第5話:忠義と記憶の距離
「……あの、陽翔くん」
放課後の昇降口――帰り支度をしていた陽翔の背後から、おそるおそる声がかけられた。
振り返ると、そこには1人の女子生徒が立っていた。
黒髪を肩にかかるくらいに揃え、伏し目がちで、制服の着こなしも地味で目立たない。それでも、陽翔にはどこか“違和感”があった。
彼女は、何かをこらえるように、まっすぐこちらを見て言った。
「……私、アリア。覚えてないと思うけど、同じクラス……で、異世界にも一緒に行ってた」
「……ああ……名前は、たしかに、クラス表で見た気がする」
「うん……。でも、異世界では……私は、陽翔くんに、命を救われて……ずっと、あなたの“奴隷”だったの」
「……奴隷?」
言葉の重さに、陽翔の眉がひそめられる。その言い方が現実離れしていて、まるでファンタジーの延長戦のようだった。
「奴隷にされた私をあなたは助けてくれた……だからあなたにすべてを捧げた。戦場では背中を預けられたし、日常では誰よりも近くにいた。……私にとって、あなたは“ご主人様”だった」
陽翔の目が泳ぐ。
(俺の知らない“俺”を、また……)
「でも、それは……“もういない俺”なんだよな。覚えてないし、お前に何をしてやったかも、どんな奴だったかも分かんない」
「わかってる。でも……記憶が戻らなくてもいい。今の陽翔くんが苦しそうで、それが……つらくて」
アリアは、少しだけ顔を近づける。
「だから……もし迷惑じゃなければ、また“そばに”いさせてほしい。私は、何かを要求したりはしない。ただ……助けてくれたあなたのために、何かしていたいの」
その真剣な瞳に、陽翔は視線をそらした。
(まただ……俺は、何も覚えてない。なのに、何かを期待される。応えられないのに、応えてほしいって目を向けられる……)
「……好きにしろよ。ただし、“奴隷”とか“ご主人”とか、そういうのはやめろ」
その言葉に、アリアは少しだけ寂しそうに目を伏せ、それでも小さく頷いた。
「……はい。ありがとう、陽翔くん」
──
その会話を、少し離れた校門の影から見ていた少女がいた。
美月だ。
彼女は、アリアのことを知っている。異世界で、誰よりも陽翔の傍にいた静かな少女。その忠義の深さは、美月が嫉妬するほどだった。
(……あの子も陽翔くんのことが……、私は――)
美月は、アリアの切実な想いを理解していた。そして、その想いが陽翔にとってプレッシャーになってしまうことも、同時に理解していた。
(私は、急がない。でも、絶対に……もう一度、陽翔くんの“隣”に立つ)
その誓いを、心に固く刻む。
──
一方、陽翔の胸中は、ますます複雑になっていた。
(……なんなんだよ、俺は……“誰”だったんだ……)
自分が知らないところで、誰かにとっての“特別”になっていた。それが、こんなにも息苦しいとは思わなかった。