5.棘
その日の夜、橘家の電話がけたたましく鳴った。
「みっちゃん、昨日はごめんね」
ひと言めから桃代のぶっきらぼうな声が聞こえる。
「なにが?」
私は心当たりがなくて、尋ねた。
「だーから!電車で話してる途中で降りちゃったこと。あんまり楽しそうだから、割り込めなくて」
ああ、そんなこと。
「桃代ったら、律義だねぇ。そんなの、気にしてないよ。大体、桃代の駅に着いたことさえ気付かない私がボケてるのよ」
全く、恥ずかしい限りだ。
「だけど、周りの人に怪しまれたんじゃない?独り言だもん、あれじゃあ」
ハハハ…。本当だよね。だれもいなきゃ、独り言だ。
「それがね、電車に知り合いが乗ってて、私が独り言しちゃってるのに気付いて、横に来てくれたんだよ」
なにを隠そう、その人こそ…
「まさか、その人がみっちゃんの好きな人?」
!!
桃代…。超能力者?
「う…。なんでわかったの?私、まだ何も言ってないよ」
「そうなのね?…『なっち』だっけ?話途中だったけど、付き合ってるの?」
顔が熱くなって来る。
「付き合ってはない、よ。だけどね、兄貴が言うには、多分両想いらしいんだぁ」
私の人生初めての相思相愛ってヤツだ。
人に言うのも初めてで、なんだか心臓がざわめく。
「『多分』?それって、告白もしてないし、されてないってこと?」
う゛っ……。それは…。
そうなんだけどッ。
「まぁ。けど、多分ってところがトキメク、ていうかぁ」
「結局、みっちゃんはフラれないように、『多分両想い』で満足した振りしちゃってるんじゃないの?」
ううっ…。
「桃代、イタイことをズバッと言ってくれるよね」
「ありがと。褒め言葉と受け取っとくわ。…ね、みっちゃん。私は、みっちゃんの事、ずーっと前から知ってるのよ?小学校の時、隣りのクラスの前沢くんと挨拶しただけでハッピーだったり、中学の時、一個上の中田先輩と廊下ですれ違うだけで有頂天だったこととか、全部知ってる。みっちゃんは純粋でかわいいよ?だけど、それでいいの?なっちの事も、前沢くんや中田先輩みたいに、結局期待するだけで終わっちゃって、いいの?…よくないでしょ?」
電話の向こうの桃代の声は、いつもに増して真剣だ。
私の為に真剣に言ってくれてると考えただけで、なんだか、泣きそうだ。
「桃代、よく覚えてるね。前沢くんとか中田先輩とか。私でさえ忘れちゃってた」
「ほらー。なっちもその二人の仲間入りしちゃうわよ、このままじゃ!」
うん、そうだ。
いつもそうだった。
前沢くんはサッカーが得意な子で、いつも校庭を走り回ってた。
周りの男子にも好かれてて、ファンも多かった。
そんなファンの一人になるだけで、幸せな気分になってた。
中田先輩は、生徒会副会長で、朝礼の司会で前に出る度に、ドキドキしてた。
たまに廊下ですれ違っては、キャーキャー騒いでたっけ。
憧れの先輩ってだけだったけど、楽しかった。
本当は二人とも、忘れてなんかいない。
今でもほんのり胸が痛む程度には好きだった。それはそれで良き思い出だけど、なっちが同じになるのはいやだ。
なっちは今までとは違う。
優しくて、爽やかで、そして私の近くにいてくれる。
いつも、私を助けてくれる。そんな人なの。
桃代の言うとおりだ。
このままじゃ、今までの片想いと同じことになっちゃう。ダメだ、絶対。
成ちゃんだって、私を応援してくれてる。桃代も心配してくれてるんだもん。
そして何より、私はなっちの事が大好きなんだ。
私は、右手をギュッと握り締めた。
「桃代、ありがとう。私、なんだか勇気が湧いてきたよ。なっちとは、ちゃんと恋人同士になりたいの。だから、気持ちを伝えるよ」
私の言葉に、桃代は明るい声で言った。
「そうだよ。告白しなきゃ、始まらないわよ。…大丈夫。みっちゃんはかわいいし、話を聞く限りなっちはいい人らしいし、きっとうまく行くよ!頑張れ、蜜香」
頑張れ、蜜香…。
なんだか、やっぱり幼馴染みの桃代に言われると、くすぐったい。
「頑張るよ。話聞いてくれて、ありがと、桃代。おかげで勇気が出て来たよ」
桃代の試験が終わったら会おうね、と約束して私たちは電話を切った。
『なっちとは、ちゃんと恋人同士になりたいの』?
なんで、みっちゃんが?
自問自答してみても、答えは出てこない。
蒸し暑い熱気のせいだけでなく、眩暈を覚えた結花は廊下に立ち尽くしていた。