第8話 間に合わなかった
治療所に、重苦しい沈黙が落ちていた。
治療魔法の光は、すでに止んでいる。
詠唱を続けていた治癒師たちも、次第に口を閉ざしていった。
誰もが分かっていたのだ。
――これ以上、光を重ねても意味がないと。
英雄は寝台の上で、浅く息をしていた。
胸は上下しているが、その動きは不自然で、どこか途切れがちだ。
俺は、その横に立っていた。
できることは、ある。
だが――間に合わない。
戻すには、あまりにも遅すぎた。
「……まだ、何かあるだろう」
中年の治癒師が、掠れた声で言った。
「お前は、さっき……魔法を使わずに……」
「使わずに、戻せる状態だったからだ」
俺は、静かに答えた。
「これは違う。もう“戻る流れ”そのものが壊れている」
「そんな……」
治癒師は、英雄を見つめ、拳を握りしめた。
俺は英雄の手首に指を当てた。
脈はある。だが、ばらばらだ。
打つたびに、違う方向へ散っていく。
――限界を越えた身体は、もう一つになれない。
「……なあ」
英雄が、弱々しく笑った。
「結局……俺は、正しかったのか?」
その問いは、俺に向けられていた。
だが、本当は――自分自身への問いだ。
「……正しかった」
俺は、はっきりと言った。
「村は守られた。誰も否定できない」
「そっか……」
英雄は、ほっとしたように目を細める。
「じゃあ……それで、いい」
呼吸が、また乱れる。
治癒師が慌てて詠唱を始めかけるが、俺は首を振った。
「もう、やめろ」
「しかし……!」
「これ以上は、苦しめるだけだ」
言い切った瞬間、治癒師の手が止まった。
英雄は、ゆっくりと視線を俺に向ける。
「……最初から、分かってたのは……お前だけか」
「……そうでもない」
嘘だった。
だが、英雄にそれを背負わせる必要はない。
「俺は……怖かった」
英雄が、ぽつりと言った。
「止まるのが。戦えなくなるのが」
英雄の指が、わずかに俺の袖を掴む。
「……お前の言う“戻す”道を、見てみたかった」
その言葉が、胸に刺さる。
――もし、最初に止まっていれば。
――もし、流れを整える時間があれば。
だが、世界は英雄にそれを許さなかった。
英雄の呼吸が、深く一度、大きく乱れた。
「……頼む」
「何だ」
「村に……伝えてくれ」
声が、ほとんど聞こえない。
「無理を……させるなって……」
俺は、強く頷いた。
「ああ。必ず」
英雄は、安心したように微笑んだ。
そして――
それが、最後だった。
呼吸が、止まる。
胸が、動かなくなる。
治癒師が脈を確認し、静かに首を横に振った。
「……死亡」
その一言で、治療所の時間が止まった。
誰かが嗚咽を漏らし、誰かが床に崩れ落ちる。
俺は、英雄の手から、そっと自分の袖を外した。
――間に合わなかった。
それだけが、事実だ。
正しいことをしても、
分かっていても、
救えない命はある。
それを、俺は知っていたはずだった。
だが――
英雄の静かな顔を見下ろしながら、
胸の奥に、重いものが沈んでいくのを感じていた。
この死は、終わりじゃない。
ここから――
必ず、別の“流れ”が生まれる。
そしてその矛先は、
間違いなく、俺に向く。
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