third.
お待たせしました
third
「なぁー、立華?」
「……何よ」
しばらくの沈黙の後に、背後におぶっている少女からの弱い返事。
「今日はさーーーおまえの歓迎会をしよう。せっかくの一人じゃない夕飯だし、火でも起こして温かい飯にしようぜ。だから、とっとと帰るぞぉ」
辺りはもうほとんど暗くなってきている。正直、こんな体制で襲撃されたらかなり高確率で両者とも喰われてしまうのだが、今のような状態の少女を放ってはおけない。
周りは静寂が支配しているわけだが、そんな中で、背中の少女も黙り込んでいる。ただ、無理もない。唯一安心できること……人間の死体が無い。そう俺も、彼女も思っていたはずだ。だが、あそこにはあった。二十代そこそこの女性の遺体。
俺のせいだ。俺があの建物であいつを一人にしなければ良かったんだ。
そんな感情に彼の胸は一杯だった。罪悪感と言ってもいいだろう。
重荷を、人が現に死んでいくという『荷』を背負わせたくないと、そう思っていたはずなのに……?
(待てよ……死体? なんで、あんな物があるんだよ。そもそも原喰生物は原子レベルで物を喰らうはずだろ。だから今まではあんな物は無かった。だけど、それを喰い残していったのか? そんな事が……あり得るのか……?)
そこまで考えて足を止める。ようやく学校に着いたのに気が付いたからだ。
「おい、立華? 着いたぞ、歩けるか」
「……ええ、大丈夫。ごめんなさい」
彼女の返事に応じてすぐに降ろしてやると、少女はフラつきながらも立ち上がる。
校庭で適当に座っているように立華に言い残して、暁は地下の倉庫に必要な物を取りに行く。
少し時間はかかったが、彼なりに精一杯できる事はしたつもりだ。
可燃木材を上手く折り重ねて、更にそこに発火剤を放り込んである。その中に点火したマッチを投げ入れると、実に早く炎が灯り、周りが明るくなる。
「ほい。簡易式だが充分焚き火っぽくはなるじゃろに。どうじゃどうじゃ」
「……いいわよ。わざわざ気を遣わなくても。どれも、貴重な物なんでしょう?」
文字通りの簡易キャンプファイヤーで温めているスープを見て、立華が悲しげな笑みを浮かべて言う。
「はんっ、おまえは知らんのだ。温かい料理は確かに現状ではコストはでかい。だが、一度食ったら癖になるぞぅ」
そう拳を握ってまで力説すると、流石の彼女も暁に目を向ける。
そんな立華を見て、暁が笑いながら手を差し出す。
「まあまあ……食ってみんしゃい。ほれ、温かいスープ」
おぼろげな手つきで受け取った器をゆっくり口まで運び、スープをすすってから立華が息を漏らす。口元に、微笑を浮かべて。
「……美味しい」
「だろっ?」
それからは両者共に、しばし無言でスープを腹に入れて行く。お互いに何かを考え、相手を窺っているように。
「なぁ、立華。さっき話したおめでたい先輩の事、覚えてるか?」
先に沈黙を破ったのは暁だった。
少し間を置いてから、立華も小さな声で答える。
「ええ」
その返事に満足したように笑い、暁が続ける。
「ほら、俺さ。記憶が無くて、残された地図を頼りにここに来ただろ? そん時、この学校の目の前で倒れちまったんだな、俺。何日も食ってなくて、疲れてたんだ。そんな俺を見つけて、ここまで運んでくれたのが、その先輩なんだ」
やっと顔を上げて、立華が暁を見る。
「本多先輩……その人は記憶の無い俺に色々教えてくれたんだ」
先輩の記憶が胸に広がる。
「銃の使い方、今まで付き合った女の事。頭にも無い親の事を一緒に調べてくれた……。なんつーかさ、在り来たりな言い方だけど『兄さん』みたいだったんだ、俺にとって、かけ掛け替えのない……」
「暁、くん……?」
立華の心配するような視線で、自分の声が震えている事に気が付いた。いや、それだけじゃない。肩も、手も、足までも震えていた。
それでも、暁は続けた。
「で、俺が今日のおまえのように、初めて収集にて出た日……先輩と俺と、もう一人仲がいい女の子との三人でだった。これも今日のみたいなボロい建物の中に入る寸前、さっき言った言葉で俺と女の子を安心させてくれて……」
息を大きく吸う。
「でも……その帰りに俺達が原喰生物に襲撃されて……先輩、囮になるって……俺の目の前で、喰われちまった…………」
身体中が震えているのに、なぜか涙は出なかった。
「おかげでその女の子と俺は逃げ延びた。でも、怖かった……。自分が死ぬことなんかよりずっと。他人が……大事な人が目の前で消えていってしまうことが」
立華は、愕然とした表情で暁を凝視する。
自分でもかなり感情的になってしまった。励ます意がとても湿っぽくなってしまった気がする。なので、本当に言いたかったことを切り出す。
「俺達人間は無力だ。だから、あんな物を見て、動じない方がおかしい。俺だって、あんなにいた人が全員目の前で倒れ、喰われていったんだ。苦しいし、辛い。先輩の時は俺も吐いた……」
先輩の笑顔と一緒に、苦い記憶が蘇る。でも、屈したりはしない。どんな記憶でも、自分が生きてる証だから。過去に失った記憶なんか、今更いらない。自分には今ある仲間達との思い出さえあれば、進んで行けるから。
「……ガキみたいにわんわん泣いきながらだ。当然だって言っても良い。慣れろとも言えないし、そんな事、もちろんしなくて良い。でも、次々いなくなって行く人の事を考えたら、俺はいつまでも泣いていられなかった……」
最後の一言で立華が息を呑む。彼の言いたい事に気が付いたのだろう。
そして、まだ顔色は少し悪いが、決意が窺える表情でうなずく。
「そう……よね。ごめんね、ありがとう」
「おまえは強いよ。だから、大丈夫だ。俺はそう思ってるんだ、俺なんかよりもずっと……おまえは強いって」
音を立てて薪が崩れる。一気に火が消え始めてきた。おかげで辺りが急速に暗くなってしまった。
「暁くん?」
「はい? あれ、なんか……デジャヴ⁈」
「約束したわよね?」
「あの雨の降る夏の日にした、け、け、結婚の件ですかぁっ」
もちろん、ボケである。
「……死んでもらうって言う件よ」
「えぇっ、あれマジで言ってたんですかっ」
暁が身じろぎして突っ込むと、少女が声を上げて笑い出す。少しぎこちなかったけれど、嘘偽りは無かったように見えた。
その笑顔でようやく暁は安心できたのだが、とうとう周りを照らす光は星明かりのみとなっていた。一人きりの長い、長い生活の中で、今まで気にしたことが無かったのだが、ふと空を仰ぎ見てみると、満天の星空が眼前に広がっていた。たった……たった一人の人間が傍にいるというだけで、こんなにも世界は違う。そう映る。不思議だった。精一杯光を探して生きてきたはずだったのに、気が付けなかったんだ。こんなにも近くに広がる光の群れに。
「キレイね……」
暁の視線を追った立華がボソリと言った。
「そうだなぁ」
「暁くん、ズボンが血まみれだわ」
「げっ、本当だ……うわぁ、もう乾いてるしっ」
これほど見事な星空を、今この場で俺達は独占しているのだ。それは、勿体無いのか、喜ぶべき事なのか。だけど、手放しでは喜べないんだろうな、きっと。こんな血まみれな姿で、どうやってそんな事ができる?
「きっと、完全には落ちないわね。そのシミ」
いや……違う。
自分のズボンを見ている少女に目をやり、首を振る。
違うんだ。それはただ一人でいる時の事だ。今は一人じゃないんだ。
出会って一週間。俺は彼らとすぐに打ち解け、一緒に生きてきた。それでも8日目、悲劇が起こった。あの日に無くしてしまった数々の命は、たぶん、俺の中の色々なモノも持って行ったんだ。それでも、取り戻せるような……彼女と一週間になら、取り返すことができる気がする。失った命は戻らなくても、あの日の自分を。
人類は血まみれだ。もう残り少ないのだが。それでも人類は始めるんだ。俺達の新婚生活……あ、噛んだ。俺達の生活が、新たに始まる。例え何があろうと、血まみれでも美しいこの星空を、俺は忘れないだろう。新たに踏み出す日の記憶として。
「決めたんだ、もう、何一つ忘れはしないって……」
「えっ?」
「あぁ、いや。何でも無い」
「何よ? それより、早く死になさいよ」
「おまえさぁ! そろそろ俺泣くよっ? 限界来てるよっ⁉」
またしても立華が声を立てて笑う。大分気分は良くなってきたようだった。
そう思うなり息をついて暁が立ち上がる。
「さて、もう戻るか。寝室は保健室だから。ほら、人数が少ない分、ベッド使用権ありまくりだ。前は抽選だったんだぜ?」
そう言って手を貸すと、立華もすぐに立ち上がり、暁と一緒に歩き出す。
向かう先はもちろん保健室なのだが、この後だいたい想像がつくだろう。
いや、残念ながら彼らはそんな事、心身の疲労により一切考えてはいないのだった。
ーー☆ーー☆ーー☆ーー
「ねぇ、暁くん?」
「なんだい、うら若き少女よ」
「これは何かの冗談かしら?」
「これ、とは何かな」
二人の前には、カーテン一枚で区切られたベッドが二つ並んでいるのだった。
「…………」
「いやいや、待て、少女よ。おまえが考えているような事をする気はないぞ、俺は。マジで、そんな事しないから。夜這ーーーー」
「どうやったら彼方のそんな言い分を信じろって言うのかしらっ」
若き少女の気持ちはわからんでもない。というか、仕方ない。
十代真っ盛りの若い男女が一つの部屋で、更に布一枚の壁だけが彼らの間を取り持つ。それほど危険な状況、そうはない。
「大丈夫だよっ。俺は、優しくするからっ☆」
「疲れて無かったら今すぐぶっ殺してやるのだけど?」
「すみません、冗談です……」
ということで、なんと、話し合いは明日に持ち越され、今夜はこのまま寝る事になった。ソワソワと隣のベッドに意識を巡らせても何の気配も無い。
彼は思った。
(ナニコレ、気まずっ……)
そして、暁はひたすら後悔したのだった。なんでこんな事になっちゃったんだろう、と。
「あの~、立華さん? ちょっ、本当に何もしないから、さ。とりあえず安心して……って、おい。あんだよ、寝たのか。くそっ、気遣い損か。襲うぞ、コラァ」
「なんですって? もう一度言ってもらいたいわね」
「おっ、起きてたのですかっ。も~、お人が悪い……」
こうして慌ただしく、彼らにとっては大切な一日は終わりを告げるのであった。言うまでも無く、もちろん疲れた彼らの安眠を邪魔するような事は起こらなかったのだが、後々暁が多少悔いることになるのも、皆様にとってはご想像の範囲内ではないだろうか。
「はぁ~、オイラはこんな時でも手ェ出せないなんて……悲しい、悲し過ぎる!」
何を言っとる。
「それでも男か、俺はっ。やるか、やっちゃうか、やっちまうか、オレェ……。いや、でも。いくらなんでもそこまでは……(以下略)」
涙で枕を濡らす不純な思考の男の子はその晩、なかなか寝付けないのであった。