猫はお好き?
「じゃあ、この問題を⋯⋯黒崎さん。答えてくれる?」
「はい」
指名された黒崎鈴夏は、鈴を転がすような可憐な声を響かせて席を立った。
彼女がスラスラと回答を口にする様を、優弥はただぼんやりと見つめる。
成績優秀で品行方正。その上、運動神経までいい鈴夏は、完璧という言葉が似合う女の子だった。
見目の良さも手伝って男女ともに憧れの相手だと口にする生徒が多い彼女だが、その完璧さゆえに近寄り難いと言われることも多かった。
だが、優弥は彼女の可愛らしい一面を知っている。
休み時間の度にふらりといなくなる彼女が、人気のない場所でどこからか迷い込んだ猫と遊んでいたり、人知れず日向ぼっこを楽しんでいたりする姿を、何度か見かけたことがあったからだ。そこには人前では見せない、彼女の無垢な素顔があった。
自分と行動範囲が似ていることもあってか妙な親和性を感じ、とにかく鈴夏のことが気になって仕方ない。
それでも話しかけるきっかけが掴めず、こうして見ていることしかできない日々が続いていた。
それが一変したのは、ある日の放課後だった。
書店でノートやシャープペンシルの替芯など足りなくなりそうなものを買ったあとの帰宅途中のことだった。
ふと見覚えのある後ろ姿を見つけた気がして、優弥は足を止めた。
艶のある長い黒髪に、同じ学校の制服、しゃがんでいてもなお分かる手足の長さは、黒崎鈴夏の特徴と一致する。
彼女はビルとビルの隙間にある狭い路地の奥にいた。
それが誰であれ、あんな所で何をしてるんだろう、と気になった優弥が狭い路地の中に入っていくと、ニャー、という鳴き声が響いた。
「ニャー、お腹空いたのニャー?」
鈴を転がすような声が聞こえて、路地の奥でしゃがみ込む少女はやはり鈴夏なのだと確信した優弥は、同時に納得した。猫たちの姿を見つけたから、彼女はこんな場所でしゃがみ込んでいるのだろうと。
猫好きの彼女らしいな、と微笑ましく思ったときだった。
「ニャー?」
背後の気配に気づいたのか、可愛らしい声を上げながら彼女が振り向いた。
立ち上がって優弥に目線を合わせた鈴夏が、焦茶の瞳をわずかに細める。
「あら、同じクラスの⋯⋯優弥くん、だったかしら」
「あ、うん⋯⋯名前、覚えててくれたんだ」
驚きと名前を呼ばれた照れくささで優弥の頬が上気する。
鈴夏はほっそりとした白い指を口元に当てて「ふふっ」と微笑んだ。
「私ね⋯⋯あなたのこと、魅力的な子だな、って思っていたのよ」
告白めいた言葉に優弥の頬はますます熱くなり、鼓動が早鐘を打ち始める。
僕も――そう言いたい気持ちはもちろんあったが、奥手な優弥にはハードルが高く、ただハクハクと口を動かすことしかできなかった。
「ねえ、優弥くん」
右の頬に人さし指を当てて鈴夏は小首を傾げる。その仕種は相変わらず可愛らしいのに、熱を帯びた瞳が何故か仄暗く揺らめいた気がした。
「あなた、猫はお好き?」
ざわり、と場の空気が変わった気がした。少し空気が重くなったような感覚がある。まるで、目の前にいる少女が威圧する空気を放っているかのようだった。
「猫は⋯⋯僕も好きだよ」
妙な息苦しさに違和感を抱きつつも彼女に同調の意を示した優弥は、直後に自分に絡みつく何かの気配を感じて怖気立った。
「そう⋯⋯それは良かったわ」
無垢な笑顔を浮かべる鈴夏はいつも通り変わらなく見えるのに、何故かそんな彼女が今はひどく恐ろしい。
優弥はふと気づいた。
ビルの壁に映る彼女の影に、ゆらりと別の影が重なって見えた。
ゆらりゆらりと揺れ動く二股の尻尾――そうとしか思えない影が優弥の視界でその存在感を主張する。
「好きな相手の養分になるなら、あなたも本望よね」
不穏な言葉を口走った彼女の瞳が黄金色に輝いて、優弥はギクリとした。
いつの間にか鈴夏の瞳は金色に変わり、その中心部には縦長の瞳孔が走っている。
怪しく光る猫の目に射竦められて、優弥の身体が恐怖に震えた。
状況を呑み込む暇も、覚悟を決める暇もなかった。
鈴夏の弾んだ声が反響を伴って優弥の耳へと届く。
「いただきまぁ〜す」
優弥が聞いた最後の言葉は、怪しく艶めかしく、それでもなお無垢で無邪気な可愛さを伴って甘美に響いたのだった⋯⋯。




