6.雷
次の日。
梅雨の中休みは終わり、嵐のような雨となった。
屋根を打つ雨の音が激しいリズムを叩いている。
ドアの外で成ちゃんの声がした。
「結花、もう起きなきゃ遅刻だぞ」
ちょっと心配そうだ。昔から両親が共働きなせいで、橘家のリーダーは成ちゃんだ。
私は末っ子なこともあってワガママだから、成ちゃんも苦労が絶えない。
「今日はガッコ行かない。成ちゃん、もう大学行きなよ」
なんて、言ってみたりする。
「何を言ってんだ。体調が悪いわけでもないんだろ?さっさと起きて支度しろよ。…俺は1限は休講だから、お前が出てからで間に合うんだよ」
優しい声。成ちゃんは教師を目指して勉強中で、私は密かに天職じゃないかと思っている。
「外はどしゃぶりで風もビュービュー。行きたくない」
更に駄々をこねてみる。
「ゆーうーかー。なんでそんなガッコ行きたくないんだ?理由があるなら言ってみ?」
だーって、さ。
…私は頬を膨らませながら言った。
「ひとつ。おととい、成ちゃんとみっちゃんが内緒話してたのが気に入らない。…ふたつ。こんな嵐の日に外に出るのは自殺行為。…みっつ。今日は占いが最下位だったの」
…廊下はしんと静まり返っている。
成ちゃん、怒ったかな?
少し心配になってきた所に、低めの成ちゃんの声が聞こえて来た。
「ふたつめの天気について。台風じゃあるまいし、このくらいじゃ電車もダイヤ通りだ。休む理由にはならないと思うな。但し、風邪を引いてたりしたら、この雨で余計ひどくなる可能性もあるから、体調に自信がなければ、外に出ない方が賢明かもな」
抑揚のない言い方は、お父さんの声に似ている。
胸がちょっとだけズキン、と痛む。
「みっつめについて。俺は星占いは信じない。人間は12種類しかいないのか?…答えはノーだ。もっとたくさんの人間がいるし、全く同じ人はいない。つまり、50億人いたら、50億種類の運命があるってことだ。違うか?」
違わない。成ちゃんは正しいよ。
「ひとつめについて。蜜の秘密だから、俺の口からは言えない。だからおとといも隠した。ごめんな。けど、それが理由で学校に行かないというのはどうかと思うけど?」
まぁ、そうだよね。
「みっちゃんの秘密って、何?…なっちに関係ある事?」
多分、そうだろうと思う。思うけど、核心に迫りすぎただろうか。
「なんで、なっちが出てくんの?」
成ちゃんは、相変わらず抑揚のなさをキープさせているつもりなんだろうけど、ほんの少し動揺が声に表れている。
「…違うならいいよ。昨日、みっちゃんが電話してて、声が聞こえてきたの。そこになっちが出てきたから」
廊下の空気が5度くらい下がったような気がする。
私ったら、今日はオカシイ。
いつもなら、もっとうまく言えるのに。こんなのオカシイよ。
「あの、さ。成ちゃん?」
堪らなくなって、成ちゃんに声を掛けてしまう。
すると、成ちゃんは聞こえるか聞こえないかの声で、
「蜜がそんな電話してたか…」
と、ポツリと言った。
それだけで、十分だ。きっと、そうなんだ。みっちゃんは、なっちの事が好きなんだろう。
そして、成ちゃんもその事実を知ってるんだ。
しかも、成ちゃんはそんなみっちゃんの気持ちを応援しているに違いない。
なんで、こんな事になっちゃったの?まさか、こんな事になるなんて。
「成ちゃん、ゴメン。ワガママ言って。けど、今日は許して。今日だけは、ガッコ行けないよ」
「…結花、マジで大丈夫か?ただのワガママじゃないだろ」
ハハハハ。力のない笑いしか起きない。
「成ちゃん、ごめんね。私、本当にダメな妹だよ。みっちゃんみたいに素直でいい子だったらよかったのにね」
じんわりと涙が瞳に溜まって来る。これ以上はもう話せない。話したら泣いてしまう。
「今日は家で留守番してるよ。ごめんね、成ちゃん」
強い口調で言うと、成ちゃんは小さく溜め息をついて、優しい声で応えてくれた。
「南高には俺から欠席連絡するよ。風邪ってことにしとくから。今日だけだぞ?」
うん。わかってる。もう、こんなワガママ言わないよ。
「何かあったら携帯鳴らせよ、結花。…お前も蜜も、大事な妹なんだからな。どっちがいいなんて考えた事もないよ。蜜には蜜の、結花には結花のいいところがあるんだ。忘れんなよ」
はい。
「ありがと、成ちゃん」
ポロッと一粒、涙が転がり落ちる。
こんなに素敵な兄貴が、心配してくれてるっていうのに、私はなんて奴だ。まだ、本当の事、何一つ言えてないよ。
階段を下りる成ちゃんの足音を聴きながら、私は布団を頭から被り、ぎゅっと目を閉じた。涙が、とめどなく流れる。
…苦しいよ。………
遠くで雷が鳴った。
結花は、ブラインドを閉めてソファに座り、そっと潤平の手を握った。
ギュッと、離れないように……
「結花?どうした?なんかあった?」
優しい声。私の事を心から心配してくれてる。だけど、成ちゃんとは違う。私を一人の女の子として見てる…。
「今日はごめんね。急に呼び出したりして。学校もバイトも忙しかったよね?」
私は質問をはぐらかして、大人振る。
いつだってそうだ。背伸びしなきゃ、横に並べない。
「そんなの、結花に呼ばれたら、いつだって会いに来るさ。オレがオマエの事、どれだけ大切か、知ってるだろ?」
いつも、私の欲しい言葉をくれる。
寂しい時は会いに来てくれる。手をぎゅっと握ってくれる。…大好きな人。
「私、もう無理だよ。黙ってられない。成ちゃんにも、みっちゃんにも。これ以上黙ってたら、うちの中がバラバラになるよ」
みっちゃんの気持ちを知ってしまったら、隠してはいられない。
みっちゃんの大好きな、『なっち』と私が、もう1年近く付き合ってるなんて。
「もうちょっと待って。結花が高校卒業したら、結婚を前提に付き合ってます、て言えるから」
そう。去年、付き合い始めた時、潤平と一つの約束を交わした。
ふたりの事は、私が高校を卒業するまで秘密。誰にも言わない。
それが、成ちゃんやみっちゃんが私たちに遠慮しない唯一の方法だと思ってのこと。
だけど。
「ねぇ、黙ってる事が本当に優しさなの?例え傷つけても伝えた方がいいことだってあるんじゃないかな」
潤平の肩に頭を預けて、小さく呟いてみる。
「結花、言ってたろ?喋りすぎて、秘密の話は親友さえも自分に教えてくれないって。そして、その事実を気にしてない振りするのは疲れた、って。…確かに、なんでも言うのはその人を信頼している証拠だし、正直なのはいいことだけど、そのせいで結花は辛い思いしてるんじゃないか。だろ?」
うん。そう。その通りだよ。
だけど、みっちゃんが知ったら、きっと悲しむ。私のこと、恨むかもしれない。
それに、もし黙ってたら、私をちゃんと見てくれてる成ちゃんに悪いよ。言わなきゃ、いけない気がするの。
「結花、どうしたんだよ?この秘密だけは何があっても守るって約束だったろ?」
潤平は私の前髪をそっと分けて、おでこにキスをした。
唇の温もりを感じる。私の好きな、潤平の体温。
私は苦しくなって、彼の首に両手を回し、唇を重ねた。
それは、初めて『イタイイタイ』と心が軋むキスだった。