第6話 治る男、治らない英雄
朝になると、村の空気は一変していた。
「昨日の人……生きてるらしいぞ」
「魔法を使わなかったのに?」
「少女も、目を覚ましたって……」
囁き声が、露骨に俺の背中を追いかけてくる。
治療所の前に立つだけで、視線が集まる。昨日までの警戒や不信とは違う、期待と戸惑いが入り混じった視線だ。正直、どちらも同じくらい厄介だった。
(……こうなるよな)
俺は内心でため息をつく。
助けた人間が増えれば、評価が変わる。
評価が変われば、要求が生まれる。
それは、どこの世界でも同じだ。
「先生……」
呼び止められて振り向くと、昨日の少女の祖母が立っていた。深く刻まれた皺の奥で、目が潤んでいる。
「この子、本当に……本当に助かりました」
少女はまだ歩けないが、意識ははっきりしていた。布にくるまれ、祖母の腕の中で静かに眠っている。呼吸は穏やかで、昨日の“半死”の気配はない。
「……無理はさせるな。それだけだ」
「はい……はい……!」
何度も頭を下げられる。周囲の村人たちも、それを見てざわめいた。
「やっぱり本物なんじゃ……」
「治癒師様より、効いてるような……」
その言葉に、治癒師たちの表情が硬くなる。
俺は、距離を取るように一歩下がった。
(やめてくれ)
比べるな。
持ち上げるな。
期待するな。
期待は、裏切られた時に刃になる。
治療所の奥では、英雄が準備を整えていた。
昨日の戦いで受けた傷は、治療魔法によってすでに“完治”している。少なくとも、見た目は。
「英雄様、本当に出られるのですか?」
「無理をなさらず……」
そんな声を、英雄は笑って一蹴した。
「大丈夫だ。身体は軽い」
その言葉を聞いた瞬間、俺は眉をひそめた。
軽い――それが一番、危険だ。
感覚が鈍っている証拠。
限界を越えた身体が、無理を誤魔化している状態。
「……昨日、言ったはずだ」
気づけば、俺は英雄の前に立っていた。
「今日は、動かない方がいい」
場の空気が、ぴしりと張り詰める。
「またお前か」
英雄は、呆れたように笑った。
「俺は治った。見ての通りだ」
「見た目の話じゃない」
「じゃあ何だ。気分の問題か?」
軽口のようでいて、視線は鋭い。試されている。
「……流れが壊れてる」
俺は、選ぶ言葉を間違えないように、慎重に続けた。
「今は持ってるだけだ。次に大きく動いたら、戻らなくなる」
英雄は一瞬、黙った。
だが、すぐに肩をすくめる。
「それでも行く」
迷いはなかった。
「俺が止まれば、村が燃える。それだけの話だ」
正論だった。英雄は役割を背負っている。その自覚があるからこそ、無理を選ぶ。
俺は、それ以上何も言えなかった。
言葉では止められない。
無理を選ぶ人間は、いつもそうだ。
英雄は剣を手に取り、村人たちの声援を背に受けて歩き出す。
「英雄様、万歳!」
「必ず戻ってきてください!」
歓声の中で、彼は振り返り、俺にだけ聞こえる声で言った。
「……忠告は、覚えておく」
それだけ言って、背を向けた。
去っていく背中を見送りながら、俺は強く確信していた。
(覚えてるだけじゃ、足りない)
村は今、希望に満ちている。
治る人間が現れ、英雄が立ち、未来が続くと信じている。
だが――
流れは、嘘をつかない。
静かに、確実に、壊れる準備をしている。
俺は小さく息を吐いた。
吐く方を、長く。
それが、この村に対してできる、最後の抵抗だった。
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