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回復魔法が万能な異世界で、俺だけ治さない理由がある 〜触ると悪化するので、何もしない治療師やってます〜  作者: 夜凪レン


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第20話 英雄候補生

 宿は、街外れにあった。


 古い木造で、壁には幾度も塗り直した跡がある。値段相応だが、静かだ。俺は一階の奥の席で、薄いスープをすすっていた。


 味は、悪くない。

 ただ、胃に落ちる感覚が、どこか重い。


 扉が開き、外の喧騒が一瞬だけ流れ込む。

 視線を上げると、見覚えのある鎧が目に入った。


 ――昼の行進にいた少年だ。


 鎧は外しているが、胸元の紋章は隠していない。

 堂々としているようで、どこか落ち着かない。


 少年は店内を見回し、空いている席を探している。

 やがて、俺の向かいに腰を下ろした。


「……いいですか」


「構わない」


 短い返事に、少年は少し安心したようだった。


 近くで見ると、年はやはり若い。

 日焼けの跡が新しく、手の皮もまだ薄い。


「行進、見てました?」


 いきなりだった。


「少しだけな」


「そうですか」


 それだけで、話題が途切れる。

 少年はスープに手を付けるが、あまり飲めていない。


「……俺、選ばれたんです」


 誇らしげに言おうとして、声が少し裏返った。


「英雄候補に」


「見た」


 事実だけを返す。


「すごいでしょう」


 少年は、俺の反応を窺っている。

 称賛を待つ目だ。


「すごいな」


 嘘は言っていない。

 選ばれるだけの理由は、あるはずだ。


 少年は、ほっと息を吐いた。


「家が、貧しくて」

「でも、これで……」


 言葉の先は、言わなくても分かる。


 家族。

 名誉。

 金。


 英雄は、全部を運んでくる。


「神殿の人も言ってました」

「完全に治療するから、心配はいらないって」


 俺は、黙って聞いていた。


 言葉を挟む理由が、まだない。


「今日も、途中で少し苦しくなったんですけど」


 少年は、胸の辺りを指で押さえる。


「すぐ、治療してもらって」

「ほら、もう平気です」


 そう言って、軽く胸を叩いた。


 音が、乾いている。


(……平気じゃない)


 だが、それを口にするのは簡単だ。

 簡単すぎる。


「……なあ」


 少年が、少し声を落とす。


「英雄って、怖いですか」


 予想外の質問だった。


「どうして、そう思った」


「みんな、すごいって言うから」

「でも……」


 少年は、言葉を探す。


「戻れなくなる気がして」


 俺は、しばらく黙っていた。


 忠告すれば、少年は揺れる。

 揺れた先にあるのは、救いか、混乱か。


 俺は、まだ何も背負っていない。


「怖いかどうかは、人による」


 慎重に言葉を選ぶ。


「だが、一つだけ言える」


「何ですか」


「戻る場所を、忘れると危ない」


 少年は、目を瞬かせた。


「戻る……場所」


「戦場じゃない場所だ」


 少年は、スプーンを止めたまま、考え込む。


「……俺、英雄になったら」

「戻る暇、ないですよね」


「そうだろうな」


 正直に答えた。


 沈黙が落ちる。


 やがて、少年は小さく笑った。


「でも、選ばれちゃいました」


 それは、諦めの笑いだった。


「断るって、選択はないです」


 俺は、その言葉を否定しなかった。


 今の少年に、俺が何を言っても、重すぎる。


「……名前、聞いていいですか」


「通りすがりだ」


「またそれですか」


 少年は、少しだけ笑った。


「じゃあ、俺は……リクです」


「そうか」


 リクは、スープを飲み干し、席を立った。


「明日、訓練です」

「また、行進がある」


「そうか」


「……あの」


 振り返って、言い淀む。


「さっきの話」

「戻る場所って……」


 俺は、答えなかった。


 答えれば、彼の流れを変えてしまう。


「気にするな」


 それだけ言った。


 リクは、少し不満そうな顔をしてから、頭を下げた。


「ありがとうございました」


 扉が閉まり、店内に静けさが戻る。


 俺は、冷めかけたスープを見下ろした。


(……言わなかった)


 それが、正しかったのかは分からない。


 だが、今はまだ――

 俺が踏み込む場所じゃない。


 夜、宿の部屋で横になりながら、昼の行進を思い出す。

 整えられた流れ。

 戻されない身体。


 英雄候補生。


 選ばれたのではない。

 選ばされただけだ。


 窓の外で、遠く鐘が鳴った。


 祈りの音か、合図か。


 どちらにしても、

 明日もまた、流れは進む。


 そして――

 その流れが止まる時は、

 いつも、誰かが倒れた後だ。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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