第37話 言葉にすると壊れる
翌朝、雨は上がっていた。
空気が重い。
街全体が、何かを飲み込んだあとのように静かだった。
昨日の件は、もう噂になっている。
「触れて、悪化させた」
その部分だけが、切り取られて。
それでいい。
俺は、否定しない。
訂正もしない。
宿を出ると、ルドが路地の角に立っていた。
帳面は、すでに開かれている。
「……書いたのか」
「書いた」
短い答え。
「だが、事実だけだ」
「それが一番、厄介だ」
ルドは、苦く笑った。
「もう遅い」
その言葉の意味は、すぐに分かった。
治療院の前に、人が集まっている。
いつもより多い。
中に入ると、治療官が一人、額に汗を浮かべていた。
患者は、若い女。
昨夜とは、別人だ。
「……例の記録を、試している」
治療官が、低く言った。
胸が、嫌な音を立てた。
「やめろ」
「理論は合っているはずだ」
「理論じゃない」
「だが――」
治療官は、帳面を指す。
「“待つ”」
「“押さない”」
「“触れるのは最小限”」
どれも、俺が言った言葉だ。
だが――
全部、違う。
「順番が違う」
「何がだ」
「全部だ」
治療官は、納得しない顔をしている。
「書いてある通りにやっている」
「だから、壊れる」
俺は、女を見た。
呼吸が、乱れている。
待っている“つもり”で、
中では焦っている。
「……止めろ」
「今さら?」
「今だ」
治療官は、ためらった末に祝福を止めた。
だが、遅い。
女の呼吸が、急に浅くなる。
「……っ!」
誰かが声を上げる。
治療官が、慌てて祝福を再開する。
光が、乱れる。
「だから言った」
俺は、低く言った。
「言葉にした時点で、もう違う」
数分後、女は安定した。
生きている。
だが――
戻れたかどうかは、分からない。
治療官が、壁に手をついた。
「……なぜだ」
「言葉は、結果しか残さない」
俺は、ゆっくり言った。
「判断は、状況と同時にある」
「切り離したら、別物になる」
ルドが、帳面を閉じた。
「……これも、書く」
「書け」
止める理由はない。
治療官が、俺を見る。
「では、どうすればいい」
俺は、首を横に振った。
「どうもしない」
「……は?」
「分からないなら、やらない」
「それも、治療だ」
治療官は、言葉を失った。
期待していた答えではない。
正解でもない。
だが――
嘘じゃない。
外に出ると、空が少し明るくなっていた。
ルドが、静かに言う。
「君の言葉は」
「刃物だな」
「使い方を間違えると、人を切る」
「だが、使わないと」
「何も始まらない」
俺は、歩きながら答えた。
「だから、必要最低限だ」
言葉にすると、壊れるものがある。
だが、言葉にしなければ、
最初から無かったことになる。
その境目は、
いつも、曖昧だ。
俺は、息を吐く。
吐く方を、長く。
言葉は、治療じゃない。
だが――
治療を壊すのも、
また言葉だ。
そのことを、
今日、街は一つ学んだ。
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