五 過去 余震③
暗視スコープ機能を使い、ぼくはセピア色の空間を改めて見回した。
デスクの上にレイブンはいない。ここは二階だ。
ぼくのカラス型ロボットたちは、羽根を畳んで上の階にいる。
思念を送ればすぐ螺旋階段のサカキバラを攻撃するだろうが、巻き添えで兼平樹奈も怪我を負うかも。階段からもし、彼女が転げ落ちるようなことになったら……。
そんな危険はおかせなかった。
「帰りなさい。もうすぐここに、胡忠功本人か、側近たちが駆け付けるわ。あの子を助けるために」
「なんだよ、姉さんの急報を受けて、おれはガキを拉致るつもりで来たんだぜ。抱きかかえてベッドに寝せるためじゃねよ」
「たとえ敵国の子だろうと、戦争の犠牲にしちゃいけないわ」
二人はなかなか室内に入ってこようとはしなかった。
これは想像だ。……たぶん兼平樹奈は、サカキバラがぼくが寝ている部屋に入れたら、どんな乱暴をするかと心配して入り口のところで立ちふさがっているのだと思う。
「きれいごとはよせ! うんざりなんだよ! そこをどけよ姉さん」
とがった声が飛ぶ。
「あんたが胡忠功の息子をかばったと知ったら、義兄さんが浮かばれない」
「死んだみたいに言わないで! あの人は生きて戻るって約束したの! この子が生まれるまでには、絶対に戻って来る」
「現実を見ろよ、姉さん。いまだに行方不明なんてあり得ねえよ! 投降した軍人や抵抗した和国人は龍華大陸の収容所に送られるか、処刑だ。負けた人間は惨めに逃げ続けるしかない。人助けなんかクソの役にも立たないんだ!」
「やめて、大声を出さないで……」
ドアの向こうで、ぼくの気配をうかがう沈黙が広がる。
眠っているふりをするべきだろうか? 迷っている間はなかった。ドアが動き、二人がここへ入ってきた。
セピア色の光りに包まれた兼平樹奈の立像を、ぼんやりとながめた。
初めて会ったときと同じく、片手をおなかに当てている。たっぷりとした白いシャツワンピースのひだが突き出たおなかを丸く形作っていた。
後ろにサカキバラが立っていたけど、なぜか彼女の姿しか意識できない。さっきまでぼくは海の底で彼女とダンスを踊っていた。夢の中で……。
「……目が、醒めていたんですね……胡錬邦さん」
「うん」
こくりとうなずいて、口ごもった。
「おなかの子のお父さん、無事だといいですね……」
他に言うべき言葉があるはずなのに、何も思いつかない。いや、思いついていたけど、声に出せない。
和国人を安全な土地へ逃がす? 国外に脱出させる組織があるのか? 基地はどこだ? そこにはどれくらいの人数がいる? ぼくを拉致するつもりか?
詰問は抜きだ。そんな会話なんかしたくない。
ただセピア色の空間で、穏やかに呼吸していたい。許されるなら、永遠に。
「余震のショックで軽い貧血を起こしたんですよ、胡錬邦さんは。もっと栄養をつけないと。それにロボットを作るのは素晴らしいけど、疲れすぎないようにしてください……。体を壊したら大変ですから」
せかせかと兼平樹奈がベッドを整えながら言葉を続ける。
「サカキバラは力仕事のために呼んだんです。わたし一人では手に余って」
歌を歌っていたのはこの人だ。あの歌、もう一度聴けるかな?
……誰一人……憎まず……裁かず……分かち合う……
……人の子は……むごく蒙昧なれど……
……ひたむきに……瓦礫の中に咲く花となれ……
……母が我が子を思うごとく………命を祈る……
タイトルはなんというのだろうか?
「胡錬邦」
サカキバラが兼平樹奈の二の腕に手をかけて、ぐいと脇にどかせる。彼女の体が揺れ、とっさにおなかをかばって背を丸める様子が見えた。
なぜか、ぼくはカッとなった。
「その人に乱暴するな!」
「なんだと、このガキ」サカキバラが鼻にしわをよせる。「てめえの国の人間の方が、よっぽど乱暴じゃねえか」
「よしなさい!」
兼平樹奈が、にらみ合うぼくとサカキバラの間に割って入る。だけどぼくらは、一歩も引かない敵意に憑りつかれていた。
「サカキバラって、偽名だよね、テロリスト」
「なにがテロリストだ。お前のおやじ、胡忠功は臆病者だ。監視カメラ内蔵のエンブレムを急ピッチで増設しなきゃ、安心できねえんだろ。侵略して制圧したつもりでも、本当は怖くて仕方がねえんだ。臆病者の卑怯者! おれたちはてめえらの奴隷になるつもりはねえぞ!」
「論点をずらすな。ぼくは、その人を乱暴に扱うなと言っているんだ」
「うるせえ! 鬼畜のガキ」
「口汚いぞ! 唾をとばすなよ、サカキバラ。君は本当に弟なのか? 理知的な兼平樹奈の」
いまこんな質問をすべきときじゃない。
胡忠功の息子であれば、龍華連邦共和国のために屈服しない和国人の基地について探りを入れるべきだ。
そして脳内のデバイスを使って「群衆HD」アプリに送信。それですべてが終わる。二人は逮捕され、拷問を受け、基地は割り出されて攻撃され、完全に壊滅する。
そうすべきだ。分かっている。分かっているのに、気が進まない。