第7話 勝利の代償
英雄が村を出てから、半日が過ぎた。
その間、治療所は不思議なほど静かだった。
昨夜までひっきりなしに運び込まれていた負傷者も、今はない。治癒師たちは器具を整え、村人たちはそれぞれの仕事に戻っている。
――嵐の前の、静けさ。
俺は治療所の外で、空を見上げていた。雲の流れが早い。風も落ち着かない。
(……嫌な巡りだ)
根拠はない。ただ、身体がそう感じている。
「先生」
声をかけてきたのは、昨日助けた少女だった。まだ足取りはおぼつかないが、自分で立っている。
「起きてていいのか」
「はい。寝てるより、外の方が……」
言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「……生きてるって、感じがするので」
俺は何も言えなかった。
それは、当たり前の感覚だ。
だが、この世界では、当たり前じゃない。
その時――鐘が鳴った。
短く、乱れた音。
勝利を告げる音じゃない。
「……帰ってきた?」
少女が不安そうに呟く。
次の瞬間、村の入り口が騒がしくなった。鎧の音、怒鳴り声、担架が地面を擦る音。
「英雄様が戻られた!」
「勝ったぞ! 敵は退いた!」
歓声が上がる。
だが、その中心にいる英雄の姿を見て、俺の喉がひりついた。
――歩いている。
だが、明らかにおかしい。
足取りが不自然だ。重心が合っていない。視線が定まらず、それでも無理やり前を向いている。
「大勝利だ……!」
英雄はそう言って笑った。
その瞬間、膝が折れた。
「英雄様!」
数人が慌てて支える。英雄は倒れなかった。だが、それは“耐えただけ”だ。
「治療所へ! 急げ!」
英雄は担架に乗せられ、再び治療所へ運び込まれる。
村人たちはまだ勝利に酔っている。
――勝った。
――守られた。
それだけを見ている。
治療所に入った瞬間、治癒師たちが一斉に動いた。
「すぐに治療魔法を!」
「今度は重ね掛けだ!」
光が溢れる。
眩しいほどの光。
だが、英雄の顔色は戻らない。
「……おかしい」
誰かが呟いた。
「傷は……塞がっているはずだ」
俺は、黙って英雄の傍に立った。
近くで見ると、状態はさらに悪い。
流れが、完全に限界を超えている。
詰まり、逆流、断絶。
無理やり繋がっていたものが、今まさに崩れようとしている。
「……どけ」
俺は低く言った。
「今、光を当てるな」
「何を言っている!」
治癒師が叫ぶ。
「英雄様が死ぬぞ!」
「もう、死にかけてる」
その言葉に、空気が凍る。
俺は英雄の胸に手を当てた。
冷たい。昨日より、はっきりと。
「……やっぱり、来たか」
英雄が、かすれた声で言った。
目は、はっきりと俺を捉えている。
「……お前の言った通りだな」
周囲がざわめく。
「何を……」
「身体が……軽いと思った時点で、もう……終わってた」
英雄は、苦しそうに笑った。
「勝ったぞ。村は……守った」
「……ああ」
俺は短く答えた。
「それは、間違いない」
英雄の呼吸が、乱れる。
治癒師が必死に詠唱を重ねるが、光はもう“入らない”。
流れが壊れすぎて、受け取る器がない。
「……なあ」
英雄が、俺にだけ聞こえる声で言った。
「まだ……戻れるか?」
俺は、答えなかった。
答えは、もう分かっている。
だが、それを言葉にするのは――重すぎた。
治療所の外では、まだ歓声が残っている。
勝利を祝う声が、遠くで響いている。
その音が、やけに虚しく聞こえた。
勝利の代償は、いつも遅れてやってくる。
そしてそれは――
必ず、取り返しがつかない。
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