とはいえそれでもふてぶてしく茣蓙を敷いて商品を並べている生徒(黒のローブをすっぽりかぶって顔を隠していたりしてアヤしいことこの上ないが、きっと生徒だ)の姿はちらほらと見られるし、全体が大人しくしているように見えるのも『表向き』だけの話である。


 店を出していないだけで、学院内各棟や寮の裏地では、今も極めて怪しい個人間取引が繰り広げられている。

 人気のない場所でなにかを探すようなフリをしてみればいい。きっと十分も立たない内に、どこかの物陰から「入用かい? くくく……」といった声がかけられることであろう……。


<ショップ>の向かいには、紺色の瓦屋根の立派な<大食堂>がある。

 食堂とは言っても時期によっては十万人近くまで生徒数を膨れ上がらせることもある<アカデミー>のこと。


 内部は二千人ていどが座れる分の長机と椅子がずらっと並んでいるだけのシンプルな構造であり、食事を提供する厨房は存在しない。生徒は<マーケット>の露店などで手に入れた食事を持ち込み、各々好きに座ってすごせばよいという空間だった。


 こういった場所の存在理由というのは、要するに、〝ゴミ問題〟だった。

 全生徒が学院敷地全域で好き好きに食事をしていれば自然と転がるゴミの量も範囲も膨大になる。なので要所要所、用途に合わせて自然と足が向くような施設を設けて生徒を誘導しているということだった。


 というわけでそんな<大食堂>沿い、外にまではみ出して置かれたテーブル群の一角を拝借して、購入したカフェラテを囲んでいるのだった。


「うん。みんなすごい一生懸命にノート取ってたよねー」


 アリーゼルは呆れた表情をスフィールリアに向けた。


「あなた、一年未満で学院を去る気なんですの?」


「へ? どういうこと?」


「はぁ~。どうものほほんとしてらっしゃると思えば、やっぱり分かってなかったんですのね……」


「あ、あのね、スフィールリア? わたしたち、学院に〝借金〟をしているみたいな状態なの。だから一年ごとに学費を払えなければ、借金を背負ったまま学院を出ていかなくちゃいけなくなるんだよ」


「えええっ!? どゆことぉ!?」


 いきなり聞かされた驚愕の事実にスフィールリアは椅子ごとずり下がった。

 ものすごく理不尽な話を聞かされたと思ったのだが、ふたりの方はしごく当たり前に受け止めているようだった。


「これは三時間目の講義で説明されましたわよね? というか少し考えれば分かることでしょうに……よろしいですこと?

 ここは<アカデミー>。綴導術を専門に扱う機関なんですのよ。

 当然機密クラスの情報だってほいほい出てきますし、普通の人生を送っていたら手を触れることも叶わないような高級な機材や素材だってありますの。

 わたくしたち学院生は、学院にいるというただそれだけでそれらの情報や、機材に、授業を受けることで触れることが許される。

 そんな絶大なる恩寵に対する対価が〝高額な学費〟という形で存在していることの、どこに疑問を差し挟む余地がありまして?

 入学金なんぞというものは始まりにすぎないんですのよ」


「えー、でも、学費って入学金とセットじゃなかったの? えー……」


「それだと、支払える人がいなくなっちゃうくらいの額になるんだよ。お金持ちの貴族様なら違うかもしれないけれど……この学院は身分に関係なく、優れた情熱と能力を持つ人間にこそ才能を伸ばすチャンスを与える、ていうことを基本理念に置いてるから」


「おっしゃる通り、すばらしい思想ですわ。ですから入学までの数々の困難を乗り越えれば、あとは再び本人次第というわけですの。

 世界中の需要を集める秘術が綴導術ですわよ。たゆまず学び能力を伸ばすことができたのなら、たとえそのための学費が莫大になろうとも、自分の力で稼ぎ出すことはできますわ。

 むしろそのための環境作りがすでになされてすらいるのですから、これはもう、至れり尽くせりと言うべきなのではなくって?」


「でも、それでも全員がついていかれるわけではないんだよ。三年が経つころには、新入生だった生徒の数はだいたい半分になっちゃうんだって。それで、その半分の中のもう半分以上は、一年生が終わるころには……」


 つまり、新入生の四分の一ほどは、一年が経たないうちに学院を去ってしまうのである。


「入学式の挨拶の折、学院長先生もおっしゃっていたでしょう? ――前年度の卒業率は一割を割ったと」


「あのぅ。そ、それで……その学費っていうのはいったい、おいくらくらい……?」


 スフィールリアが恐る恐る尋ねると、フィリアルディは、あまり考えたくないことを思い出させられたように目元へ影を落とした。

 肩をすくめてアリーゼルが、紙ナプキンに書きつけた数字は……。


「……」


 スフィールリアもさすがに閉口して、次の句が出せなかった。

 とてもではないが一般の身分に属する人間にひねり出せる金額ではなかった。

 世間に疎い彼女の知る数少ない一般家庭の収入を、食べることもせずにすべて注ぎ込み続けて――だいたい、十年分くらいだろうか。


「ちなみに初年度に学ぶことは基礎的なものが多いですから、まだまだ安価な方なんですの。二年、三年……と続くにつれ、各学年の最低見込み学費は、」


 十年分が二十年分、四十年分へと跳ね上がった。

 それが<アカデミー>に入学するということの、ひとつの側面だった。

 綴導術士というのは扱う分野にもよるが、たいていは元手に膨大な費用がかかる職業だ。機材も特殊で高価だし、作り出すアイテムも特殊なら、扱う素材も特殊なものになる。


 そういった機材や素材を生産する場にも特殊な人材や莫大な環境管理費が投入されているわけで、基本的に二次生産者である綴導術士が扱う金額というのは、それら〝特殊で高価な〟一次生産市場の相場へ上乗せしたものになる。その分、リターンも飛び抜けて高くなるのだが。


 ともかくそんな特殊中の特殊な人材を育成する機関が<アカデミー>である。

 学ぶべき内容の膨大さ、多様性の以前に、必然として恐ろしいまでの費用が要される。


 もちろん問題は機材や素材の安定供給のための費用に留まらない。

 講師として契約・招致された多くの優秀な綴導術士の確保。それらの人材をひとつところに集めるに当たり各国が抱く危惧。時には国防問題にも関わる重大な秘術や理論をも扱うにあたっての対外的問題。それらを片付ける(あるいは目を瞑ってもらう)ためのさまざまな条約締結、さらにそのためのさまざまな根回し……。


 学院は大陸を統括する<聖ディングレイズ王国>と代々から深い協力関係を結び、各国の貴族や権力者にも優遇を配した。

 加えて学院内の流通を利用し、王都や各国への破格な値段でのリターンとして提供することで、学院経営を磐石のものにしようと勤めている。


「……」


 その上で、なお必要とされて生徒各個人に請求されるのが、この金額なのである。

 逆を言えば、そんな事情を抱えながらも学院生であれば<アカデミー・ショップ>の割引制度を利用でき、学院外部の発注業務も優先して閲覧できるなど、多くの優遇・支援制度が用意されているのは<アカデミー>が高いレベルでその理念を実行し続けている証でもあるだろう。


「で、でもさぁ。それでも三年も経たない内に人が半分になっちゃうんじゃ、意味ないんじゃないのっ? そりゃあこんなベラボウなお金請求されるんだったらついていけない人がほとんどだって!」


 食い下がる彼女に、アリーゼルはやれやれというポーズを作った。


「たしかに一般的な市民の感覚からしてみれば途方もない金額でしょうけどね。

 ですけど勘違いしない方がよろしいことですが、それは貴族からしても同じですわ。我が家からたったひとりの綴導術士を輩出するために<アカデミー>六年間分もの学費を用意するというのは、おいそれとできる投資ではありませんのよ。貴族といっても動かせる資産はピンからキリですしね……。

 そして、学院を去る者が多い理由は、学費だけではありませんの。言いませんでした? 昨年度の卒業率は一割未満――減る生徒が半分では、まだ五割ではありませんの」


「あ……ほ、ほんとだね」


 そう。学費というのは、まだ理由の〝半分〟でしかないのだ。

 残った五割の内のほとんどが卒業すらできない。

 それは、よくよく考えてみればとんでもない事実だった。

 だけどスフィールリアにはどうすればそんなことが起こるのか考えつくことができない。真剣に耳を傾けるフィリアルディも同じようだった。


「その理由というのが――単位ですわ」


「単位?」


 うなづくアリーゼルは、またしても平然とした顔で、恐ろしいことを言ってきた。


「当学院は学位取得に〝単位制〟を採っていますわ。……でもあるひとつの事実がある。この学院では、六年間毎日、許される限界まで平常の講義をスケジュールに詰め込んでも、卒業に必要な単位数に届きませんの」


「えぇ!?」


 ふたりはただただ驚くしかない。紙カップの中身が冷めてしまうことも、もう意識にはなかった。


「なにそれ……じゃあどれだけ頑張って授業受けても卒業できないってこと!?」


有体(ありてい)に言えばそうなりますわ」


「本当だわ……一番単位の大きな講義を毎日最大まで受けても、卒業ができる範囲にも届かないみたい。……それに、その講義が毎日毎時間あるわけがないから」


 取り出した手帳をめくりながら、恐ろしげな声音でフィリアルディ。実現性を無視して最短となる計算を早くも試みたらしい。

 結果は、アリーゼルの言葉の通り。

 それは、優秀な者もそうでない者にも、差異なく下される学院生活への死刑宣告だ。

 卒業までの単位が明確に定められているのに、そこに到達できないシステム。

 絶対に卒業できない学校。

 そんなことって、あるのだろうか?


「なによそれ……横暴だわ。詐欺じゃない! ……今からいってタウセン先生の髪の毛全部むしってきてやる!」


「ですからお待ちに――って、タウセン・マックヴェル教師ですの? なんでそうなるんですかお止めなさいなとんでもないとばっちりですわよっ!」



「どうかしましたか、ミスター・タウセン?」


「いえ、なんか頭痛が」


「あら、まあ。最近は式の連続でしたからね。少し休みますか。隣の部屋使っていっていいですよ」


「いえ……まあ、大丈夫ですよ」



「だってさぁ」


 テーブルに乗り出して慌ててスフィールリアの服の裾をつかんでいたアリーゼル。彼女が席に座り直したのを見て、心底呆れた息をついた。


「話を最後までお聞きになりなさいな……。まさか本当にどうあがいても卒業が不可能なら<アカデミー>は教育機関として成立しませんわよ」


「む。……それじゃあ、卒業、できるの?」


「ええ、もちろんですわ。我々個人の努力次第ですけれどもね。

 この話の重要な点というのはつまり、綴導術士という人種を育てるために必要最低限な知識や実践という要素を授業として微分化した場合、六年間という日々をびっしり埋め尽くしても到底足りない事実がある、というだけのことなんですのよ。

 ここまではよろしいですの?」


「ええ……そう、よね」


「うん……まあ、分からなくもない」


「けっこう。ですから、ここからが我々にとっての〝実情〟になるんですの。

 先ほどのクエスト受注の話と同じですわ。――要は、それら膨大な授業と同等同価値の知識・技術を身につけていることを学院に証明できればいいんですわ。

 そのための認定試験という門戸が、常にわたくしたちには開かれているんですの。それに合格すれば、必要となる単位取得を大幅にショートカットできるんですのよ」


「あっ。それってひょっとして……<宝級昇格試験>のことかな」


 はっとした表情のフィリアルディに、アリーゼルは満点の笑顔を送った。


「ですわ。そのほかにも、付属下位の認定査察項目としての認定試技や研究録査収などでも、そこで成果が認められればその分だけの単位が免除されてゆきますし、<宝級昇格試験>そのものの内容にも部分免除が加えられますわ」


<アカデミー>生には、全員に綴導術士見習いとしての〝学内階級〟というものが与えられている。

 すなわち、スフィールリアたち<原石>から始まって<銅><青銅><白磁><銀><白金><金>の七段階だ。

 これは綴導術士の階級ごとの<称号>分けにちなんで模倣された制度で、もちろん一人前の綴導術士の位を取得すれば、今度は正式にそちらの階級制度に当てはめられることになる。

 正式な綴導術士の階級には<原石>から<白磁>までが存在せず、<銀>から<煌金>までの六階級となる。

 だからこれはあくまで〝学内〟のみで適用される階級にすぎない。


 アリーゼルが<クエスト広場>で言及した『生徒が受けられるクエストランク』にも影響を与えてくるものである。

<宝級昇格試験>というのは、この階級を上げるための認定試験だ。


「これに合格して学内階級を上げることができれば、単位が大幅に免除されるのはお話した通りですし、学院内で受けられるさまざまな支援制度の恩寵もランクアップしますわ。

 まあ能力に応じた正当な支援制度というところですわね。試験を受ける人の大半は、そちらこそが目的だと思いますけれど。単位などは日ごろからの試技や査収で貪欲に取得してゆけるわけですから」


 試技・査収というのは簡単に言えば、会場を持たず常に行なわれる小試験のようなもののことである。

 これを行なうのは各生徒を受け持つ教師たちだ。


 現在の段階の新入生たちはまだ一緒の教室にひとまとまりで同じ授業を受ける身だが、その内、最基礎項目からも開放され、すべての受講組み立てを自分で行なうようになる。

 どういった分野のどの講師の講義を受けるのか。一日の中でいくつ受けるのか。あるいは受けずにほかのことに打ち込むか――すべてである。


 たとえひとつの講義にも出てこなかったとて、咎める者はだれもいない。

 しかしだからこそ学院生たちは自分が〝だれ〟に〝なに〟を、どれくらい学ぶのかということをはっきり見定めなくてはならず、どの生徒であっても自然と専属に近い師となる教師を選ぶことになる。


 教師たちは、そうして自分の下に集った生徒の理解度や技量を、日ごろの授業や自分の研究の助手を任せたりする中で見極めて、判定を下してゆくのだ。また、教師は生徒の作成した研究レポートの提出を基本的にいつでも受けつけている。このような提出レポートの内容も公式な判定材料となる。

 代わりに、この学院には定期的に強制される『試験』というものが存在しない。


 成績の良し悪しを計って生徒をふるいにかけるチェックポイントがないから、一年の間ならばどこかの段階で警告を受けたり退学勧告を押しつけられることもないのだ。

 それなりの覚悟か保障がありさえすれば、一年中遊んですごしてもよいのである。


「つまり、どんどん先生にアピールしてけ――ってこと?」


「ぶっちゃけますのね。まあ、そういうことで合っていますわ。

 もちろん事前に先生へ対して、査定を望むかということの希望を伝えておくのが前提ですけどもね。やる気のない人間にまでお目こぼしを与えるほど甘い教師は、まあひとりもいらっしゃらないということですわね。

 ……で、そういった査定をお願いする先生を、生徒の側ではそのまんま『専属の先生』だとか『専属の教室』と言ったりします。

 教室というのはつまり、先生の行なう講義そのもののことですわね。先ほどなぜかお名前の挙がったタウセン・マックヴェル教師殿なら『マックヴェル教室』……となります」


 フレームを持ち上げる無機質な表情が目に浮かぶ。


(とりあえず、タウセン先生だけは絶対に止めておこう。無意味にお小言言われたり査定厳しめにされるに違いない)


 スフィールリアは内心で決意を固めた。


「査定をお願いするということは自分自身の見極めをお任せするということであり、『あなたの弟子になります』という宣言にも近いことですから。人間としての相性というものもありますしね。冷静に、慎重に、お決めになることですわね」


「うんうん、そうだね。全面的に同意だよっ」


 むろんだが『専属の先生』に一度でもついたなら、二度と変えることができないなどということはない。むしろ、学年が上がるごとに、教室を変えたことのない生徒の率は減ってくる。

 一度決めたら体面や関係などへの配慮から一年はついてゆくのが慣例となっているが、それも生徒側がなんとなしに実行している暗黙的な処置にすぎない。


 スフィールリアが考えたようなことはどの生徒でも一度は抱える心配事だ。

 当たり前だが人間のことなので、厳しい教師もいれば優しい印象を与える教師もいる。

 結果として、人気のある教室や不人気な教室、または気骨のある教室だとか、マニアックな趣向受けをする教室など……さまざまな〝特色〟を持った多彩な教室が存在することになる。

 さらに教師が扱う本来の〝分野〟というものも加われば、生徒の目の前に広がる選択肢は、まさしく膨大多岐へと渡るだろう。


「それらのすべてを自分ひとりの目と足で体験して回るのは非常に困難……と言いますか、もはやナンセンスですわ。申しました通り、わたくしたちは自分の学費も同時に稼ぎ出してゆかなくてはならないんですからね。

 ですから生徒同士の情報交換も重要ですわね。講義で同室になった同級生なり、先輩なり、加入したサークルで聞くなり……方法はいくらでもありますけれど。

 とにかく大切なのは、ご自分が目指したい将来の具体的なヴィジョンを持つことと、その目標に合致した教室をどれだけ見つけられるか、ですわね。

 それができずにどちらつかずの宙ぶらりんになっていますと、あっという間にドン詰まりになって、学院内で首が回らなくなってしまうでしょうね」


『……』


 つまりは、そういうことだった。

 学院は生徒の努力の成果を常に受けつけて、評価をする準備を持っている。

 しかしなにもせずなにを言わずとも常に見守ってくれるような類の、甘い機関ではない、ということなのだ。

 この〝仕組み〟とそれにかかる有形無形あらゆる〝必要経費〟の膨大さを、いち早く看破できた者から、真の学院生活の準備へと取りかかってゆけるのだ。

 それをできなかった者、出遅れた者から、脱落してゆく。


「学院の〝からくり〟……ご理解できましたかしら」


 簡単な種明かしを終えたように手のひらを出し、アリーゼルは紙カップに口をつける。顔をしかめたのは、中身が冷めていたからではなく、風味が気に入らないためだった。


「しかも、お金を稼ぎながらソレやんなくちゃいけないんだ……」


「そうね……ぼぅっとしている暇なんか、わたしたちには、ないんだね」


 彼女たちの胸の内にあった夢や決意の上に、重く冷たい巨石が静かに重なる。

 それは決して浮き立たぬ重石となり、綴導術士を目指す果て無き道の始まりに、彼女たちの足を降ろす(くさび)となった。

 新しい生活への期待の温みも、活力溢れる華やかな王都の熱気も、もはや彼女たちを誘い惑わす力にはならなかった。

 アリーゼルはそんな彼女らの顔を見つめ、そこで初めて満足そうな笑みを浮かべた。


「ですがまあ、それを言うならそもそも卒業なんてする必要もないのですわ。わたくしたちの目標はなんでして?」


「んーー?」


 スフィールリアはひたすら「?」マークを浮かべて首を倒していたが、フィリアルディは「あっ」と小さく気づきの声を上げた。


「まったく……。そう。〝一人前の綴導術士になること〟、ではなくって? あくまでここは綴導術士を育てるための専門教育機関にすぎませんのよ。綴導術士の資格を得るために『学院の卒業』は必須項目じゃないということですわ」


「あっ、そっか。綴導術士にはちゃんとした〝資格〟があって、テスト受けなくちゃいけないんだね」


 アリーゼルは一転して明るい調子になり、両の手のひらを広げた。これが最後の種明かしだった。


「ですわ。昨年の卒業率が一割未満――というのも、実のところそこに真のからくりがありますの。

 実力次第で受講科目をコレクションする必要がないということは、かならずしも学院で六年間をすごし切らなければならない『わけではない』ということまで意味するんですわよ。

 ですから実際には、そこまで生き残った学院生たちは、六年間が終わる前に綴導術士の資格と自分の工房を持って独立したり、あるいはやはり一個の術士として師の下について工房運営の一員となったりしているのですわ」


「あっ……それじゃあさ、卒業そっちのけで仕事だけしてすごしてる人もいる、っていうのは」


「妙なところで耳ざとくてらっしゃるんですのね。よくご存知なことで――そうですわ。そういった方たちも、実際にはすでに充分な学費を貯蓄済みで、さらなる財を蓄えるためだけに学院に留まっているのですわ。

 彼らにとって学院にいるということと、学院の内部に存在する数々の特典というのが、非常に好都合で居心地がよいということなんでしょう。姉や兄から聞いた話では、もう四十年は学院に潜み続けている猛者の方もいらっしゃるようですわね……。

 ……いずれにせよ、この学院でそれなりに生き延びてきた方たちですからね。綴導術士〝以外〟にも道はありますし、皆さんそれぞれなりの身の振り方を見つけた結果が、そういうことになっているというだけなのですわ」


「ほへぇ~……」


 目の前に広がる世界の果てしなさ、したたかさに、スフィールリアは素直な感動の息を押し出していた。

 タウセン教師の言っていたことは、本当の本当だったのだ。この学院にいる人間は、生徒も教師もだれもかも、ただ者なんかじゃない。

 ここにいるだれもがライバルであり、ライバルではない。

 ここで実力をつけてゆけるかの如何はすべて自分の力次第だ。だが、そのためには、そんな〝彼ら〟と関わり、渡り合い――時には協力することが不可避なのだ。


(やってやろうって気になるじゃない)


「やってやろうって気になってきた、というお顔をしてらっしゃいますわね」


 知らず口の端を吊り上げていたスフィールリアに返すアリーゼルの表情も、同じく非常に挑戦的なものに切り替わっていた。


「大変けっこうですわ。そういうおつもりですのなら、ここは早速おひとつ、並み居るライバルたちを出し抜いて差し上げるというのはいかがです?」


「……うん?」


「<宝級昇格試験>ですわ。明日、講義日程を終えたら受けにゆきましょう」


「えっ。できるの!? あたしたち、まだ授業始まって一日目だよっ?」


 隣でフィリアルディも目を見開いている。


「言ったじゃないですの。門戸はどのような生徒に対しても、常に開かれているのですわ。すべての学院生はその能力に相応しい場所に立つ権利を持っています。

 第一、<銅>の位なんて基礎中な基礎項目にチェックを入れられるにすぎないんですのよ。半年も経つころには皆さん<銅>階級……わたくしとしては連続で昇格試験を受けてもいいくらいなんですけども。ああそれとも――自信がおありでないとか?」


 くすりとした笑みに、スフィールリアはむっとして立ち上がった。


「そんなことないよっ。これでも田舎じゃ実技で稼いでたんだもん。なめてもらっちゃあ困ります」

「決まりですわ。わたくしに期待をさせたお方がただの石コロでは困りますわよ」


 アリーゼルも席を立ち、胸を張ったスフィールリアに手のひらを差し出した。

 ふたりの手が握られる。


「上等。やってやろうじゃないのっ」


「明日からわたくしたちは新入生最速の<銅>階級者。集まる注目に見合うご活躍を期待しますわ」


「が、頑張って、ふたりともっ!」


 そして――


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