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そんな会話がご本人たちの間で交わされているとは夢にも思わないまま、亜紀と奈央は同じ列車の違う車両で、顔を突き合わせてぼそぼそと喋っていた。
「大体、どうしてあいつがついて来るのよ!」
「……ごめん、だって、お母さんが健太と一緒じゃないと駄目って……。信用ないみたい」
「あいつがついて来る方が、よっぽど問題ありのような気がするけど。亜紀、別にあいつと付き合っているわけじゃないんでしょ?」
「付き合ってないよ……! 健太は単なる幼馴染だってば! 律さんの方が素敵だもん」
当の本人の健太が聞いたら、ショックを受けて撃沈しそうなことを平気で口にして、亜紀はにっこりと笑う。それにやたら安心している自分に戸惑いながら、奈央は溜め息をついた。
「でもさぁ、これについて来るってのも、随分と勇気あるわね、あいつ」
「そんなこと言ったって、お母さんと健太が勝手に決めたんだもん。それに、健太の方がうちのお母さんからの信頼があるのは確かだし」
申し訳なさそうに亜紀が言うのを受けて、奈央はもう一度溜め息をついた。
さすがにすぐ近くの席にまで来て座っているわけではないが、同じ車両の中に、お目付け役とばかりに健太がいるのは気に食わない奈央である。今日は学校が創立記念日でお休みで、亜紀と二人で心ゆくまで一緒にいられて、その上《DARK BLUE》のライヴにまで行けるなんて、夢みたいな一日だというのに、これでは意味がない。
奈央にとっては、今、亜紀と一緒にいられることの方が重要だった。それ以上に大切なことなんて、ありえなかったのだ。
確かに、追っかけをすることはとても楽しいことだし、海斗のことは変わらず大好きなのだ。それはそれでいいのだけれど、そこに亜紀が一緒にいるというそのひとつのことが加わるだけで、全く別の意味を持って来るような気がして来てならない。
亜紀は、初めてできた、損得のない友達だったから。
だから、奈央にとって、健太は邪魔者以外の何者でもなかった。亜紀につかず離れずの健太は、鬱陶しくてならなかったのだ。
みっつ年上の大学生の健太は亜紀の幼馴染で、お隣に住んでいて、亜紀のことが好きなのだ。亜紀だって健太のことをそれほど嫌いではないのだし、むしろ好きだということは見ていればわかる。それでも、亜紀を健太に取られるのは我慢できないし、渡したくない。
それが嫉妬だということに気付くには、奈央は経験がなさすぎた。
子供じみた独占欲で、亜紀に自分だけの傍にいて欲しいと思っていることを認めるには、奈央は、今まで友だちに恵まれなさ過ぎたのだった。
「……まあ、それならそれで仕方ないけど。あいつ、邪魔したりはしないわよね?」
「それは言ってあるから大丈夫……だと思う」
何を邪魔して欲しくないのか、実のところ、奈央にもよくわからなかった。
ただ、健太の存在がとてつもなく苛々してしまうことだけは事実で、その苛々を誤魔化すように笑みを浮かべる。ちょうど車内販売のワゴンが回って来たことで、いいことを思いついたのだ。
「……亜紀、海斗たちに差し入れしよ?」
「差し入れ……?」
どうやって? と、亜紀は首を傾げた。奈央に教わったところによれば、同じ車両に乗ってはいけないはずなのに、と。
「ふふ、その辺りに抜かりはないんだから。さっき、乗り込む前に席番は確認したのよ。同じ車両に入って行くのはタブーだから、こういう手を使ってアピールするの」
そう言うと、奈央はちょうど自分の傍に来たワゴンを呼び止める。そして、にこやかに対応する係員から、アイスクリームをふたつ購入する。
「すみません、あの、グリーン車の座席番号、F15と16に座っている男性二人に、このアイスクリームを持って行ってもらいたいんですけど……。大丈夫ですか?」
手早く係員とやり取りをして、了承を得る。
ふたつ分の料金はこちらで支払ったうえで、ワゴンが車両から出て行くのを見送る。そして、事態がよく飲み込めていない亜紀に向かって、奈央はにっこりと笑った。
「印象付けるには、いろいろな手段を使わないとね。ファンが同じ車両に乗っていたら、彼らだって嫌な思いをするでしょう? 寛げないし。そういうことをやる人たちだっているけど、そんなことしなくたって、いくらでも覚えてもらう手はあるんだから」
「でも、奈央は今更アピールしなくたって……」
「もう! 亜紀はすぐにそういうこと言って……。私だって、忘れられたら困るし、それに、何より亜紀を覚えてもらわなくちゃ! 律が受け取りをマネージャーに渡さなかったってことは、亜紀も〝オキニ〟に入っているはずなんだし。このツアー、頑張ろうね!」
「……う、うん。でも、律さん、ホントに受け取りって読んでくれてるの?」
「律はね、ああ見えても、気に入らない受け取りはすぐに全部マネージャーに渡すタイプなの。渡してないってことは、絶対読むから。さっき、自分のジャケットのポケットに入れていたの、見たでしょ?」
「見たけど、でも……」
「大丈夫、ルール違反さえしなければ、律も海斗もけっこう優しいよ? もちろん、マネージャーも。マネージャーからカットが入ったら、素直に言うことを聞けばいいの。それに、本人たちが苛ついたり調子が悪い時は見ればわかるし、そういう時は、つかないでマネージャーに受け取りを渡せばいいのよ。あと、律はね、ツアー初日は大抵ご機嫌だから平気」
今までの経験からすれば、滑り出しは上々だ。
初日に律の機嫌がいいのはいつものことだったし、海斗も同様だ。今日は中央で混乱が起きなかったせいか、マネージャーの警戒もさほどではない。奈央としては、いい感じのスタートだった。
たったひとつだけ気に入らないのは、やっぱり、お目付け役よろしく後ろからこっちを伺っている桜井健太だったりするのだけど、そこはそれ、いないものとして無視してしまうに限る。
(……桜井健太なんか、どっかに行っちゃえばいいのに)
せっかく亜紀と二人で遊びに行ける、と思っていた当てが外れて、奈央は微妙に不機嫌だった。
ところが、どっか行っちゃうどころか、これから先、とんでもなく深く健太が関わって来るなんて、奈央は、露ほどにも思っていなかったのだ。
そして、誰もが予想もしなかった大騒動が巻き起こるまで、あと数日。




