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五 過去 余震④

「言い合いはよそう」


 折れたのはぼくだった。サカキバラが口をつぐむ。


 ぼくの外見のせいで、子どもをイジメている罪悪感に襲われたらしい。この隙を有効に使わなくては。


「……ビルの電子ロックは、地震で停電が起きたせいで解除できたの?」


「まあ、そんなところだ」


 あの歌、また聞きたいな……。


「それで、上の階で気絶していたぼくをここに運んだのは」


「おれだよ! 姉さんの頼みでなきゃ、誰が胡忠功のガキなんか触るかよ……ッ」


「もう怒鳴らないで」


 ぴしゃりと兼平樹奈がサカキバラをたしなめた。大きなおなかの上で腕を組んでいる。あごを引いてぐっとこちらをにらんでいた。


「胡錬邦さん、この余震で独り暮らしの不便さを理解したでしょ? もうお父さまのもとにお帰りなさい。あなたは天才児かもしれないけど……特別な才能があろうとなかろうと、たった一人で生きられるほど世の中は甘くはないのよ」


「だけど、あなたはぼくを助けてくれた」


 まるで、立ち去ろうとする母親のスカートにすがりつくような声。ショックだ。それが自分の声だなんて。


「あなたはぼくに親切だ」


 困ったように兼平樹奈がそっと眉をひそめる。


「震災と侵略……。それさえなかったら、顔を合わせることはなかったでしょうね。ごめんなさい、本当はこんなこと、言いたくないの……。わたしがあなたに親切を示すのは、おなかの子のためなの。憎しみはおなかの子を傷つけてしまう。いまわたしに出来るのは、堪えて堪えて……この子を無事に産むことだけ」


 サカキバラが舌打ちし、顔をそむけた。きれいごとを言う兼平樹奈を持て余しているようにも、姉を怒りと憎しみにさらして、母体に負担をかけた自分に嫌悪感を覚えたようにも見えた。


 ぼくは、といえば今まで遭遇したことのない事態に直面しると感じていた。


 非力で無力な弱者の妊婦。


 おなかの子のために、他者を憎まないと決意した女性。こんなにひどい目にあっているというのに。


 どう理解すればいいんだ?


 この人はどうかしているのか? 気が狂っているか、すさまじく愚かなのかもしれない。それとも逆に、世界が狂っていて、彼女に忍耐を強いているのだとしたら?


 母親。自殺した母さん。あの人は死を選ぶことで胡忠功を責めた。


 そう自分に言い聞かせてきたけど、心のどこかでぼくは、母親に見捨てられたと感じていた。


 もし兼平樹奈がぼくの母親だったら、胡忠功を殺してでもぼくを守り抜いてくれたのかも……。


 うらやましかった。兼平樹奈の体内に宿った子どもが。


 ぼくはそんな風に、誰かから守ってもらったことがない。


 息を飲んで彼女を見守っていた時間は、ほんの数呼吸だったと思う。だけど、ものすごく長く感じられた。


 スマートゴーグルの左のフレームが着信音を発した。


 ぼくらは一様にびくっと肩を震わせた。デバイスを介した胡忠功の声は焦れて、不機嫌そうだった。


『錬邦、余震があったな。無事か?』


「……はい、無事です。ここへ来なくて結構です」


『ばかを言うな。もうすぐそこへ着く。電子ロックを開けていなさい』


「いえ、来ないでくだ……」


 通話は一方的に切れた。


 サカキバラが背を向け、螺旋階段へと急ぐ。兼平樹奈とぼくが後に続いた。上の階から一羽のレイブンが飛来して、ぼくの肩に止まる。


 それまでにはぼくら三人とも、エントランスに降りていた。


 あれほどの余震だったのに、外は意外なほど被害はなかった。ソーラーパネルに破損はないようだったし、ビルの礎石にも亀裂は入っていない。


 時刻は午前四時で、東の空が明るくなり始めている。


 古めかしくて傷だらけの、小さなクリーム色のガソリン車が路傍に止めてあった。そのドアに飛びつくサカキバラにぼくは問いかけた。


「ぼくを拉致するんじゃないのか?」


「拉致られてえのか?」


 振り返った彼の顔には、迷いの色が差していた。ほんの少し、からかうような、面倒くさそうな笑み。怒りと蔑みと迷いを包んだ片頬がゆがんでいる。


「錬邦……胡錬邦ってんだよな、てめえはおやじに……おれたちのことを告げ口しなかったな。どういうつもりだ?」


「そんなことはいいから、早く行って」


 兼平樹奈が弟の背中を押す。ガソリン車のドアを引いた。運転席に身を入れたサカキバラが隣のシートを軽く叩いた。


「錬邦……あんた。一緒に来るか?」


「人質、か。面白そうだな」


 さっきまであんなに言い合いをしたのに、どういうわけかぼくはサカキバラに興味を持っていた。たぶん、本音をぶつけあったことがないせいだ。


 社会性の欠如から、敵対者と頭では理解しているのに、気持ちをぶつけあった事実が信頼感を錯覚させ、心惹かれてしまう。よくない傾向だ。


 実際、ぼくをネタに父を脅迫するサカキバラを想像し、本当に愉快になっていた。倭族たちから危害を加えられる可能性が、ゼロじゃないってのに。


「ぼくが怪我したり殺されたりしたら、父はショックを受けるだろうか?」


 一番の関心事がそれだ。


「父はぼくを喪失した場合、どういう心理的ストレスを感じるだろう?」


 ぼくの犠牲で、胡忠功に傷ついてほしいのか? それとも何も感じない冷血漢だと確かめたいのか? なぜ、ああいう父親が、この世に発生したのだろう。党の洗脳か?


「錬邦、あなたイカれてるわ」


 吐息をついて兼平樹奈が首を振ったとき、レイブンがけたたましく鳴いた。炭素繊維の翼を広げ、パステルブルーの明るくなりつつある頭上を旋回する。


 カラス型ロボットはソーラーパネルの向こうへ飛び去った。


 レイブンの目を通して、ぼくの脳内に景色が広がる。


 視えた。


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