4.結
授業の合間の女子更衣室。
制汗剤や香水などのメイク用品から、はたまた下着に至るまで、いろいろな持ち物の品評会が行われるのが常だ。
「あれ、蜜香。なんか、いい匂いがする〜」
くんくん鼻を鳴らしながら、クラスメイトの長山真希が近付いて来た。
「んんん?これは、香水だね?怪しい!蜜香は香水付けたこと、ないはずだよ」
真希は鼻が利く。
だけじゃなく、記憶力もいい。
多分、同じクラスの女子の香水の種類、メイク用品のメーカーや、お気に入りの洋服ブランドやなんかは、彼女の脳に強くインプットされているに違いない。
「ね、どうなのよ?蜜香」
そして押しも強い(笑)。
「うん。学校に付けて来たのは初めてだよ。去年の誕生日に、兄貴にねだって買ってもらったんだ。ミニボトルだけど」
「お兄さんって、大学生でしょ?いいなぁ〜。私も兄貴がいたら、おねだりしちゃうのになぁ」
隣りのロッカーで化粧直しをしていた橋本小春がひとりごとのように呟く。
すかさず、真希はキッと睨んで(近視だから、いつも目付きが悪いのだ)言った。
「ハルコは彼氏やらボーイフレンドたちにディオールとかシャネルの香水もらってるじゃないよ」
この真希と小春は、なんでも幼稚園からのくされ縁だとかで、お互いに遠慮のない言い方をする。
「あら、そういう真希ちゃんこそ、こないだ別れちゃった元カレに去年誕プレもらってたよね?なんだっけ〜?ヴィトンのバッグだったかな?別れても大事に使ってるよね〜。未練あるの?」
横で聞いてると、いつつかみ合いの喧嘩になってもおかしくないような毒舌なんだけど、なぜか二人ともニヤニヤ笑って楽しそうだ。
つまりは、喧嘩するほど仲がいい親友なのだ。
「んなことより、なんで蜜香が香水を付けて来たか、てことが問題なわけよ。ね、なんで急に?」
真希は好奇心の塊になって、今にも食いつかんばかりの勢いだ。
「特に理由はないのよ。なんとなく付けてみようかな、て思ったの。今日急に」
本当だった。
いつもは、鏡の横にインテリアみたいに飾ってある香水の小瓶が、今朝はやけに輝いて見えて、付けてみる気になったのだ。
「ふぅん…。なんか、怪しいわね、真希ちゃん。これは、なんか甘酸っぱい香りがするわよ」
小春が耳打ちの格好をすると、真希もおなじように口許に手をやって、
「ハルコ、私が思うに、これは恋だわよ。きっと、彼氏ができたんだわ」
などと言う。
「勝手に決めないでよ。いないわよ、彼氏なんて」
私は、顔が熱くなるのを感じながら、手を振って否定した。
「あれ?けど、蜜香ったら顔真っ赤だよ〜?」
小春がニコッと笑う。えくぼができて、なんともカワイらしい。
「も、も〜ぅ。からかわないでよ!本当に彼氏もできないし、香水も気まぐれなんだからさ。…ホラ、早くしないと次の授業始まっちゃうよ?」
無理やり話を切り上げて、私は体育着の入った袋を提げて更衣室を出た。
真希と小春にはああ言ったけど、多分昨日兄貴から聞いたなっちのことがあったから、私は今日香水を付けてみる気になったのかもしれない。
今朝いつもより15分も早く目が覚めたのも、きっと興奮していたからだ。
なっちのことを考えると、なんだか胸の中がくすぐったいような、心地よいような、不思議な気持ちになる。
だって、大好きななっちと両想いなんて…。幸せすぎて眩暈がしそうだ。
今日の放課後は、橋口酒店に寄ってみようかな…。
自然と足取りは軽くなっていた。
「彼氏と言えばさぁ」
真希は、目をくるんと回して、思い出しながら言った。
「うん?」
小春は体操着を綺麗に畳みながら、相槌を打つ。
「蜜香の妹…ユウカちゃんだっけ?昨日うちの店に来たんだよね」
蜜香の妹は、同じ南高の二年生だ。
蜜香を通じて、真希も小春も挨拶程度ならしたことがある。
「真希んちのケーキ屋に?わざわざ?」
小春は首を傾げる。
真希の実家はスゥイートレモンと言うケーキ屋だ。
店名にもなっているレモンケーキが看板商品で、なかなかの繁盛ぶりだ。
真希も手が足りない時は店の手伝いをする。
だが、スゥイートレモンは、南高にも蜜香の自宅にも遠い場所にある。
近くにあるのは、私立清蘭学園大学部ぐらいのもので、あとは住宅地だ。
バス停はあるけれど、電車の駅は近くにない。
交通の便が良くないので、お得意さんは専らマイカー持ちの奥様たちだ。
そんな場所に高校生が行くなんて、物好きとしか思えない。
「うん、わざわざ。それが、背の高い大学生らしき男と一緒でさ。仲のいい感じで、ワッフルをいくつか買ってった…。多分、彼氏は清蘭の学生なんだろうね」
なるほど、清蘭の学生と付き合っているなら、不自然では決してない。
真希はだが、釈然としない表情だ。
「なによ。納得いかない顔ね…。どうしたの?」
小春も怪訝とした表情になる。
「ううん。納得いかないとかじゃないんだけど、その彼氏をね、なんか見たことある気がして…。誰かに似てるのかな〜?思い出せないや」
真希はまた思い出す時の癖で、目をくるんと回した。
「ナンパされたことがあるとか言わないでよ〜。真希ったら、結構そういうの覚えてるじゃない?前も私のボーイフレンドに『前会ったよね』とか言ってさぁ。あの時は気まずくなったよ〜」
「それは仕方ないわよ。アイツ、ハルコにもナンパして来たんでしょ?常習犯なら、いつかは逃れられない状況だもの」
真希はニヤリと意地悪く笑って、ポン、と小春の肩を叩いた。
「さ、教室帰ろう。チャイム鳴っちゃう」
「こんにちはっ」
橋口酒店は、いつもの賑わいを見せている。
ここは、お酒はもちろんのこと、おつまみやお菓子類の種類も豊富なので、学校帰りの小学生から、今晩のつきだしを探しに来たスナックのママ風の人まで、雑多な人達でいつも繁盛している。
なっちは奥にいるのか、店の中には姿がない。
「おぅ!みっちゃん。いらっしゃい」
橋口のおじさんは、私の名前を覚えてくれている。
なっちに会いに来る口実で、よくお菓子を買うので、お得意さんなのだ。
「みっちゃん、新発売のアイスがあるんだよ。食べて行きな」
小学生におつりを返しながら、二カッと笑う。
尖り気味の八重歯がチラリと見える。
「そうねぇ。アイスにはまだ寒いかな?今日はチョコレートにするよ。…ねぇ、おじさん、なっちは奥?」
こんなに店が忙しくしているのに、なっちが出て来ないなんておかしい、と思いながら尋ねると、案の定の答えが返って来た。
「潤平は今日は休みだよ。なんでも落とせない試験があるとかでさ。大学生てのも大変だよなぁ」
やっぱり、今日はいないんだ。
「そっかぁ…。あ、おじさんこれ頂戴」
私はチョコレート菓子を一箱買って、店を出た。
なぁんだ。せっかく会いに来たのになぁ。残念。
チョコレートをひとカケラつまんで口に放ると、甘くて苦い香りが広がる。
今の私の気持ちにピッタリだと思いながら、小さく溜息をついた。
「こんにちは、おじさん」
いつものようににっこり笑って声を掛けると、橋口のおじさんは、威勢のいい声で答えてくれる。
「ユウカちゃん、いらっしゃい!」
私がこの橋口酒店に通い始めて、わずか三か月。
だけど、このおじさんは、こんな新人の女の子の名前も覚えてくれている。
客商売の鑑のような人だ。
「今日は、那智くんに頼まれて来たの。バイト休んで気が引けるから、結花手伝ってって。バイト代はいらないから」
そして、家から持って来た私服とエプロンを取り出した。
「奥で着替えて来ていいですか?」
「ねぇ、ハルコ。あれ見て」
真希は近視の目を細めて、睨むようにしながら指差す。
その方向を見て、小春はつぶやく。
「あらら、噂のユウカちゃんじゃない。バイト?」
橋口酒店の店先で、掃除をしているのは、蜜香の妹だ。
「やっぱり、ユウカちゃんか。遠いから見間違いかと思って。…だけど」
目をくるりと回して、真希はなにやら考えている。
「どうしたの?」
首を傾げながら、小春が可愛げに尋ねる。
「蜜香はバイト禁止だって言ってなかった?なんでユウカちゃんがバイトしてるのよ?…なんか、秘密の匂いがするわ」
「なによ、真希ったら、香水にとどまらず、そんな匂いにも敏感なの?…やめなよ、あんまり立ち入るのはプライバシーの侵害だよ」
小春は、立ち止まった真希の腕を引っ張って駅前のバス乗り場に誘導する。
だけど…、と真希は思う。
やっぱりおかしい。
一瞬で泡のように消えてしまったけれど、確かに今、ひらめくものがあったのに…。