2.できる女?
慌てて振り返った反動で位置感覚を失った神谷を、パンツスーツ姿の女性がタブレット端末を片手に微笑みながらやさしく捕まえた。
整った髪型に、きりっとした表情。
この展望台は、彼女との待ち合わせ場所として指定されていた。
彼女は無駄のない動きで神谷を捕え、そのままフロアに降ろす。
「スペース・インシュアランス・オルディアよりお迎えにあがりました、セリカ・近藤と申します。以後、案内を担当させていただきます」
そう言って彼女は、右手の人差し指と中指で眼鏡の位置を軽く直した。朗らかな笑顔の奥に、どこか“できる女”を演じているような雰囲気が漂っている。神谷は独り言を聞かれたばつの悪さを感じつつ軽く頷く。
「初めまして、神谷です。よろしくお願いします」
神谷は手を差し出し、握手を交わす。
彼女は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに何か納得したように表情を戻す。
「神谷さん、無重力は初めてですよね? これ、飲んでおきます?」
そう言って彼女は、パッケージ入りのカプセル錠剤を差し出した。
「初めは好奇心で酔いを感じない方が多いんですが、慣れてくると、重力エリアに移動した直後に体調を崩す方が多いんですよ」
言われると心配になり、神谷は錠剤を受け取った。続けて渡されたバルーン容器入りの水を口に含む。そして、薬が飲みやすいよう、重力下にいる感覚で顔を上げて喉の奥に流し込もうとした。
「うっ!?」
水が気管に入り、吐き出しそうになる。彼女はその様子を見て、噴き出した。
「やると思いました。無重力なので、上を向いても意味ないんですよ」
神谷はせき込みを堪えながら、急いで飲み込む。盛大にむせていると、彼女はティッシュを差し出してくれた。
「次に飲む時、意識していないとまたやっちゃいますよ。笑わせてくれてもいいですけど」
いたずらっぽく笑う彼女の表情に、神谷は少しだけ気を緩める。
「こちらへどうぞ。まずはステーション内での登録と、今後の予定を説明致します」
セリカは神谷がスペース規格の靴を履いていることを確認すると、踵を返してムービングウォークへと先導する。
「仕事については、ミドルフロアのオフィスで話します。詳しく話すと長くなりますので……」
その背中を見ながら、神谷はふと首をかしげた。
(……この声、語尾のアクセントに何となく聞き覚えがある様な……)
(たしか、事前の通信で──なぜか映像が映らず、声だけでトア展望台の待ち合わせ場所を説明していた、あの時の、あの子か……?)
「神谷様、以前にこちらの保険部門と何度かやり取りをされていたかと存じますが……」
セリカが振り返り、意味ありげに微笑む。そして控えめな胸を張った。
「その際対応したのは、私です。初めましてではないんですよ」
彼女の表情は、どこか誇らしげで、少しだけ挑発的だった。
(いや……威張るようなことでもないだろ……)
神谷には、セリカが“できる女”を演じているように見えた。
二人はセントラルハブを重力エリアに向かって移動していく。
セントラルハブは、おおよそ20mの円形通路になっており、ムービングウォークは上部と下部、2カ所の展望台を結ぶように設置されている。
今は下部方向行きのムービングウォークで移動中だ。真上には、上部に向かうウォークが設置されている。
トアで初めて無重力を体験する神谷は、セリカに案内されながらムービングウォークの上に立つ。無重力下でも、ウォークはゆっくりと進み、足元には身体を安定させるための微弱な磁力が感じられる。周囲では、職員たちが壁や手すりを使って、三段跳びのような動きで空間を移動していく。
一度壁を蹴って浮かび、空中で姿勢を整え、次の接点に向かって跳ぶ。その動きはまるで体操選手のようで、神谷には到底真似できそうにない。
「慣れると、あっちの方が早いんですけどね」
セリカが笑みを浮かべながら言う。
「でも、初めての方にはムービングウォークの方が安心です。急に回転しちゃうと、止まれなくなりますから」
神谷は、先ほどの事を思い出し、移動する職員の動きに目を奪われながら、ウォークの上を静かに進んでいく。




