第24話 見なかったことにできない
路地裏は、ひどく静かだった。
夕暮れの喧騒が嘘みたいに、音が届かない。
聞こえるのは、荒い呼吸だけ。
「……だいじょう、ぶ……」
言葉にならない声が、途切れ途切れに漏れる。
倒れかけているのは、英雄候補生だ。
昼の儀式で祝福を受けていた――間違いない。
胸を押さえ、膝をついたまま、呼吸が整わない。
顔色は悪く、瞳は焦点を失っている。
(……戻ってない)
祝福で無理やり広げられた流れが、今、反動で縮んでいる。
受け皿が耐えきれず、詰まりが一気に表に出た状態だ。
俺は、周囲を見回した。
治療官はいない。
通りかかる人もいない。
――今なら、関わらずに済む。
その選択肢は、まだ残っていた。
だが。
候補生の肩が、大きく跳ねた。
呼吸が、さらに浅くなる。
(……間に合わなくなる)
俺は、しゃがみ込んだ。
「触るぞ」
返事はない。
だが、拒否もない。
胸元に、そっと手を当てる。
光は使わない。
祈りもいらない。
流れを、感じる。
(……ひどい)
広げられすぎた通路。
支えきれずに歪んだ要所。
そこに、戻ろうとする圧がぶつかっている。
押す場所は、限られている。
間違えれば、完全に壊れる。
俺は、呼吸に合わせて圧をかけた。
「吐け」
かすかに、反応がある。
「……は……」
「長く」
吐く方を、長く。
それだけで、流れが少し落ち着く。
指先の感触が、わずかに変わった。
詰まりが、逃げ場を見つけた。
俺は、欲張らない。
治すんじゃない。
戻れる状態にするだけだ。
数分後、候補生の呼吸が、少し深くなった。
「……あ……」
瞳に、焦点が戻る。
「……生き、て……」
「生きてる」
短く答える。
候補生は、しばらく何も言えずに、地面を見つめていた。
やがて、小さく震える声で言う。
「……治療官は」
「呼んでない」
その言葉に、候補生の肩が跳ねた。
「だ、だめだ……」
「勝手に触られたら……」
「今は、立てるか」
質問を変える。
候補生は、恐る恐る体を動かした。
ゆっくりと、だが――立てる。
「……立てる」
「それでいい」
俺は、手を離した。
ここから先は、触らない。
これ以上は、戻すを越える。
「……あの」
候補生が、俺を見た。
「あなた……治療官、じゃないですよね」
「違う」
「じゃあ……」
「通りすがりだ」
いつもの答えだ。
候補生は、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
その言葉に、胸が重くなる。
ありがとう、と言われるのは簡単だ。
だが――
(これは、見逃されない)
俺は、はっきり分かっていた。
祝福が効かず、
神殿の治療を介さず、
それでも“戻った”。
その事実は、必ず波紋を生む。
候補生を、路地から表通りへ連れ出す。
人目につく場所だ。
彼は、まだふらついているが、歩ける。
「……これ、内緒にした方が……」
「しなくていい」
「え?」
「隠すと、もっと壊れる」
それだけ言って、俺は踵を返した。
背後で、足音が止まる。
「……名前」
呼び止められる。
「名乗らない」
振り返らずに答える。
路地を抜け、夕暮れの街へ戻る。
何も変わっていない風景。
だが――
もう、元には戻れない。
見なかったことにできないものを、
見てしまった。
そして、触れてしまった。
この街で、
俺はもう――
通りすがりではいられない。
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