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春風  作者: 兼田 深瑜
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3.光

「先生、ここんとこもう一回。意味分かんない」


「あぁ。だから、葵の上はだな…」

源氏物語なんて、なんで学校で習うんだ?読み進めば進めるほどに、オレと同じ名前の光源氏が、浮気していろんな女に手を出して、女が不幸になる話じゃないか。

こんなの、青少年にはR指定でもおかしくない。

「おい、ヒカル聞いてる?」

しまった。せっかく成実先生が説明してくれてるのに、聞いてなかった。

「ごめん。先生、もう一回お願いします」

ペコリ、頭を下げる。

「いいけど。ヒカル、最近集中出来てないんじゃないか?体調わるいんか?」

橘成実先生は、大学生で、家庭教師のバイトをしてくれている。

安い時給なのだが、学校の教師なんかより、ずっと教え方は上手いし、生徒であるオレの事も親身になって考えてくれる。

いい先生だ。

大学では教育学部で教師を目指して勉強しているらしい。

こんな先生なら大歓迎だ。

オレが進む高校に赴任してもらいたいくらいだ。

まだ、第一志望の高校も決め兼ねているけれど…。

「古典が苦手な上に、オレと同じ名前の光が女をとっかえひっかえしてる話なんて、勉強する気が起きなくて」

溜息をついて、先生の顔を見上げる。

顎が細くて、男前だ。

もうちょっと服装に気を遣って、髪も定期的に切りに行って、そいでもって、こんなオレじゃなく、ピチピチのじょしこーせーの家庭教師でもしてりゃ、モテモテだろうに。皮肉なもんだ。

「今日だけじゃない。こないだも数学の問題でお前らしくない計算間違いをしてたし、歴史の年号も最近全然覚えてないみたいだ。体調が悪いんじゃなく、疲れてもいないなら、なんか心配ごとか?」

なんだか、良心の呵責が……実は、ちょっと気になる事があるのだ。

いや、気になる人がいる、というのが正解か。

オレは、いつも中学への登下校で、JRの駅の横を通る。

その道すがら、南高の制服を着たある女の子を探しているのだ。

もう三か月も。

それは、風の強い日で、駅の桜が花吹雪を盛大に舞わせていた。

今日から受験生、という始業式の日。

オレはなんともいえない憂鬱な気持ちで、学校への道を歩いていた。

今年の始めから、両親はオレに家庭教師を付けた。

ずっと部活で忙しくしていて、勉強は二の次だったものだから、成績は常に下降気味で、

「やればできる」

はずのオレが、公立高校進学さえ厳しい状態にまでなってしまった。

それが親には許せなかったのか、ある日の放課後家に帰ると、成実先生が遠慮がちにリビングのソファに腰掛けていたのだった。

始めは両親に反発したものの、成績は入学当時から明らかに下がっているし、塾と違って家庭教師なら時間も融通がきいて、部活との両立も難しくない。

しかもこの成実先生と意気投合してしまって、気付けば、両親の策略通り、立派な受験生が出来上がってしまった。

−−そう、策略だったのだ。

お陰で、成績は少しずつ上がって、今なら県立高校進学も夢じゃない。

が、部活に費やされた時間は減り、下級生とレギュラー争いをするハメになってしまった。

最悪だ。オレは、一体何をやってるんだ?勉強をして、県立高校に進んで、それですべてうまく行くのだろうか?成実先生にはいろんな事を相談しているけれど、こんな中途半端な悩みを聞いてもらうわけにはいかない気がする。桜を見上げて、オレは溜息をついた。オレはこの桜と同じだ。散りたいわけじゃないのに、風が散らせていく。前に進む道もわからないのに、周囲が勝手に進めようとする。オレの前に、手抜き工事のアスファルトが広がる。

「キミ、大丈夫?」

絶望感で立ち止まったオレに、セーラー服の高校生が声を掛けた。

「あ、大丈夫、です」

恥ずかしくて、うつむいたまま、オレは言った。

どんだけひどい顔をして突っ立ってたんだ?声を掛けられるなんて、相当だぞ。

「そう?今日から始業式でしょ?体調が悪いなら、無理せずにお休みしたほうがいいよ?」

なおもセーラー服はオレに話しかける。虚しくなってくる。

「鞄、途中で落としたでしょ。気付いてる?」

は?…鞄?……アッ!

「部活の!すいません、ボーッとしちゃって」

オレはなんと、部活用の鞄を途中で落として、そのまま歩いていたらしい。

いくら考えごとをしていたとは言え、これでは笑えないぞ。

「いえいえ。これが結構重くてね、なかなか追いつけなくて。立ち止まってくれてよかった」

にっこり、という擬音が聞こえてきそうな勢いで微笑むと、セーラー服はオレに鞄を差し出す。

確かに重い。

女の子にこんなもの持たせたなんて、オレは…。

しかも落としたら気付けよ、こんだけ存在感あるんだからさ。クスクス、とセーラー服は笑う。

「キミ、おもしろいね。それ、ひとりごとなの?」

…頭で考えていたつもりが、口に出していたらしい。つくづく、オレはバカだ。

「あ、電車が来ちゃう!キミも、遅刻しないようにね」

セーラー服は、あせりながら改札を抜け、風のように去ってしまった。

お礼も言えないまま、オレはしばし、その場に立ちすくんでいた。

それからというもの、そのセーラー服の高校生を探すようになっていた。

せめて、鞄を拾ってくれたお礼ぐらいは言わないと、オレはバカなだけでなく、常識もないダメ人間になってしまう。

けれど、通学の時間が変わったのか、はたまた電車通学をやめてしまったのか、あれ以来、駅で彼女を見つけることは出来なかった。

「先生は、勉強が手に付かない、ていう経験ない?」

オレはたまらない気持ちになって、そう聞いた。成実先生は、小さく笑って言った。

「そりゃ、あるさ。他に夢中になることがあれば、そっちを優先させたくなるのが人間だろ?ヒカルが部活を大事に思ってるのは知ってるけど、部活は高校でもできるし、大学でだってできる。ヒカルは周りが自分の進路を勝手に決めてると考えているようだけど、そうじゃない。ご両親は家庭教師を付けたけど、どこの高校へ行けとは言わないだろ?お前がまだ第一志望高を決めてないと知っても、焦らせたりはしない。それは、ヒカル自身に進路を決めて欲しいからだし、お前が信用されてる証拠だ。手に付かないなら、休憩も必要だけど、自分の未来は自分でしか切り拓けないって事、よく考えろよ」


「…先生は、自分の未来、切り拓いたの?」


「切り拓きたいね。教師になって、生徒を相手に仕事がしたい、ていう目標があるから、それに向かってやれることは全部やってるつもりだけど、まだ答えは見えないな」

成実先生の目は、キラキラ輝いて、オレには眩しかった。

「先生。オレ、いろいろ考え過ぎて、勉強に集中できてなかった。第一志望の高校もまだ決まってないし。だけど、いつまでもこのままってわけにはいかないし、そろそろ本気で考えなきゃ、とは思ってたんだ。志望校も、将来のことも。…来月の模試まで必死で勉強して、その結果で志望校を決めようと思うよ」

そうだ。あのセーラー服の高校生を探しているのも、部活のことも。悩みは尽きないけれど、いつまでもこのまま悩んでるだけじゃ、前に進めない。

オレは、前に進みたいんだ。

そして、その進んだ先が、手抜き工事のアスファルトなんかじゃないことを確かめたい。

その場所にレギュラーの座や、セーラー服が待っているかはわからないけれど、そんなのは些細なことだ。


オレは、あの日の桜吹雪を思った。

季節が変わって、今やっとわかった。

あの桜は、散りたくて散っていたんだ。……新しい実を結ぶために。


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