第16話 神殿の影
戦の翌朝、野営地に“客”が来た。
傭兵団の空気は、すぐにそれを察知した。
鎧の音が違う。歩き方が違う。
何より――視線が違う。
「……神殿だ」
誰かが、低く呟いた。
白を基調とした法衣。胸元に刻まれた聖紋。
治療魔法を司る、神殿の巡察神官だ。
先頭に立つ男は若く、整った顔立ちをしている。だが、その目には感情がない。人を見る目じゃない。“確認する目”だ。
「傭兵団長は、どなたですか」
柔らかい声だった。
だが、拒否を許さない響きがある。
団長が一歩前に出る。
「俺だ」
「神殿より、戦後の負傷者確認と治療状況の監査に参りました」
監査、という言葉に、団員たちがざわつく。
「……治療は、うちの治療係が」
団長の言葉に、神官の視線がすっと動いた。
――俺を見る。
「ほう」
興味深そうに、だが冷ややかに。
「あなたが?」
「そうだ」
「神殿の記録には、お名前がありませんね」
「名乗ってない」
神官は、にこりと微笑んだ。
「なるほど。“無資格”ということですか」
空気が、ぴりつく。
「治療魔法を使わずに治す、と聞きました」
「治すというより、戻す」
思わず口が出た。
神官は、少しだけ首を傾げる。
「戻す……?」
「身体の巡りを、元に戻すだけだ」
神官は、一瞬だけ黙り込んだ。
そして、穏やかな声で言う。
「それは、神の祝福を介さない治療ですね」
断定だった。
「神殿では、そのような行為を“未承認治療”と呼びます」
「……未承認、ね」
「ええ。場合によっては――異端です」
団員たちが、息を呑む。
神官は、ゆっくりと野営地を見渡した。
「ですが」
声の調子が変わる。
「結果は、出ているようだ」
副団長に視線が向く。
「あなた、以前は慢性的な魔力障害を抱えていましたね」
副団長の肩が、わずかに強張る。
「……ああ」
「今は?」
「……悪くない」
神官は満足そうに頷いた。
「素晴らしい。実に興味深い」
そして、団長に向き直る。
「団長。提案があります」
嫌な予感が、確信に変わる。
「この治療係を、神殿でお預かりしたい」
ざわめきが、はっきりと広がった。
「代わりに」
神官は、条件を口にする。
「今後の契約において、神殿はあなた方を優先します」
「治療支援も、通常より厚くしましょう」
取引だ。
団長の目が、一瞬だけ揺れる。
それは、傭兵団を率いる者として、正しい反応だった。
神官は、俺を見た。
「拒否する理由は、ありませんよ」
「ある」
即答した。
「俺は、誰かの所有物じゃない」
神官は、驚いた様子もなく微笑む。
「誤解です。保護です」
「同じに聞こえる」
一瞬、空気が凍る。
神官は、穏やかな声のまま言った。
「神殿の管理下にない治療は、秩序を乱します」
「秩序は、人を守るためにある」
「秩序が、人を壊すこともある」
神官の目が、わずかに細まった。
「……危険な思想ですね」
副団長が、一歩前に出る。
「団長」
低い声。
「こいつは……売るようなもんじゃない」
団長は、しばらく沈黙した。
神殿。
契約。
傭兵団の未来。
すべてが、天秤にかけられている。
「……今日は、結論は出さない」
団長が、ようやく言った。
神官は、軽く肩をすくめた。
「構いません。逃げ場はありませんから」
その言葉が、静かに突き刺さる。
「未承認治療は、いずれ必ず問題になります」
「我々は、見ていますよ」
神官たちは踵を返し、去っていった。
残された野営地は、重い沈黙に包まれる。
副団長が、低く言った。
「……来たな」
「ああ」
俺は、短く答えた。
傭兵団との問題は、もう個人的な衝突じゃない。
社会が、動き始めた。
治療を続ければ、捕まる。
拒めば、誰かが壊れる。
選択肢は、もう減っている。
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
その音が、やけに大きく聞こえた。
――ここが、分岐点だ。
次に動く時、
もう“猶予”は残っていない。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




