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四 過去 聖域と彼女⑥

 もとは河川敷公園だったというその場所は、兼平樹奈が告げたように一面が湿地となり、高台にはソーラーパネルが並んでいた。


 以前は高速道路から、河川敷とその向こうの川面が銀色に輝いているのが見渡せたことだろう。


 体に吹きつける風が気持ちいい場所だ。


 ソーラーパネルに囲まれるようにして、鉄筋コンクリート造りの三階建てビルがあった。


 外からは円柱形に見えるビルは内部も特殊な構造で、中心に螺旋階段があった。


 もしかしたら、河川の監視塔か、貯水槽の管理ビルだったかもしれない。


 ぼくはそこを新しい聖域にすると決めた。




 その日の午後から必要な器材が運び込まれ、足りない精密器具を注文する。缶詰やパン、レトルト食品、ペットボトルの水などを殺風景なビルの一階に満たし、二階には簡易ベッドを置く。


「まるで、ここに立て籠もるみたいですね」


 搬入するバッテリーやロボット部品を検品しながら、兼平樹奈が呆れたように目を見開いた。


「三階は研究室です。屋上に巨大アンテナを設置。これで天眼ネットで配信される情報以外も、手に入ります」


「やっぱりここに、立て籠もるつもりでしょ?」


 お父さまが心配しますよ、と再三口にする兼平樹奈を無視したけど、内心ではちょっとお互いに、からかいあっている気がした。ぼくの錯覚かもしれないけど。




 新しい聖域に、液晶パネルやコンピュータで構成される祭壇が出来上がるまで、兼平樹奈は細かいところを整えてくれた。二階の住居空間にソファを置くよう勧めたのも彼女だ。食品棚に新鮮なオレンジを用意したのも。




 電子ロックを玄関に設置したのは倭族の若い男で、本当ならぼくと歳が変らないように見えた。


 兼平樹奈が手配した電気工事の専門業者だ。


「なんだよ、じろじろ見やがって。倭族が珍しいのか? ここは和国だぜ。ふん、サカキバラってのがおれの名前だ。覚えとけ」


 横目でじりっとにらんでくる固い表情、ぶっきらぼうなしゃべり方。父の側近がこの場にいたら、「社会秩序を乱す過激主義者」のレッテルを貼ってすぐ拘束するところだ。


 黒目が勝った奥二重、すわりのいい鼻のあたりは兼平樹奈の顔立ちに似ている。……というか、スマートゴーグルの顔認識機能が反応した。


「……君たちは、姉弟?」


 スマートゴーグルに映る二人の顔貌の相似が、一つの解をはじき出している。


 サカキバラはサッと顔色を変えて、強くかぶりを振る。背をむけてドアの電子ロックと、リモコンを調節しはじめた。


「あの、電気業者が何か?」


 恐る恐るといった調子で、兼平樹奈がぼくに声をかける。差し入れのチキンスープと、サンドイッチを詰め込んだランチボックスをデスクに置きながら。


「あいつと君、家族じゃないかと思って」


 背を向けているサカキバラをあごで示し、ぼくは兼平樹奈の反応を待った。彼女はまばたきし、曖昧に微笑んだ。


「いいえ、違いますよ」


「だけど、彼が名乗ったときの声の抑揚には、虚偽のシグナルが」


「ちゃんと食べていますか? チキンスープは薄味かもしれないので、気に入らなかったらシンクに捨ててくださいね」


 少し強引に彼女は話題を変えた。




 聖域ができあがると、初志貫徹を誓ってぼくは何者もビルに入れようとはしなかった。訪問者との会話はインターフォンで済ませる。胡忠功と、彼に媚びる軍の幹部連中が訪れたが、レイブンで追い払った。本当に聖域に立て籠もり、レイブンを相手に一生を過ごすつもりでいた。


 それでも例外が発生するのが人生だ。


 返さなきゃいけないんだ、彼女に。


 おいしいスープとサンドイッチをありがとう、と書いたカードを添えて空になったスープポットとランチボックスを玄関先に置いた。


 ちょうどそのとき、あちこち傷があるクリーム色の小さなエンジン車が道に現れた。


 運転席から降り立ったのは兼平樹奈だ。


 実のところ、スマートゴーグルで数キロ先にこの車を発見し、三階から降りて来たぼくだ。


 なぜか居心地の悪い気分で、ランチボックスを彼女に手渡した。


「おいしかったです。どうもありがとう」


「お口に合ってよかったです。根を詰めないでくださいね。定期的に顔を出しますから、そのときは何か用事があったら遠慮なく言ってください」


「掃除や洗濯物は、全部ロボットにさせるので、いいです。用事なんかありません」


「ええ、だから、何かあったときに」


 なんだこの不毛な会話は。なぜさっさと打ち切らない?


 ぼくは待っていた。彼女が「レイブンの製作は進みましたか?」と聖域に入りたがるのを。積極的に研究を手伝ってくれるのを。


 彼女だけはここに入れてやってもいい。隣で静かに座っているだけで、くつろげる。


 ばかな、なぜそう思う?


 なぜ妊娠した倭族の女を、胡忠功はぼくに近づけたのだろう。


 考えられるのは、彼女がぼくにとって「脅威」には成りえないからだ。


 女で、しかも妊娠している。弱者の中の弱者。


 ネットで妊娠中の女性の体調について検索した。最初は後ろめたかった。まるで彼女のプライベートをのぞき見しているみたいで、気恥ずかしかったし、医者でもないのに妊婦のあれこれに興味を持つなんて、卑猥ないやらしいことのように思えたから。


 彼女の胎児はいま、どのくらいだろう?


 つわりや貧血を克服できたのか? 転倒しただけで、流産してしまう危険な時期は過ぎたのだろうか?


 いまこうしてネット検索している間、彼女の内部では温かい羊水で満たされた空間で、指を吸っている胎児がいる。


 そう思うと不思議な気がした。まるで自分が体を丸め、宇宙空間にただよっているかのような。


 結論として導き出されたのはやはり、彼女がぼくにとって「脅威」には成りえないことだ。


 もし彼女が龍華連邦共和国の人間を憎んでいたとしても、態度で示すことも言葉に出すこともできない。ぼくを傷つければ、ぼくの世話役から降ろされて露頭に迷う。混乱している倭族自治区で、体内の赤ん坊を無事にこの世に産みだすためには安定した収入源を手放すわけにはいかないだろう。


 父もまた、そう判断したのではないか?


 だから兼平樹奈をぼくの世話役に当てがった。


 いや、もしかしたら、父はそこまで計算していなかったのかも。


 龍華語を流ちょうに話す若い女性。近い将来、母親になる女性。ぼくの面倒を見させるのにちょうどいい。


 ただそう判断しただけのことかもしれなかった。


 とにかくぼくは、週に四日、何かと話し相手になってくれる彼女を心待ちにし、レイブンを進化させていった。

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