第25話 一人だけ、戻る
翌朝、街が騒がしかった。
噂は、早い。
特に――
神殿の治療を介さずに動けるようになった英雄候補
という話は、広がらないはずがなかった。
宿の一階でも、声が飛び交っている。
「昨日倒れた候補生が、朝の訓練に出たらしい」
「祝福、効かなかったんだろ?」
「でも立ってたって」
俺は、黙って水を飲んでいた。
(……出たか)
出られるのは、分かっていた。
あの状態なら、短時間なら持つ。
だが――
それ以上は、保証できない。
街を歩くと、すぐに見つかった。
訓練場の端。
列から半歩だけ離れた場所に、彼は立っていた。
昨日、路地で触れた候補生だ。
顔色は、まだ完全じゃない。
だが、呼吸は落ち着いている。
(……境界だ)
壊れる直前。
戻れるか、落ちるか――
その境目。
だから、戻った。
それだけだ。
治療官たちも、異変には気づいている。
だが、理由が分からない。
「祝福は正常だ」
「数値も問題ない」
言葉が、空を切っている。
彼らの“正常”は、
動けるかどうか、だけだ。
訓練が始まる。
候補生たちが、一斉に動き出す。
剣を振り、走り、声を上げる。
彼は、少し遅れながらも、ついていけている。
――今は。
数刻後。
候補生の一人が、突然膝をついた。
別の一人が、剣を取り落とす。
治療官が駆け寄り、祝福を流す。
光が灯り、二人は立ち上がる。
そして、また動く。
(……戻ってない)
戻っていないから、
何度でも、同じことが起きる。
俺が触れた彼は、倒れなかった。
理由は、単純だ。
壊れる前だったから。
訓練が終わる頃、彼がこちらに気づいた。
視線が合う。
迷い。
そして、決意。
彼は、列を抜けて俺の方へ来た。
「……昨日の人ですよね」
「そうだ」
「立てました」
「動けてます」
それは、報告だった。
誇示じゃない。
「でも」
彼は、言葉を選ぶ。
「……他の人は」
俺は、首を横に振った。
「全員は無理だ」
はっきり言った。
彼の目が、揺れる。
「どうして……」
「戻れる場所に、いたからだ」
「俺は?」
「お前は、まだ壊れてなかった」
沈黙。
それが、現実だ。
「……じゃあ」
彼は、拳を握る。
「俺が、最後だったんですか」
「分からない」
正確には、分かっている。
だが、それを口にする意味はない。
「だが、次は保証できない」
彼は、深く息を吐いた。
「……英雄は」
声が、かすれる。
「英雄は、長くやれないんですね」
「そうだ」
否定しない。
嘘をつく理由がない。
彼は、しばらく俯いていた。
やがて、顔を上げる。
「……教えてください」
真っ直ぐな目だった。
「俺は……どうすればいいですか」
俺は、答えなかった。
答えれば、選ばせてしまう。
それは、俺の役目じゃない。
「……自分で決めろ」
それだけ言った。
「壊れる前に止まるか」
「壊れてから、止まれなくなるか」
彼は、何も言わなかった。
だが、その沈黙は、
もう――流されていない。
訓練場の向こうで、治療官たちがこちらを見ている。
視線は、はっきりと俺に向いていた。
(……認識されたな)
奇跡は、一度で十分だ。
広げれば、歪む。
繰り返せば、嘘になる。
俺は、踵を返した。
背後で、誰かが名前を呼ぶ声がした。
振り返らない。
この街で救えたのは、
一人だけ。
それでいい。
それ以上をやれば、
俺はこの世界と、同じ側に立ってしまう。
戻すことと、
使えるようにすることは――
決して、同じじゃない。
その線を、
俺は、もう踏み越えない。
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