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第4章 届かない手 触れられない心



深夜。



ドアの開く音がした。




「……蒼太?」




「あれ……先輩? どうして……」




青の顔を見るなり、蒼太の表情が一瞬だけ固まる。




「蒼太、LINE……見てないのか?」




いつも毎日欠かさなかった


「ただいま」


「おかえりなさい」




それが、今日はなかった。




蒼太はゆっくり靴を脱ぎながら、


視線をそらした。




「……すみません」




青の胸に、冷たいものが落ちる。




対峙する二人



「蒼太……話がある」




蒼太は無言のまま立ち尽くす。




(怒ってるんじゃない……蒼太にじゃない。


 怒ってるのは——自分にだ)




青は震える手で、机の上に“成績通知”を置いた。




「——これ、なんだよ」




蒼太は一瞬だけ目を伏せ、


まるで他人事みたいに落ち着いた声で答えた。




「あぁ……それ。


 今日、先輩帰らないと思ってたから……」




「……蒼太。


 学校、行ってなかったのか?」




言葉が震える。




「バイトも掛け持ちして……


 何やってんだよ……!」




蒼太はゆっくり顔を上げた。


その瞳は、どこか“閉じて”いた。




「……ごめんなさい。


 バレちゃいましたね」




淡々とした声。


心の温度が感じられない。




「先輩に……心配かけたくなかったから」




青の胸を、鋭くえぐった。




(違う……。


 怒ってるんじゃない。


 俺は……俺自身が許せないんだ)




「どうして……


 どうして何も相談してくれないんだよ……!」




声が震える。


言葉がつまる。




「俺は、お前のことなら……


 何だってするって……


 守るって……!」




蒼太はほんの一瞬、


痛そうに眉を寄せた。




でも、すぐにまた心を閉ざした表情に戻る。




「……ごめんなさい」




「でも……だからなんです」




「……え?」




蒼太は、絞り出すように続けた。




「先輩ばかりに守られたくなかったんです。


 僕だって……先輩を守りたい」




青の呼吸が止まる。




「……大好きです。


 だから……巻き込みたくなかった」




「蒼太……」




「先輩は夢に向かって進んでいるのに……


 僕だけ立ち止まって……


 足を引っ張りたくなかった」




そう言った蒼太は、


まるで“泣きたいことすら許されていない瞳”


をしていた。




青は、その目を見た瞬間——


自分の心が折れる音を聞いた。






ほんの数秒の沈黙。


でも青には、


その沈黙が底なしの闇のように


長く深く感じられた。




いま目の前にいる蒼太は、


青の知っている蒼太ではなかった。




いや——


蒼太の形をした、別人と対峙しているようだった。




蒼太は、青の視線を避けたまま、


ゆっくりと口を開いた。




「いままで……


 バイトと貯金を使って生活していました。


 でももう……貯金もなくなってしまって。


 学費を稼がなきゃって思って……


 バイトを増やして……


 大学も、


 ギリギリ単位を落とさないまで行かずに……」




青は信じられないという顔をした。




「なんで……


 なんでそんなことに……?」




蒼太は、青を見ない。


視線を床に落としたまま、


まるで壊れ物を扱うような静かな声で続けた。




「……いま、僕……両親いませんから」




「……え?」




胸の奥が、冷たい衝撃で一気に締めつけられた。




蒼太は幼い頃の記憶を語りだす


「僕、小さい頃は……母と父がいました。


 父はプロ野球選手で……


 家にはあまり帰ってこなかったけど、


 帰ってきた日はキャッチボールしてくれて……


 その時間が、すごく嬉しくて……」




青は息をのんだ。


蒼太が家族の話をするのは、初めてだった。




「でも……中学の頃から父はもっと帰らなくなって。


 たまに帰ったと思えば……


 母と父が罵り合って……


 お互いを傷つける言葉ばかりで……」




その表情は、涙よりも深い痛みに染まっていた。




「たぶん……浮気だったんだと思います。


 僕はいつも、2階の部屋で耳を塞いで……


 音が消えるのを待ってました……」




青は胸が痛くて、呼吸ができなかった。




「母は……いつも辛そうにしていて、


 家には‥‥、自分の居場所はありませんでした。


 その中で、……野球だけは……


 野球だけは、僕の味方だった。心の拠り所でした‥‥」




(蒼太……そんなこと……全然知らなかった……)






「だから蒼陵高校に行ったんです。


 ……実家から逃げたかった」




「……高校に入ってしばらくして、


 母から父と離婚したって聞きました」




声が変わる。


まるでどこか遠い場所の記憶を思い出すような声。




「離婚条件は……


 母への慰謝料と……実家の名義変更……


 僕が大学を卒業するまでの養育費の支払い……


 だから、僕は……月に1度、父に会ってました」




青はある“点”がつながり始めていた。




そして、胸の奥でひとつの確信が静かに生まれた。




蒼太がなぜ、


俺とはじめての投球でフォークを投げられたのか


……わかった。




あの時、


初対面なのに


不安定ながらもフォークを投げ込んできた理由。




高校一年生にして、


すでに変化球を自在に操っていた理由。




全て、蒼太の“父親”の存在に結びついていく。




「……蒼太の父親って、まさか……」




蒼太は静かに頷いた。




「はい。


 ウォリアーズの投手……


 岡谷 一郎です」




「あの……一流投手……


 でも岡谷投手は——」




「はい。


 僕が高校3年のとき……


 交通事故で亡くなりました」




青の中で、ニュース映像が蘇る。


“岡谷投手と妻が交通事故で死亡”という報道。




「でも……妻って……」




「再婚相手ですよ。


 顔も……名前も……知りません」




青の胸に、重たい罪悪感が広がった。




(あのとき……俺は大学で……


 蒼太は高校で……


 気づけるわけ……ないじゃないか……


 気づきたかった……気づけなかった……)




「父が亡くなって……


 養育費は止まりました。


 でも母がしばらく仕送りしてくれて……


 父からの慰謝料もあったから……


 なんとか……生活できてたんです」




「……だったら、なんで……」




蒼太の声が震えた。




「母から……連絡が、取れなくなりました。


 最後に来たメッセージが……


 “蒼太、ごめんね”


 それだけで……」




青の胸が潰れそうになる。




「山梨の実家に帰ったら……


 家は……“売り家”になってました。


 きっと……母には男の人がいたんだと思います。


 そういう気配は……ずっと感じてました」




青はついに顔を歪めた。




「……蒼太……」




蒼太の涙が、ぽたりと床に落ちた。




「……先輩。


 家族って……なんなんでしょうね……?」




「僕……


 なんのために生まれてきたんでしょうか……」




その声は、


“泣き声”でも“怒り”でもなかった。




ただ淡々とした、


存在の意味を失った人間の声だった。




青の心臓が痛む。




「……大学、辞めようと思ってます。


 もう潮時かなって……。


 体力的にも、もう限界で……


 単位も……ギリギリで……


 あと1つ落としたら……留年ですから。


 どっちにしろ……やめないといけない」




青は震える声でかすれた。




「蒼太……」




蒼太の告白が終わっても、


部屋は静まり返ったままだった。


だが、その静けさが逆に残酷なほど耳に刺さる。




青は拳を握りしめていた。


震えていたのは怒りのせいじゃない。


自分へのどうしようもない後悔と、


無念と、無力感だった。






(俺は……バカだ)




(蒼太の抱えていた闇なんて……


 本当は、ずっと前から気づけたのに。




 余地はあった……絶対にあったんだ)




青の頭に、過去のあらゆる記憶が一気に蘇る。






──蒼太の両親が一度も試合を見に来なかったこと。


──お盆も正月も、帰省しようとしなかったこと。


──家族について何ひとつ話そうとしなかったこと。






(俺の家は……父さんも母さんも仲が良くて、


 家族で笑い合うのが当たり前だった。




 だから……わからなかった。


 いや……気づこうともしなかったんだ。




 何が……蒼太のこと、わかったつもりで。


 何が……“守る”だよ)




胸の中に溜め込んでいた感情が、一気に爆発した。




「蒼太……ごめんなぁ……」




声は震え、涙が込み上げて喉が詰まる。




「蒼太の……抱えてた苦しみを……


 俺はぜんっぜん分かってやれなかった。


 恋人失格だよ、俺は……!」




「大学は辞めるな……!」




蒼太は目を伏せる。


青は必死だった。




「家賃も生活費も……折半なんかもういい!


 全部俺が負担する!


 学費だって……なんとかするから……!




 来年、就職したら返せるようになる!!


 なんだったら……俺の親にだって——」




その言葉を、


蒼太は鋭い声で、遮った。




「先輩!!


 それだけは……絶対やめてください!!!」




蒼太の声が震え、涙がこぼれ落ちる。




「それだけは……


 本当に……やめてください……」




部屋が静まり返る。




蒼太は、しばらく呼吸を整え、


震える唇で言葉を紡いだ。




「もし……そんなことしたら……」






沈黙。






蒼太は、涙をぽたぽたと落としながら、


震える声で続けた。






「……僕は……先輩と別れます」




「……っ——」




「僕は先輩の重荷にだけは……


 絶対になりたくない……」




「だって……僕は……


 先輩の専属投手ですから……」




その言葉に、青の呼吸が止まった。




「僕は先輩と……堂々と……肩を並べて……


 一緒に前に進みたいんです……。




 お願いです……


 先輩のこと……嫌いになりたくない……」




青は顔を歪めた。


涙が止まらなかった。




「何だよ…、何で諦めるんだよ……!」




「お前だって……夢があるはずだろ!?」






蒼太は涙がもう枯れかけていた。






「夢……?」




静かに首を振った。




「僕には……夢なんてありませんよ……。


 一度も……持ったことないです……」




「……蒼太……」




沈黙が落ちる。




「あっ……ひとつだけありました」




青は顔を上げた。




「僕の夢は……


 先輩が……夢を叶えることです‥‥」




その瞬間、


青の視界は涙で滲んだ。




(何だよ……


 何だよ……そんなの……。




 俺が夢を叶えた時、


 その隣に蒼太がいなかったら……


 何の意味もねぇよ……。




 蒼太のためなら……


 蒼太を救えるなら……


 夢なんか……捨てても構わねぇよ……。




 俺は……バカだ……。


 世界一のバカだ……)






(なにが“蒼太を守りたい”だ。




 俺はまだ学生で……


 親の支援がなきゃ生きられない。


 進路だって決まってない。




 こんな俺が……


 今の俺が……


 蒼太を救えるわけがない。






 手を伸ばしても……届かない。




 触れたくても……触れられない)




「俺は…………」


























(無力だ)


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