第47話 閑話 壊れる前に
あいつが野営地を出てから、季節が一つ変わった。
名前は、最後まで聞かなかった。
聞いても「通りすがり」としか答えない男だった。
俺は副団長だ。
団のことは、団のやり方で回している。
だが、朝の感覚だけは、あいつが来る前と、はっきり違う。
昔は、剣帯を締める時に分かった。
今日は、どこまで動けるか。
肩が、どこで引っかかるか。
今は――引っかからない朝が、増えた。
五年、治らないと思っていた古傷だ。
治療魔法も、薬も、一通りやった。
どれも、痛みを誤魔化すだけだった。
あいつは、魔法を使わなかった。
ただ、触れて、押して、待った。
「治る途中だ」
そう言って、すぐに手を離した。
もっとやれと言っても、やらなかった。
「急ぐと、壊れる」
その一言が、今も残っている。
肩は、完全には治っていない。
たぶん、一生治りきらない。
だが、戻り続けてはいる。
止まらずに、ゆっくりと。
それだけで、十分だった。
――問題は、団の方だ。
あいつがいなくなっても、団は変わらない。
団長は、相変わらず無理を通す。
「代わりはいねえ」
その理屈は、間違っていない。
傭兵団は、壊れる前には止まれない。
あいつも、そう言っていた。
「だから」と、俺に言った。
「壊れる前に、来い」
来るかどうかは、あいつ次第だ。
約束したのは、こっちじゃない。
その夜、若い団員が一人、無理をした。
軽い傷だ。
本人は、笑って動いている。
だが、剣の振りが、わずかに重い。
肩が、流れていない。
俺には、それが分かるようになった。
あいつの真似事だ。
魔法は使えない。
触れて戻す技も、持っていない。
だが、一つだけ、覚えたことがある。
「お前、今日はもう下がれ」
「は? 動けますよ」
「動けるうちに下がるんだ」
若いのは、不満そうな顔をした。
「副団長らしくないですよ。傭兵が、傷くらいで……」
「傷じゃない」
俺は、自分の肩を、無意識に押さえていた。
「壊れる前に止まれってのは、傷の話じゃねえ」
若いのは、ぽかんとしていた。
無理もない。
俺だって、半年前なら笑い飛ばしていた。
団長が、焚き火の向こうから俺を見ている。
値踏みするような目だ。
「副団長」
「何だ」
「お前、変わったな」
「……そうかもな」
否定はしなかった。
変わったのは、肩だけじゃない。
たぶん、それでいい。
夜が更けて、団員たちが眠りについた。
俺は、肩をゆっくり回す。
いつもなら引っかかるはずの場所で、止まっている。
あいつは、今どこにいるのか。
知らない。
神殿に追われていると、噂で聞いた。
止まれない世界で、止まるために歩いている。
らしい話だ、と思う。
俺は、星を見上げた。
息を吐く。
吐く方を、長く。
あいつが教えたのは、技じゃない。
たぶん――
止まる、という判断だ。
団は、今日も壊れる前には止まれない。
世界も、変わらない。
だが、一人くらい、
「下がれ」と言える奴が、ここに残った。
それで、十分だ。
約束は、まだ切れていない。
壊れそうな奴がいたら、止める。
あいつが来なくても、俺がやる。
俺は、もう一度、肩を回した。
――止まっている。
お読みいただき、ありがとうございました。
本編から少し時間を置いて、副団長の側から見た「その後」を書きました。
本編の主人公は、相変わらずどこかを歩いています。
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