五 過去 余震①
七月が終わろうとしていた蒸し暑い夜。
すでにぼくはレイブンを二十羽完成させ、その内の一羽の頭脳にリーダーとなる資質を入力しようとしていた。
テストは明日、と心に決めたとき、ズンと耳鳴りを感じた。
空気が一度に重量を増す。
氷が割れるような音が天井ではじける。ワイヤーで吊り下げた、いくつものロボットの部品がぶつかり合っているのだ。
床が揺れた。デスクが身震いし、積み重ねてあったファイルが崩れる。液晶パネルがぐらりと前のめりになって、何本もの配線につながったまま床に落ちた。
何が起きたのか、とっさに分からなかった。
これが地震だと気づくのに、数呼吸の時間が必要だった。それほどぼくは、災害には縁遠かったんだ。
脳内のデバイスがシグナルを送り、スマートゴーグルに「震度5」を表示。気の利いたことに、頭をかかえてデスクの下に入るよう図入りで説明文が現れた。
ぼくはその通りにした。
膝をかかえて身をすくめる足元に、ペットボトルが転がってくる。
屋上のアンテナは大丈夫だろうか? 四月の大震災に耐えたビルの躯体だ。どこかに亀裂があるかもしれない。いや、あるはずだ。屋根全体がドシンと頭上に振ってくるのでは? 外へ逃げるべきだ。
ぼくはパニック状態になって、デスクから這い出しかけた。
四つん這いになり、立ち上がりかけてペットボトルにつまずき、転んで床に叩きつけられた。その間、ずっと建物は大きくしなうかのように揺れ続ける。
助けて、と叫んだかもしれない。助けて、誰か……。
脳波に反応してレイブンがはばたいたけれど、こいつらじゃどうしようも出来ない。二十羽がどんなに出力をあげても、ぼくの体を空中に持ち上げて窓から外へ運び出し、避難させられるわけがない。
人工知能もロボットも、災害の前には無力だ。
目の前が真っ暗になった。父を恨んだ。
あんたさえいなければ、ぼくは和国になんか来なかったんだ。脳手術なんか受けなかったし、それに……母さんは生きていたはずだ。
意識が飛んだ。何かがぶつかったわけでもないのに。
到達する場のない暗黒世界への墜落。ぼくの意識は暗転した。
……傷つきし……大地踏む……汝の頬は……柔らかに……
……乾きし風に……光り求めん……
……誰一人……憎まず……裁かず……分かち合う……
……人の子は……むごく蒙昧なれど……
……ひたむきに……瓦礫の中に咲く花となれ……
……母が我が子を思うごとく……迷いの鎖をはなれ……命を祈る……
歌声を聞いたと思う。
奇妙な夢だった。薄緑色の海の中で、海面から明るい金色の日差しがやさしく差し込んでいる。
海中では銀色のうろこを輝かせた魚が左右を泳いでいた。
そこでは、白いワンピースをまとった女性が背の高い男性と抱擁を交わして、ゆっくりとステップを踏んでいる。
男の肩越しに彼女の顔が垣間見える。兼平樹奈だ。なぜ海の中にいるのかは分からなかったが、彼女の表情は幸せにあふれていた。
やっと、再会できたんだ。待ち望んでいた、おなかの子の父親に。
ぼくの姿はない。
夢の中だから、小魚になっているのかもしれない。そう思った瞬間、視線が方向を変えた。おかげで、今度は男の顔を確かめることができた。
海流で髪が乱れているけど、彼女の手を取ってゆっくりとダンスをしているのは、しっかりとした大人の男だ。
その顔を一瞥して驚いた。
スマートゴーグルをしていないぼくの顔だ。成長するはずだった、ぼく自身……。
薄く目を開いた。
視界が暗い。
右手をあげ、顔をさぐるとスマートゴーグルの固い感触はなく、代わりに額に濡れたタオルが置いてあった。
この水分のせいで海の中にいる夢を見たのか? それともまだ夢の続きなのか?
タオルを払いのけ、身を起こした。