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春風  作者: 兼田 深瑜
9/12

8.心

雨の中、傘もささずに走り、気がつくと最寄り駅に着いていた。

買物に出るとは言ったけど、鞄は財布ごとリビングに置きっ放しだし、ずぶ濡れで、どうしようもない。

雨は涙を隠してくれていたけれど、梅雨の雨にしては冷たすぎて、半袖のセーラー服を着た私は震えて、目立ってしまう。

ポケットを探ると、冷たい携帯電話だけが入っている。

私は、駅の隅のベンチに座り、携帯を取り出した。

……誰かに会いたい。

 

桃代は今週いっぱいは試験だって言ってたから、遠慮してしまう。

真希と小春は、バスに乗って30分も離れた所に住んでいて、一円も持っていない私は、会う事すらできない。

せめて定期券があれば、南高校に行けるのにな。

また涙が出る。こんなに寒いのに、涙は温かいんだなぁ。なんて、感心してしまう。

辛すぎて、心が壊れたんだろうか。

携帯のアドレス帳を一人ずつ見ていく。

歩いて行けて、私をちゃんとさせてくれる人。

消えたいなんて考えてる私を叱ってくれるような人がいい。

そうしないと、止まらなくなりそうだ。この震え。

『成ちゃん』の欄に来て、バイト中な事を思い出す。

ヒカルくんて、確か同じ中学の後輩って言ってたよね…。

だったら、歩いて行ける距離かもしれない。

私は、迷わず発信ボタンを押した。

…トゥルルル…トゥルルル…トゥルルル…

お願い、出て!成ちゃん!

トゥルルル…トゥルル…

「ハイ?蜜?」

出た!

「成ちゃ〜ん!蜜香だよ〜!」

小学生みたいに泣きじゃくりながら、私は電話をぎゅっと握る。

「蜜…?どうした?泣いてるのか?」

成ちゃんの優しい声が耳元で聞こえる。耳だけ暖かい。

 

 

 

「蜜?大丈夫か?」

妹さんからの電話だと断ってから携帯に出たけれど、何か緊急の内容なのだろうか?

成実先生から緊迫した感じが伝わって来る。

「泣いてるのか?どうしたんだよ。何があった?」

先生は、こっちに目配せをして、『問題の続きを解いてろ』と言っている。

けれど、問題に集中するのは至難の業だ。無理に決まってる。

オレは、心配げな顔のまま、とりあえず鉛筆を握った。耳は電話に集中したままで。

「ん?あぁ。バイト中だよ。は?財布がどうした?…泣いてちゃわからないよ。今どこにいる?」

悪いとは思いつつ、ついつい想像してしまう。

『蜜』と成実先生が呼ぶのは、高3の妹、蜜香さんのことだ。勉強の合間に時々話題に上るから、家族構成は知っている。

その妹さんが、どうやら泣きながら電話してきたらしい。

『財布』でも落としたのか?それで、兄貴に助けを求めて来た?……いや、それはないだろう。小学生じゃあるまいし、財布がないくらいで泣いたりするか。しかも、兄貴がバイト中と知っていて、言葉が聞き取れないくらいの興奮状態で掛けて来るとは考えにくい。

オレは、図形の証明に取り組むフリをして、実際はすっかり電話のことで頭がいっぱいになっていた。

 

「今から?ちょっと待てよ。まだバイト中なんだ。…駅?ならそこにいろ。雨降ってるし。……ああ。そうだな。そんなにはかからないだろ。…わかったから、泣かずに待ってろ」

 

成実先生は、携帯を切ってから小さく溜息をついた。

「ヒカル、ごめん。今日はちょっと早いけど、終わりにしてもらえないかな。妹が緊急の用があるって言うんで。この埋合せは次回するから」

ペコッと気持ちがいいくらいに90度に腰を折って成実先生は言った。

まぁ、別にオレは構わない。

「そりゃ、オレは構わないよ。けど、階下の母さんはごまかさなきゃ。…本屋で過去問でも探すって言って、一緒に出ようよ」

成実先生がクビにでもなったら、オレの未来は真っ暗だ。

とにかく、うまい言い訳でこの場を乗り切らなきゃ。

それに、蜜香さんの泣いてる理由を知らないままじゃ、今夜は眠れない。

「そうか。悪いな、ヒカル。じゃあ、雨降ってるし外は寒いから上着着て出よう。風邪だけはひかないようにな」

妹さんの一大事にも、生徒であるオレの体調に気を遣ってくれる。

やっぱり、成実先生は大きな存在だ。

…もしかしたら、蜜香さんも同じように、成実先生を頼りにしているのかもしれない。

だから、自分がピンチの時、誰よりも真っ先に先生の所へ連絡したのかも。

クローゼットからナイロン製のジップアップパーカーを出しながら、オレは考えていた。

きっとそうだよ。

成実先生は、先生であり、良き理解者であり、兄貴のような存在でもある。こんな人は他にいないもんな。

一人納得し、オレはパーカーを羽織った。

「よし、じゃあ行こうか、先生」

オレは、ヒーローの手助けをする少年のような気分になって、部屋のドアを開けた。

 

 

朝から降っている雨は、勢力を保ったまま、ザーザーと盛大な音をたてて落ちている。

傘だけでなく、カッパもいるんじゃないかと思うほどだ。

更に、時折ゴロゴロと雷が鳴り、稲光がストロボのように夕方とは思えない明るさに周りを照らす。

「ヒカル!、本当に本屋かコンビニにでも避難したほうがいいかもしれないぞ!」

叫ぶようにして、先生は言う。

そうしないと聞こえないくらい、傘を叩く雨の音は激しかった。

「大丈夫!…蜜香さんを見つけるまでは、一緒にいます!」

さっきの電話で、成実先生が駅で待ってろと言ったのに、蜜香さんは駅に居なかった。

田舎の小さな駅なので、夕方になって駅員がいなくなると、ヤンキーが溜まり場にしていたりする。

だから、居れなくなったんじゃないか、とオレは言った。

成実先生は、すぐに蜜香さんの携帯のベルを鳴らしたけれど、つながらなかった。

「蜜は、少々のことじゃあこんなに取り乱したりしない。根はしっかりしてるんだ。なのに、話の要領を得ないくらいに興奮していた。…いやな予感がするんだ」

先生は真っ青になってしまっていた。

オレは、蜜香さんだけじゃなく、成実先生の心配もしなくてはならなかった。

     

…コンビニや、スーパーなど、屋根があって雨宿りにちょうど良さそうな所を中心に蜜香さんを探す。

駅の近くには、商店街があるので、その辺りにいるのだろうと先生もオレも考えていた。

ところが、商店街を端から端まで探しても、蜜香さんは見つからなかった。

成実先生はオレに気を遣うことさえ忘れて、顔面蒼白。ヤバい事になってきた。

「先生、もう一回、駅に戻りましょう。もしかしたら、待ってるかも。それに、これ以上行っても、先生の家から離れてくだけですよ」

事情はよくわからないけど、自分の兄貴に助けを求める時には、そんなに遠くに行かない気がした。

「あぁ。そうだな。…ヒカル、もしお前が家出して、こんな雨の日に行くとしたら、どこだ?」

えっ…。オレ?そうだな。

「学校、かな。誰か友達がいるかもしれないし。歩きなら遠くには行けないし」

学校、と口に出して言ってみて、それが真実に近い気がした。

蜜香さんだって、まだ高校生なんだ。学校に行くかも。

「先生に会いたくて遠くに行かないと仮定して、電車で南高校に行くことはないですよね。

大体、そのつもりなら成実先生のトコに連絡くるはずないもんな。

じゃ、答えはわかったようなもんだ。ね、先生?」

オレは目を輝かせて言った。そう、多分、これが正解。

「中学か!」

そのとおり!

オレが現役で通っている中学は、駅から300メートルほどのところにある丘の上に建っている。

成実先生はもちろん、妹たちもその同じ中学の卒業生だと知っていた。

「行こう!」成実先生は、言うと同時に、駆け出した。

オレも、なんとも言えない高揚感に、自然と駆け出していた。


 

 

誰もいない、グランドに立っていた。雨は止む気配もなく、冷たく降り続けている。

中学の時は、まさかこんなに辛い日が来るなんて思わなかった。

恋が、こんなに苦しいなんて。

…ううん、それだけじゃない。妹に裏切られた事が、苦しくて堪らない。

成ちゃんに電話したことを後悔していた。

成ちゃんは、なっちの気持ちを予想しただけなのに。

絶対なんてひとことも言ってないのに。

私はなっちのことをどう告げ口するつもりだったの?まるで、悲劇のヒロインみたいにカワイソウな自分を慰めるために、私によかれと思ってなっちと両想いかもしれないと可能性を言っただけの成ちゃんにまで後悔させようとしていた。

バカだ。蜜香のバカ。

いくらショックだったからって、成ちゃんまで傷つけていいはずがない。

雨に打たれながら、中学の文化祭で歌った合唱曲が浮かんできた。

 

「おとなの階段のぼる 君はまだシンデレラさ 幸せは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね 少女だったといつの日か 思う時がくるのさ…少女だったと懐しく 振り向く日があるのさ…」

…本当に、来るのかな?そんな日が。

今はこんなに痛い心が、痛まなくなる日が来るの??


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