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第五話その一 航海へそして発見へ

 これからどんどん一話あたりの量が増えてしまって二部構成なる可能性が高いのですが、お付き合いいただけるとありがたいです。


 最後のウィアードが出てきます。まだ、まともな部類だと思います。



  十一月中盤、冷え切っている台所へ目覚めた頭のまま歩き出す。

 妻が亡くなってから永遠の眠りにつくかと思われていたその場所は、私の到来を待ち望んでいたかのように窓から薄陽が差した。

 そっと、電気をつければその薄日も消えた。


 修也という、日本人と別れた後の帰り道どこか浮き足立つ気持ちのまま、その時の勢いに身を任せて書店で購入した日本食の本。


 我が英国はどうやら世界から見ても食事が喉を通らないほどだと有名だが、このように一応のレシピ本くらいはあるものだ。


 私個人としても、妻が床に臥している時やたまに本が上手く書き進んだ時や、何かの祝いの際には隣に立ったものだ。それに一人で暮らしていた所謂駆け出し作家の時も、よく一人で自炊をしていたものだ。


 まぁ、つまり私は料理がそこそこできるというだけなのだが。



 日本の食材全てがこの英国で買えるというわけではない。食文化の違いや、需要と供給の話である。

 対して購入者がいない商品を扱ったところで、金が降ってくるわけではない。

 だが、何とかあるものでできる料理を探しながら店を徘徊したのは少々恥ずかしい気持ちである。羞恥心であった。久方ぶりに感じたその頬が赤くなる気持ちは、若返ったような心地もする。


 

 さて、所謂お弁当なるものを作るのだが。


 彼がどれほど食べるのかをここ最近の付き合いによって把握をしているため、早く初めてしまおう。

 現在の時刻は朝の五時である。鳥の囀りも羽ばたきも窓の外で朝を告げている。


 昔、妻からもらったエプロンを身に付け手を冷水で洗えば懐かしい記憶が流れ始めた。


 

 ロンドン中心部へ彼と会うために行くときは大抵バスか電車を使うものだが今日は東の方へ行くのだから、車を使う。というより、ただ車と走りたかったのかもしれない。


 「あぁ…本当に久しいな。貴方に乗るのは妻が旅立つ前でしたか」


 車庫の中へ入ればそこからは少々埃っぽい匂いがする。そして、土の匂いも。

 コンクリートの地面と革靴が擦れる音を聞きながら、片手に弁当箱を二つ、セオドアに関する書物をいくつか入っているカバンを持ちながら、思い出したように車へ乗り込んだ。


 最近の日本産の車も好みでああるが、私は昔ながらの古風な小さい車が好きなのだ。黒と白で均一になっており、ハンドルも今と比べれば細い。だが、そのバランスがいいのだ。


 久しぶりの匂いであった。変わらないその車の中の匂いが、また鮮明に記憶のテープが流れる。

 妻と共に草原へ向けてドライブした思い出も、二人で真夜中のロンドンを徘徊したことも。この車でどこまで行けるか試してみないかと、朝から出かけたことも。


 大通りを走っていれば、数人の人々が私の車を気にする。年代を考えさせないその軽やかな走りは記憶通りであった。

 

 さて、ホテル付近へ着くと周囲を気にするように見渡しているあの男性がいた。

 昨日の忠告通り冬毛の鳥のように着込んだ彼はひどく寒そうである。


 空の曇り空と寒さの中に彼から漏れた白い煙が宙を漂っているのが見える。クラクションを鳴らすにも早朝故に、ライトを点滅させれば彼はこちらに目を輝かせている。

 「サクリファさん!おはようございます」

「えぇ、おはようございます。遅れてしまいすいません。どうぞ、助手席へどうぞ」

「はい、失礼します。

 それにしてもアンティークな車ですね、僕好きなんですよね」

 恐る恐る車内に入り込むと、彼はカバンから地図を取り出した。横目に入ったそのカバンの中にはいつもよりも数は少ないが、本やメモ帳が残っている。

 隣で慣れない車から見えるロンドンの景色はいつもよりも臨場感があるようで、先ほどから何も耳に入っていないらしい。


 昔は馬車が通っていたこの通りを今はガソリンが手綱を握るように、颯爽と駆けていく。

 早朝が似合う時間と空の中私たちは東へと向かって行った。


 その時、ふと男性が呟いた。

 「セオドアの作品に映る人々、本当にいる人物だったりとかするんですかねぇ」と。


 私はただ、ハンドルを握りながら細くなった目のまま彼に答えた。


 「その可能性は高いでしょう」と。




 1800年代ロンドン 八月_


 「こちらの書類とその書類、加えて棚の上にある書類にもサインを。

 あと、こちらあの“自画自賛自称航海士兼芸術博士“から次回の取引予定の、芸術品の一覧だそうです。目を通してください。


 これはあの綿織物工場の資本家からの提案だそうです、自分たちの販路拡大に手を貸せと。利益は山分けですが、まぁ彼も口が上手いですから山の麓が見えたらいい方でしょう。口は上手くても顔は社長を手本にしていただきたいですね。


 これは毛織物のあの職人殿からです。どうやら、綿織物のように機械化は免れましたが、中々苦しい状況なのかもしれませんね。救いの涙でも流して差し上げてもいいんじゃないですか?私ならここで恩を売ってあげときますけど。


 さ、最近アリス嬢を言い訳に仕事をサボられたツケを払っていただきますよ。利子は付けてありますからね!」

「まぁ!セオドアが言う通り、策士さんだわ」

「本当にルネサンス期にでも戻ってしまいたいですね…そしたら画家として僕も食っていけるかもしれません。


 どうでしょう、コルベル派とかパッツィーア派とかエズルタンツァ派とか、案外いけると思うんですけどね」

「皮肉ですか?口を動かせる位の余力があるなら、芸術の開拓をする必要性はないと思うんですがね。」



 隣で孤児院で母から習ったという計算や、書類をまとめたりしているアリスは二人の子供のような言い合いにクスリと小さく微笑んだ。


 ただ、セオドアが言い出した派閥が本当にあるのかどうかはわからない。その言葉でさえ耳にしたことはない。だから彼女はそっと隅に避けて置くことにした。だが、いつの日か彼女はそれをそっと両手で包み、納得し後悔する時が来る。それはもうすぐのことである。


 会社の書斎で最近光が芽生えつつあった瞳がまた失いかけている彼は、羽ペンを持つとインクに付け今日何度目かもわからない自分の名前を書いた。


 セオドア・コーマン


 あのこの前の劇を見てから自分の中で何か歯車が動き出した気がしてならない。背中で自分を絞める少女の悪魔の手は着実に自らを殺しにくる。


 コーマン一家。東にある湖の近くの村に行けば、その名を聞くとそれまでにこやかであった人々は皆、眉を顰め足早に消えていく。

 だが、違うのだ。違う、家にはあの家には自分が妹と思う妹であろう女性がいるはずだ。

 両親も汽車に乗ってロンドンへ行くと言って、帰ってきたはずだ。そして何もなく、いつも通りだった。その道から外れたのは自分だけ。森で眠っている少女は…誰であったか?違う、あれはあの女に取られたのだ。それを、返して欲しくて…



「社長!!本当にどうしたんですか!?


 急に動かなくなるし、あの劇を見に行くとおっしゃられた時から変ですよ。話なら聞きますよ、書類を片付けながら」

 目の前で焦ったようにセオドアの左手を掴んだ策士はやはりどこか焦ったように、驚いたように、怖がるように見えた。だが、策士は策士であり抜け目はなかった。


 そっと離れていく男性の手から自信の左手も抜き取り、片眼鏡を取り軽く拭くと「いえ、何も」とだけ返した。


 隣に座るアリスですら、不安気に見つめている。彼女も何かがおかしいと気づき始めているのかもしれない。



 異常な空気と胸を押し潰そうとするような雰囲気に耐えきれなかった。だが、社会というもの、もっと言えば人間関係とは信頼が作る秩序である。それを0から自力で積み重ねた自分の努力を捨て去る勇気はない。


 今この会社を捨てるのも勿体無い。「何もないですから」とだけ、小さく返せば二人はそれ以上の干渉を控えた。


 だが、策士の目は神の目であるようになんでもわかっているのであろう。そう、たった一回の劇、それだけでこれまで揺れることがなかった男がここまで仮面の下を見せそうになるほど、壊れ始めているのだと。

 


 「ねぇ、セオドア、策士さん。自画自賛自称航海士兼芸術博士って、誰のことを言ってるのかしら?

 なんだかかっこいい肩書きのように聞こえるわ」

「え!?あれのどこがですか?!」

「…アリス。その女は肩書きという名の偽看板をぶら下げた保険補償なしの旅行会社、もしくは偽物を堂々と売り出す宝石屋もいいところです」

 二人はそれまでの片方が睨み、片方は背を向けるような雰囲気から一変し両者共に苦い顔をしている。



 信頼をしてはいるが、完全な信頼を得るには不十分などこか隙がないが…見る目はある、何より彼以外に任せるには少々困るところがある。二人の言い分をまとめたアリスの見解である。


 策士ですらリードをつなげることができない人物として社長と彼がいるというのを本人から聞いた時、セオドアでさえ苦笑していた。

 彼が初めて見せたその笑みに少女はこれが開拓の道かと心が躍ったのであった。



 彼はあの孤児院から旅立った時に比べるとかなり笑みを浮かべてくれるようになった。顔が自由に動けるようになったという方が似合っているかもしれない。

 それがアリスは嬉しいのだ。


 しかしそれと並行し二人が呆れるほどの人物を一目でいいから目に入れてみたいと思う気持ちがあることも確かであった。セオドアというどこか猛犬のような忠犬ような独特の性質を持つ男のリードを、軽くではあるが掴めている策士が、両手を空に上げるほどの人物。

 どことなく、チェーロや彼のように“ウィアード“であるのだろうかと思った。



 おそらく態度に出ていたのであろう。二人がアリスを困ったように見つめている視線に気がついた。

 「アリス嬢、そんなに気になるならばいっそ会ってみるのも一手とは思いますよ。

 おそらく二手目を彼女のために打つことは貴女ならしないでしょうし」

 アリスの仕事場として策士が用意してくれたアンティークな小机に紅茶が置かれると同時に、セオドアの方へも同じティーカップが置かれた。

 そして、彼自身にも。差し出した本人は最近紅茶が口に馴染んできたらしく、よく淹れてくれる。

 だが、紅茶に向ける微笑みも話題が話題なため彼の顔はどこか遠くの方を見つめている気もしなくはない。



 瞬きをしながらセオドアを見れば彼も策士を睨みつけるような冷たい視線を送っている。どこか責め立てるような視線であった。


 これはたまにチェーロや孤児院の女性からの手紙やパルフェからの手紙をもらった時に見せている、不快感を示す彼の行動である。



 「なら、三手目を打つかもしれないわね。ねぇ、彼はどこにいるの?」

「…はは、これはさすが社長の側室でいらっしゃるだけはありますな。

 度胸が獅子よりもおありで…彼は今会社にいますよ。つまりこの建物内に。

 この部屋を出て二回建物を下に下がった後、階段の左手の突き当たりの部屋。様々な木箱が乱雑に置かれている廊下と覚えてください。そこにいますよ、この会社きっての芸術評論家(自称)殿は」

 それだけ言うと、策士は「どうぞ社長も、今度の取引ついでに海に行かれるなら顔を合わせておくべきでは?」と、また社長の心を覗いたのであった。



 どこか見透かしているような言動と、勝手な行動に不快感を感じつつも好奇心で生きているような少女を一人で行かせるわけにもいかず、羽ペンをペン置きに刺すと軽く頭を下げ、少女の手を取り出て行った。



 「出かける時はいつも手を繋ぐ、どこにいても一緒。彼の方のおっしゃる通りで。

 …ですが、社長のおっしゃる汽車を下車した後のホームで巡り会えるのかは…言わないでおきましょう」

 『なんとも皮肉、ですねぇ』と言い、一人書類仕事へ戻る策士は傍観者のスタンスを崩すことはなかった。今後もそして過去も、ずっと。



 少女を片腕で抱き上げ、スーツの下に隠れる筋肉で支えあげ階段を二階分下る。

 長方形のシンプルなデザインの窓が均一に並んだ濃緑な廊下と、これまたダークな木目調な床を歩いていれば、その場に不自然なほどに似つかわしくない木箱が並んでいた。並んでいるのもおかしい、投げられていたと言う方がいいだろう。



 「どうしても会いたいのですか?」

「えぇ、セオドアがそれほどまでに苦い顔をする人ってパルフェさんを除いたら初めてですもの!

 ちょっと気になるじゃない」

「…パルフェとこの人は違う意味で僕は苦手です」

「そうなの?例えばどんなところかしら」


 尋ねてみると、男は困った顔をした後宙を見上げた後少女の瞳を優しく見ると困った声で答えた。


 「僕と対等であるのが彼女で、僕を舞台に上げ観客席とも言える玉座で見下ろすのがパルフェです」と。

 『趣味は二人とも合いませんけどね』

 そう言った彼はどこか苦しんでいるようにも見えた。枯れる寸前の薔薇のように儚いようであった。



 価値観は合わないが人間関係であれば対等になれる男。アリスはよくわからなかった。人は皆対等な友人であり得ると思っていたからだ。

 


 「アモーア・ソレダッド、失礼しますよ。セオドアです」

 セオドアはそれだけ言うと、部屋の主の返答も聞かずドアノブに手をかけ部屋に入った。



 社長室と変化がないように見えるその部屋から相違点を探せば、やはり部屋中を埋め尽くす本と絵画と木箱と宝石と陶磁器と…そう、奢侈品である。


 全てを売れば会社の利益がより右肩上がりになると思われるほどの量と窓からの光の差が素晴らしいほどだ。そしてその役目を失った書斎で室内の主の女が書斎に腰掛けている。


 綺麗な茶髪で曲がり癖がついたその髪は三つ編みで下で編まれた。肩へ流れ胸の横を通り過ぎ腹の真ん中でやっと終わりを迎えている。瞳で眠る森のような濃緑は光を放ちながらこちら二人を射抜いている。野花に咲く一輪の花、それが相応しい女であった。


 「どうぞ、ごゆっくりしてね。こんにちは、お嬢にボス。私を見つめにきたの?それとも何か用があるの?」

 ゆっくりと視線を二人に移したその女はわざとらしいほどの微笑みを見せた。


 まるでチェーロの偽の微笑みと同じで、裏では「何で来たんだよ」と悪態をついていそうである。

 ただチェーロとの違いを探すのであれば、急な来訪への興味はかなり薄く「まぁそうか」と思っていそうなところだ。


 カーディガンをワイシャツの上から緩く羽織ったその姿はこれまで出会ったどの大人よりも、優しい印象を受ける。

 声音は女性らしく丸みを帯びている。どこか冬のように雪のように頬を伝う寒さがある。

 


 「妻が貴方を一眼みたいというので。それだけです。あと、次の取引同行します。

 海へ行け、傍観しろと裸の王様から王令が出されたので」

「そうなんだ。さすがだなぁ、あの王様はいいこと言う。女優業とこの航海の仕事を掛け持ちしている理由、ボスならやっとわかるかも。


 さて、お嬢。私の目を見て、私はアモーア・それダッド。自己愛か美学か、美しさのウィアードだよ。

 ボスには敵わないけれど、自分の欲に忠実で目がないんだ。よろしくねぇ」

 書斎から腰を上げると、二人の方へゆっくりと余裕があるように歩きセオドアとアリスへ頭を下げた。


 その瞳は静かに少女の瞳を射抜きながら微笑む。全く顔が動かない人形である、それがアリスの第一印象である。



 軽くセオドアの腕を叩くと床に下ろしてもらいドレスの裾を軽く撮ると貴族のようにお辞儀をした。

 「私の名前はアリス・コーマンよ、よろしくお願いするわ。アモーアさん!」

「噂通りの美しさだねぇ。アモーアでいいよ、お嬢。

 紅茶はいらないよねぇ。さっきから口にしてるだろうから。あと、私好きじゃない。

 座るところは探せばあるから、見つけて座っててくれる?航海の地図を持ってくるよー」

「えぇ、わかりました」



 なんとも静かな空間であった。アリスは違和感を隠しきれなかった。あの策士ですら苦い顔をするのであれば、チェーロのように最初から強烈な出会いであろうと思ったのだが。

 拍子抜けである。それに、これまではセオドアの妻である自分という存在を何かと皆驚きながらセオドアへ悪態のような歓迎のようなどちらとも言えない言葉をかけたのだが。


 アモーアはそれはなかった。『美しい』とだけ言い、消えた。隣の部屋へと通じているらしい戸の奥へ消えた。


 セオドアへ困惑しながら見上げると、特に何とも思っていないようにこちらを見た。高級品に埋もれた皮のソファを手慣れたように見つけ出すと、彼は自分を呼んだ。大人しく隣に座るとそっと手を繋いでくれた。

 彼もいつの間にか無意識の癖になっているのかも知れない。



 アモーアが去った後の書斎やら室内に目をくれることもなく、ただ窓の外を見ているセオドアが声をかけた。

 「チェーロの時のようなことはないと思います。あの人はそういうところを弁えられるまだまともな部類ですから。一応リードをこちらに持たせてはくれるんですよ、持ち手だけでその先を自ら食い千切ったリードですが」



 チェーロとの初対面時のあの事件は今となっても恐怖の対象であることに変わりはない。度々思い出してはそれが愛なのか何なのかわからない。

 それを感じ取ってくれたのだ。思わず頬が緩んだ。

「ふふ、確かにそれじゃあ策士さんがリードを持てないのも理解できるわね」

 


 何気ない会話をしていると眼鏡をこれまた緩く掛けたアモーアが戻ってきた。三つ編みを“簪“でまとめた姿はどこか儚い美しさがある。

「へぇ、策士そんなこと言うの。策士こそ自分のリードを誰に持たせてるのかわからないのにねぇ。

 失敬、失敬―。

 お嬢、仕事の話は退屈だからこれ食べて待ってて。多分美味しいよぉ。」

 目の前に静かに鎮座するソファの高さに合わされた木目調が目立つ小洒落た机に四枚のクッキーと皿が置かれた。その皿もいつも使っているものと変わらない程上品で縁の緑色と模様として咲いている薔薇の赤色が噛み合っている。まさにアモーアのようである。


 ふとアリスは思い出す。

「あ、これマーレが食べたいって言ってたお菓子屋のだわ。ありがとう、アモーア」

「マーちゃんが?へぇ、乙女さんだぁ。じゃ、これマーちゃん用ね。

 ボスもどうぞ、美味しいよ」


 セオドアの前に差し出すと、男は顔の色を変えることもなく口をつけることも手を伸ばすこともなかった。まるで目に入っていないかのようだった。

「えぇ、どうも。で、次の取引ですが」

「うん、一緒に来るんだねぇ。いいよ、楽しそう。

 オランダ方面とフランス方面、最近革命があったおかげで貴族階級の奢侈品が多く流れるからそれ目当てだよ」



 アリスは口封じとも言える茶菓子を受け取り静かに口に含んだ。マーレとこの前お茶会をした時に羨ましそうに語っていたお菓子屋のクッキーである。

 いつも孤児院の女性が送ってくれるあのクッキーとの違いは少々味が大人びていることだろうか。苦味を隠すこともせず、まるで自分の弱みを強みと魅せるかのような味わい。そして口の中で雪のようにほろほろと崩れていく様は、儚いような気もする。

 少し口の中に残っていたアールグレイの紅茶と踊り合い幸福感に満たされた。


 隣からそっと流れてきた皿を見るとセオドアが書類を見る横目で自分にあのクッキーを差し出しているのだと理解した。


 皿を返そうと手を伸ばすとアモーアがアリスの手を取り、皿の上に乗ったクッキーを持たせる。

 自身の書類は机に置き、前のめりになりながら一連の動作を両手を使ってやってのけ、仕事の話を閉ざすこともない。


 セオドアが苦い顔をしながら会社に部屋を作ってあげる理由がわかった気がした。気が利く、と言うやつだ。周りを見れる能力があるのだろう。



 アリスは手に乗ったクッキーを眺めるとセオドアの方を向き、一口食べてみた。彼は視線を感じ微笑む。どうやら、本当にいらないから少女へとあげたらしい。

 アリスは困惑しながら頭を戻し食べ続けた。


 話の内容は聞いてもわからないのだからと、聞かなかった。会社にいる時の約束は一つのみで、“仕事の話に口を出さない“だけである。経営学やら経済学などわからないのだから、反論の気もないからいいのだが。

 何となく、会話を横で聞いていても静かだなぁと思うのだ。




 「フランスの方は今は大陸封鎖令が出されていませんでしたか」

「へぇ、ボスって本当に情勢に疎いのかぁ。ウィーン会議とか知らなさそう。

 今は静かに復古王政中。だから大丈夫だよぉ。どっちでも私としてはいい、どうせ行くところだからねぇ。」


 フランスとオランダとの貿易取引品項目書類をセオドアは見ながら記憶の片隅で残っていたことを訊けば、もうそれはないのだと教えられた。自分の記憶がいかに更新されにくいのかと思う。


 オランダの方も史学書で見た一七世紀の繁栄も終わり今は静かに寛容な国というイメージが強い。それにあの大陸封鎖令がないということは今は自立した国に戻ったということか。


 頭の中で個人的に整理していると隣で少女が自分のクッキーを食べ終わったことに気がついた。よほど口に合ったのだろう。笑みが絶えていない。


 今度、帰りに買いましょう。そう言えば同じ反応をしてくれるのだろうか。


 そう思いながら自分の前にある皿をずらした。少女の小さい手が申し訳なさそうに抵抗するが目の前の裁定者はその角ばった手で、クッキーを彼女へ渡した。

 流れるようなその素振りはこの数年の付き合いで彼女が学んだことなのかもしれない。


 「では、オランダでお願いします。三泊四日か一週間ほどですか」

「本当はもう少し、と言いたいけれどねぇ。五日の旅としようか。

 期間を延ばすことをしたい気持ちはもちろんだけどねぇ、私ももう一つの掛け持ち仕事の依頼が入ってきたんだぁ。あ、“材料“いる?」

「…いえ、結構です。彼女の前でその話をしないでください。詐欺師から嘘と真実が入り混じった当てにもならない情報を用いているばかりいると、足元を掬われますよ。

 

 どうぞ、お気をつけて」


 アモーアは自身のクッキーを一口で飲み込むと、怪しく微笑み返した。

 『あーそういえば、そうだねぇ』と。


 それまで他の友人たちとは一線おいているかのように対等で安心感を少しは感じているこの空間が、一気に冷え切った気がした。

 冬の終わり頃に忘れ物を届けに来た冬将軍のように、冷え切った。



 それをすぐに春へと変えたのが、アモーアである。

 「それじゃあ、二日後に港でねぇ。トランクケースはお持ちかな?お嬢」


 机の上を静かに片付けながらアモーアはアリスへ話しかける。セオドアもこれみよがしに帰る支度を始めている。


 どこか居心地の悪さを教えてくれる二人の言動に違和感を覚えつつ「あるわ!」と答えればそれだけだった。


 アモーアと少し話をしたいとチェーロの時のようにねだろうとしたが、セオドアが抱き抱えることで中断となった。時間が止まっているかのように静寂な部屋をそそくさに出ていく彼の腕の中で、邪魔にならないようにそっと手を振る。



 彼女も女というには角ばった筋肉質な手で振り返した。その顔は出会った時と最後の笑みまで変わることはなかった。




 「っていうことがあったのよ、マーレ!アモーアさんてなんだか森のような人だったわ」

 

 オランダ方面へ出かけるということと、茶菓子を渡すためにマーレに連絡をすると彼女は出立の一日前に身軽な様子でセオドアの家へ来訪した。

 彼女の男は今は仕事が中々終わらないようで今日は来ないという。そして、次会うときはオランダでの話をしてあげてほしいとも語った。


 最近は二人で街中を意味もなく出歩くことも増えたらしい。



 アリスの部屋で、セオドア用のトランクに彼の服などを入れつつ、マーレにはアリスの分を用意してもらっている作業の合間に口に出したのが先ほどの感想である。


 それを聞くとマーレはパルフェの劇を見に行くのが楽しみだと言った時のように困ったような顔をする。


 この約四ヶ月、五ヶ月でアリスが学んだことは、ウィアードと男や女性が言う人々は少し変なところがあり手に負えない性格を持っている可能性が高い、と言うことだ。



 「だからこの茶菓子を私にくれたのね、ありがとう。

 そうねぇ、アモーアねぇ…たまに人形屋にも来るんだけど大抵芸術の美しさを延々と語って、人形を一気に三体申し込んで帰る人だからなんとも言えないの。

 それに、その人形もメンテナンス必要なんだけれど、見せて欲しいって言うとはぐらかされるもの。チェーロは自分で壊して、「壊れた」とか言って持ってくるからある意味まだいいんだけど。あぁ、これはちょっと愚痴ね。


 …そうねぇ。森っていうには美しすぎるんじゃないかしら。海の方が似合ってそうね、私的には。


 そういえばだけれど、アモーアがこの前店で漏らしたのが、彼女の部屋には偽物の宝しかないってこと。それを聞いた時、それ以上はまたはぐらかされたんだけど。


 まぁ確かにあれが全部本物なら、セオドアが今頃部屋をあげていないでしょうしね」

「あら、偽物だったのね。なんだか似ているデザインの物が多いと思ったの。

 でもどうしてそれを部屋にあんなに置いているのかしら?美しさを求めるなら、本物の方がよっぽどいいと思うのだけど」



 アリスのトランクの金具をしっかりと閉じベッドサイドにある椅子に腰掛けるとマーレは深くため息を吐いた。呆れている時の彼女のため息はどこか背筋を凍らす力を持っているが、今はそんなことはないから意味が違うのだろう。

 カーテン越しに外を見つめるマーレはやはりどこか劇の女優のように見えた。美しすぎる。


 そういえばとでも言うように、確かアモーアも女優業が…と話している気がした。


 自分も彼用の大きいトランクの金具を閉めると、ベッドに腰がけた。沈み込むような心地がしつつ何も言わないマーレを見つめる。


 「ウィアードって変人だもの、偽物にこそ美を見出すのも無理はないんじゃないかしら。

 ねぇ、アリス。セオドアがどうしてウィアードなのか、何の変人なのか知っているの?」

 あのカフェテリアで少女へロンドンを出るように懇願していたときと同じようなそうでないような、苦しげな彼女の顔は少女の胸を叩いた。



 思い返してみても、アリスにはわからない。ただ、たまに隠語のように誰かと取引をしていた痕跡を会話の中に混ぜ込み、彼が必死に隠している姿を見たことは何度かある。

 チェーロ、アモーアである。


 アリスは探偵ではない。だから、わからないのだった。

 「いいえ、わからないわ。彼が知ってほしいと思うなら、知りたいけれどどうやらそうは思っていないようだもの。無理に聞こうとしたら今のこの関係はすぐに幕を下ろしてしまうわ。

 もう少しだけ、世界で一番幸せなお姫様で私はいたいから、魔法を解くのはまだ後にしてちょうだい。マーレ」

「そう、ならわかったわ。

 そう言えば、アモーアって女優業と航海士とあともう一つ何か兼業をしているんだけど、三つ目に関しては私も存じ上げないから、本人に聞いてみるのが一番でしょうね。


 女優としての彼女を見たいなら、パルフェにお願いの手紙を送ってみたらどうかしら。きっと特等席で見せてくれるわよ。

 私はもうごめんだけど」

「アモーアの仮面はたくさんあるのね。今度セオドアに頼んで見せてもらおうかしら」

「ええ、いいんじゃないかしら」

 マーレはそれだけ言うと、静かに暗い夜の中を帰って行った。


 セオドアと何か話している声が玄関の外からしたが寝ているように言われたアリスは、聞こえないフリをした。


 『いつまで隠しているの?』

 『貴方達のように円満に行く花道のような恋路ではないのです。チェーロが善とするなら僕は悪に浸っている、それを彼女にも背負わせることはできません』

 『話してもないのによく言えるわね、貴方が思っているよりあの子かなり大人なのに』

 『甘い蜜に溺れる蝶では僕はありません』

『…そう、なら幕が閉じられるのを嗚咽を漏らしながら獅子の横で見つめていればいいじゃない』



 マーレの声がひどく冷たく聞こえて、セオドアの声が弱く聞こえた。

 どうしたんだろうと、この部屋の戸を開けてしまおうと思った。だが、彼はきっとそれを望んでいないのだからと眠りに身を任せた。

 知らなければ、きっとこのまま変わらない。

 知ればきっと、元通りに共に歩くことはできないのかもしれない。ならば、と、少女は前者を選んだのだ。



 その日は早くに目が醒めた。初めて出る海という場所と船と三日程の旅に心が踊っているせいだ。

 興奮のあまり手が震えながら服を着込み、髪を整え三つ編みを編み込み鏡で確認すると頬が緩んだ自身が写った。

 戸を開けると中からは静かに用意されていた服を着ている音がかすかに聞こえる。彼もアリスと同じ心境だったのであろうか。



 行きは家の前まで迎えに来ていたアモーアの馬車に乗った。彼女はなんでも持っているらしい。これも偽物、なのだろうか。


 ふとそう思っていると、彼女も洒落込んだドレスの裾を持ち上げると「これは本物」とわざとらしく微笑んだ。


 彼女の馬車はいつものあの男性のものよりも静かで軽やかで速かった。まるで野原を走り回るかのようで、早朝であったからか人もいない大通りを颯爽と掛け巡っている。たまに少し揺さぶられることがあっても、隣に座るセオドアは優しく手を握ってくれている。


 昨日は何もなかった、そう思っていても顔に出ていないかと不安にはなるのだった。



 港に着くと、アモーアは自身の馬車を知人らしき人に任せセオドアの会社の印が入った船へ歩みを進める。


 あの彼女の部屋で会ったときは春のように穏やかでゆっくりとした動作だった彼女が、今はまるで愛馬のようにキビキビと動いているのは、驚くところであった。


 目が垂れていたはずが人が変わったかのように吊り上がり、マーレとも異なる大人の女性がそこにいた。


 「まるで別人みたいだわ…」

「航海において、獲物を求めない猫が船を操縦すれば、船は海底にある氷河にも気付けず沈没していることでしょう。

 この世界に沈まない船はありません。彼女もそれを実感しているんだと思います」

「なら、今は静かに待っておくべきね。セオドアと旅先での話をいっぱいしようかしら!


 まず、船に乗ったら船の中を一緒に見てまわりましょ!その後は先端に行って二人で風を感じるのよ。そしたら次は部屋でゆっくりお茶を飲んで!

 オランダに着いたらまずはご飯を食べるの!」

「えぇ、アリスがしたいなら僕は構いません。ぜひ、お供させてください」


 船の下で二人で団欒を楽しんでいれば、ヒールの音が地面に鳴り響いた。それはアモーアの音である。

 急いでいるように聞こえる間隔が狭い音だが、棘があるような力強い歩きではない。


 「それと船が落ち着いたら私の芸術品を見に来るのはどうかなぁ。お嬢は絶対気にいるよぉ。

 ボスにも見てほしいのがあるからさ」


 アリスが目を輝かせた時、船の上から汽笛が鳴った。

 東の方から微かにオレンジ色の矢が届き始め、雲がそれから逃げるような空の中、船への階段が伸びた。


 それを見た時、心地よいほどの風が吹いた。そっと髪をあそぶように靡かせ、アリスのドレスを揺らしセオドアの三つ編みと片眼鏡の飾りを揺らしそっと目を開けると、アモーアがドレスの裾を両手で持ち上げゆっくりとお辞儀をする。


 「ようこそ、アモーア・ソレダッドのオランダ旅行へ。歓迎するよ、お嬢にボス。

 さ、行こうかぁ。発見、開拓、美の旅へ」



 船内はやはりアモーアらしく豪華で宝物がたくさん散らばっていて、本当に豪華客船のようで…と言うことはなかった。


 彼女の片鱗も見せないほどに木材で包まれており、忙しなく人々が動き回っている。

 食料などを運ぶ人に船室へ荷物を運ぶために動く者、石炭を運んでいる者。

 出航直後だということもあり、アモーアは乗船後船内に見とれているうちに消えてしまった。


 手を繋ぎ二列で幅を取りながら歩くのも居心地が悪くなるため、またアリスを抱き抱えながら最初に彼女がやりたいと言っていた船内を見て回ることにした。


 徐々に遠ざかっていく港を手すりにそっと片手を添えながら見つめる。東の空にあった太陽も徐々に顔を出し始め、ついにはっきりと顔を出した。

 それまで光が鈍く見えていたはずが、目の中を占領するかのように差し込む。近くにあるような気がしてきた。それは少女も同じなようで片腕を遠くまで伸ばしあの馬車の時のようなことをする。


 抱えている腕に力を込めた後、どこかセオドア自身も影響を受けているのだろう。それまでなら決してしなかった、自身も片腕を伸ばした。太陽を二人で包み込むように手を上下から繋ぐと顔の反面が照らされた中微笑んだ。手の隙間から静かに消えていく太陽を微かに見終わると、優しくその手を離した。



 美しい聖母の絵画を間近で見ているかのようだった。太陽に照らされた少女の白銀の髪色が今は自分と同じ髪色であるかのように思えた。

 青と橙色が混ざり合った時、朝焼けと夕暮れどちらでもあるようだった。


 その時、セオドアはこのままの彼女で一生時が止まってくれたらどれだけいいのだろうか。このまま自分の絵画の額縁に収まってくれたらどれだけ嬉しいことかと、悔いた。悔いて、悔いて、そっと目を逸らした。


 きっと最後に自分が額縁に収める彼女はきっとこんなに笑うことはない。冷たい手を動かない手を自分と繋ぐのだ。


 瞼をわざと開けてみても彼女の瞳に太陽はいない。この暖かい橙色も消え失せ、深海のような濃青が浮かんでいるだけなのだ。


 そんな未来を考えながらまた彼女を見つめるとどこか夢を見ているかのように太陽と空の狭間を見つめている。少々強めに吹く風に照らされたシルクの髪がそっと吹かれた。

 この髪も靡くことがなくなるのだろう。セオドアの絵画で眠るということは、彼女が汽車に乗り自分と離れることなのだから。


 劇のせいか、彼女と共に歩いた道が長くなった代わりに先の道が短くなったせいか、よくセオドアはこのようなことを考えるようになった。


 その反面、嬉しいと思う自分がいるのにも気がついた。それが憎く、悔しく、怖かった。



 そう思うのはウィアードであるからだ。


それがアリスへずっと隠しているセオドアの本性。パルフェやチェーロが嘲笑を向ける仮面の下にある悪魔の笑みの正体であった。



 そんなことを思い、不安に駆られているセオドアには気が付かずにアリスはただ見とれているようだった。高い建物が覆い尽くすロンドンでは見ることがあまりできない太陽も何もない海の真ん中では、宝石のようにきらめている。

「太陽はどんな時もどんな人にも平等に顔を向けてくれる。まるで、神様のようだわ」


「…ならば、僕にとっては貴女が太陽のように思えます。


   出会った時から貴女はずっと眩しいですから」


 ふと横を少女が見れば悲し気に遠くを見つめる男の顔があった。

 壁の向こうで耳を二人で当て、微かに聞こえる相手の声を漏らさないようにしているようなこの空間と関係がこれ以上縮まることをそっと願った。


 「あら、ならずっとセオドアの側にいないとだわ。ねぇ、船の中を見て回りましょセオドア」

「えぇ、わかりました。


 深い眠りについた後も毎晩僕の枕元に来てくださるなら、問題はないでしょう?」

「あら、意地悪なこと言うのね」

「えぇ、アリスから僕も影響を受けているようです」



 波を掻き分け風を見分け、帆を張り馬よりも人よりも颯爽と駆ける。

 雲が少なくなり青空が垣間見える景色を横目に二人は船の中を見てまわった。


 自分たちの荷物を置いた船室ではアリスは少し硬いベッドの上で寝転がり、セオドアが困った様子で「起きてください」と言うまで眠ろうとした。


 食糧庫も見せてもらった。腐らないような工夫があるのかと思えば全て乾燥物だったことは言うまでもない。ただし、酒の量が多かったのは驚きであったが。


 それに対し、セオドアが「アモーアは酒好きですよ、意外ですか?」と眉を八の字にしていたことは面白いことであった。


 もちろん、意外であったが。



 他の船員たちが集まっている場所へ行くと、皆が社長であるセオドアの急な来訪に驚きを隠せず肩に力が入っているようだった。

 まるで大木のようであったと、アリスはその夜男に語った。


 帆の調整をするところを間近で見たときはその細い腕で参戦しようとするアリスをセオドアも止めることはせず、ただ日陰で紅茶を飲みながら見守っていた。


 手の平が微かに赤くなり、汗を珍しくかいている少女が満足げに帰ってくると「痛いですか?」と訊いた後「楽しかったですか?」とも尋ねた。

 「えぇ、とても!」彼女は初めて無邪気に喜ぶ自然な笑みを見せてくれた。子供らしい笑みであった。



 人が少なくなった甲板の上で二人は船の先端へとゆっくり歩いた。風が時に髪などを引くのを感じながら近づくと彼女はただ前方を見つめていた。


 その間、何も言葉はなかった。ただ海の音と風の会話と人の音が耳に入り、通り過ぎるだけであった。

 「ねぇセオドア、海にも終わりがあるの?」


 前方を見ながらアリスはセオドアの方を見ずに尋ねた。どこか意識が遠くへ旅立ってしまっているような心地がする声であった。


 「どうでしょうか。大航海時代とも言われた海賊などの時代から人は、それを確かめるために海へ船を出しているのかもしれません。

 僕は、終わりがあってほしいと思います。」

「どうして?」

「海が手を伸ばし続けると人間が海底に沈める船の量が増えてしまいますから、限界という名の旅の果てを作るべきだと思うからです。


 少し話が逸れますが、僕も昔は外の世界を憧れたことはあります。会社を作ったのもそれが一つの理由です。


 ですが、今となっては太陽の届かない陸という限られた城の中で貴女と踊っている楽しさを知りました。


 だから、アリスが城の外へ出て僕が一人で踊ることがないようにするためにも、海の終わりがあってほしい。と言えば、どうでしょうか」


 その時やっとアリスはセオドアの顔を見た。あの朝日に照らされた時とは違い自虐的に笑う彼の顔が幼い少年のように見えた。まるで昔から時が流れていない少年がそこにいる気がした。


 「ふふ、本当にセオドアは面白いわ。大丈夫よ、私が海に出る時はセオドアも一緒ですもの。


 セオドアが外の世界に興味を持った理由はなぁに?私は本よ、ママが貰ってきたり買ってきてくれたりした海の話が好きだったの」


 二人で甲板の右端で手すりに手を置きながら見つめていた。

 海の上は人の口を緩くする性質があるのかもしれない。いつもは喋らないことをペラペラと出してしまう。

 

 「僕にも妹がいまして、その子が夢物語のように語ってくれたのでその影響でしょうか。」

「妹さんがいるのね!どんなお方なの?今はどこにお住まいなのかしら、私会ってみたいわ。牧草の上で見つかったセオドアのお話、聞けるかもしれないわ」

「アリス…それはチェーロの嘘ですよ…」

 アリスの頭をそっと撫でると、困ったように彼は笑った。


 そして『そうですね、もうそろそろ僕の昔の話をしましょう』とセオドアは口に出した。瞳の奥で覚悟が決まったように光が灯り、また消えた。




   昔、僕は湖がある村で生きていました。あぁ、あのパルフェの劇と同じような場所です。


 妹は僕とは違い、畑仕事が嫌いで毎日冒険とか旅とか言ってよく近くの森などへ出かけ花冠や木の実などを満足気に持って帰ってきていました。それを母や僕にくれては、自分ごとのようにはしゃいでいたんです。


 名前ですか?

 オーロラ・コーマンです。アリスと似ているのは瞳の色でしょうか。髪の色は僕と同じです。


 妹はよく母や父に騎士道物語や他の国の物語などが欲しいと強請っていました。

 父は都市の金融で働いていたこともあり、たまに買ってくださるので彼女の世界への夢は膨らむばかりでした。


 それをよく、僕にも語ってくれました。


 僕ですか?そうですね、興味はなかったんじゃないかと思います。だから畑仕事で一日を費やす日々で満足していました。村の手伝いや隣の家の方と肥料作りをしていれば、時間はすぐに消えますから。

 読み書きは一応できました。ですが、妹の本を読もうとは思えなかったのです。


 僕は騎士になりたいわけでもないので。



 ある日、僕は近くに住むとある少女と妹の三人で湖へ出かけました。たまには妹の冒険に付き合ってみようと少女に誘われたのがきっかけです。


 その少女は誰か気になるのですか?

 そうですね。

 きっと貴女が一番ご存じだと思いますよ。マーレではありません、彼女はイタリアから来たので。


 マーレがイギリスへ来た理由ですか?それは今度チェーロか本人へ尋ねてみてください。きっと、呆れた顔で教えて下さりますよ。僕から言えるのは同情する、でしょうか。


 幼少期に二人が出会っていたと?。あぁ、イギリスの方に親戚がいるとかでその葬式で来訪した時に出会ったのでしょう。詳しいことは僕も存じ上げません。


 あぁもちろん、アモーアではありません。アモーアと出会ったのは会社が少々伸び悩んでいた時で、パルフェの紹介ですので。


 そうです、貴女の母です。あのモーショレス・バード孤児院のあの女です。以外ですか?


 ボートは二人用に子供三人が乗ったんです。今となっては今のこの航海よりも恐ろしいと思いますが、昔は大丈夫と思っていたのでしょう。


 それが命取りとなったのです。


 妹は湖の底が気になったのでしょう、船から身を乗り出しそのまま落ちてしまったのです。そして僕は彼女を少女と共に助け、一命を取り戻せたのです。


 それから彼女は危険なことをすることは無くなりましたが、どこか気力がないような日々が続いた時に両親は亡くなりました。


 どうにか妹と生きるために彼女が昔僕に語ってくれた外の世界に僕は賭けてみました。それで、この会社があるというわけです。

 


 「どうでしょうか。満足していただけましたか?」

「牧草の上で寝たのは本当に嘘だったのね…」

 アリスは少しがっかりしたような顔でセオドアを見つめた。


 だが、ふと彼女は「ねぇ」とセオドアの裾を引いた。今の彼の話を聞くかぎりあのパルフェの劇との酷似が目立つのだ。

 セオドアにもしや悪魔がいるのだろうか。

 「パルフェさんの劇と似ているのは、あの人がセオドアを元に脚本を書いたからなのかしら?」

「えぇ、その通りです。妹は死んだことに彼はしたようですが、今は彼女は村で、生きているはずです」

「なら、セオドアは聖人のままよ、きっと。今度妹さんと一緒にみんなでお茶会をしましょう。きっと楽しいわ」

「えぇ、そうだと思います…」

 どこか鈍くなった彼の返事を不思議だと思いながら、少し海の音と風の音に揺られた。


 優しい風が髪を揺らしながらオランダへの後悔が進んでいく。

 


 

 「ふふーん、ふふ、ふふふーん。ラララーラーラー、ラーラー」


 ドレスの裾を持ち上げ、船室の中ででゆったりと揺れる。足の運びは一定に左右に揺れる。髪の毛の三つ編みを優しい手触りで解くと、ブラシで撫でる。


 化粧品の箱を開くと、慣れた手つきで目元を彩る。


 口ずさむのは最近パルフェから渡された脚本の中にある歌だ。誰かの人生を語るその歌だが、アモーアは別段気にしたことはない。


 自分が舞台の上で咲く一輪の花になれるならば、それでいいからだ。どんな他の野花よりも咲き誇る花園の紅一点でありたい。そして、そうでなければならない。


 なぜなら、自分は美しいから!!


 そして地に落ちた花にはなりたくない!!


 なぜならアモーア・ソレダッドは世界が称賛する芸術品であるべきだから!!



 「美しさとは何だと思うかなぁ?そう!正解は一つ。全ての人がねぇ、目を奪われ息を忘れるほど見惚れること。そしてその中心にいて、君たちの目の中にいるのはぁ、アモーア・ソレダッド!


 彼女のみ!!」


 姿鏡を見つめいくつかの側面で自分を見てみれば、そこには全て完璧に作られたような美しい自分が見えた。


 そして鏡の端には、興味津々と言わんばかりにアモーアを見つめただ座るアリス。そして呆れた顔で足を組み紅茶を飲んでいるセオドア。


 だが、アモーアの目にはそんな二人は入っていない。ただ怪しく、楽しく奥深く笑っている自分に浸っているのだ。

 重なり合っている花びらのようなフリルが床の上を滑る度に舞踏会で踊る姫のように見える。



 セオドアは残り少ないポットの中から紅茶を注ぐと何も聞こえていないとでも言うかのように飲み干した。


 窓の外には朝よりも濃くなった橙色の空と赤く落ち光る太陽。それが彼女たちを照らすスッポとライトのようであった。


 アモーアはアリスとの約束などとうの昔に忘れてしまっているのだろう。さらに悪いことに、彼女は二人がいることすらも忘れているかもしれないのだ。

 

 「だが、美しさとは時に人を蝕む毒にもなりえるんだよぉ。

 美しさのために周囲を蹴落とす美醜の権化、美しさのために生き血を啜る悪女、美しさのために鏡を割る愚者。


 そしてそれらに共通するのが“老い“だよ。」


 アモーアは風とともに振り返ると、二人を鋭く冷たい瞳で射抜いた。そこには諦めが含まれているような気もしなくはなかった。

 彼女は近くにあった椅子を窓辺に近づけ夕焼けに照らされる角度を調整し、舞台上で輝く女優のように腰がけまた独自の理論を展開した。

 


 「むかし、むかぁーしのことなんだけどねぇ。ある国の女王は、自分の老いが気に食わず、六〇〇人にも及ぶ若い子たちを殺した。生き血の入った湯へ浸かり、啜り、肌へ塗り。自分を生かす糧としたんだってねぇ。

 でも彼女は死んだ。老いは彼女を逃さなかったんだ…。

 ふと、お嬢は思うのかなぁ。


 “アモーアも老いが怖いのかな“とねー。

 

 はっはっは!!はは、あはははははははははははは!!

 あっはっはっはっはっはっはっは!!!」


 彼女は高らかに笑った。室内に響き渡るその音のズレが一切無い感情のこもらない笑い声。

 それは悪魔の産声のようであった。

 作り笑いの張り付いた顔を糸で操ったかのようなその笑顔。



 アリスは初めて彼女を怖いと思った。


 アモーアは弁える人と聞いていたゆえに心に刺さった棘が痛い。まるで冷たい海水が心を凍らすようであった。

 あの時のマーレも同じだったのではないだろうか。アリスはどこか胸の痛みを他人事のように思いながら、彼女のことを思った。


 少女は勇敢であった。だが、勇敢の文字を履き違えた愚者でもある。

 「いいえ、アモーアは老いても美しいと思うわ。だから、あなたは怖がらないと私は知っているの」


 椅子に座ったままの少女の痛ましいほどの正義の瞳をアモーアは見つめた。胸の奥で胸焼けしたかのような吐き気が喉元のドアを数回叩くのを無視し、追い払った。


 少女の隣に座る男も女を見た。警戒心を隠しもしない番犬のような姿はやはり驚きと共に喜劇を見ているかのようである。


 (あぁあ、大っ嫌いだなぁ…君たち二人が…


  私よりも美しいなんて、憎たらしい…)


 「そっか、そっかぁ。お嬢は綺麗だねぇ。本当に眩しいなぁ…

 あの獅子王に君の生き血を飲ませてあげたいくらいだ」


 アモーアはそっとアリスの頬を撫でた。優しいその手つきは孤児院の女とは違った、優しさがあった。

 自分の頬を撫でる力も入っていない角張った男のようなその手を持つ女性が、泣いているようであった。アリスの瞳の奥で誰かを見つめている気がした。そして彼女は元に戻っていた。悪魔はどうやら消え去ったらしい。



 だが、アモーアがアリスを通して誰を見ているのかを知ることは彼女の幕が閉じた後も知ることはなかった。


 彼女は自分に興味がありすぎるせいで、完璧を崩したくないのかもしれない。


 セオドアがアリスと出会い、周囲から揶揄われるほどの変貌を遂げたように。チェーロとマーレが運命の赤い糸を紡ぎ合わせ、壊れた人形を修復したように。

 それを彼女は恐れているのかもしれない。

 アリスはそこで手を引いた。



 「…貴方に口出しをするのは無駄であるとは承知の上で、申し上げますが。

 獅子には神の生き血は荷が重いことでしょう。もっと言えば、老いすらも止められなかった生き血を飲んで、彼が貴方を称賛してもそれを彼の称賛と思得ないのは、僕だけでしょうか」

 セオドアは最後の紅茶を飲み干すと、少々眉を曲げ目を細め苦虫を噛んだような顔のアモーアを呆れたような顔で見ては体勢ごと、彼女から逸らした。


 庇うつもりも、慰めるつもりもないのだろうが。からかっているつもりでもない。簡単に言えば、八つ当たりである。

 自分へのおふざけが度を過ぎているようにしか思えないあの男へ、アリスのような言葉を求める女の性にセオドアもある一種の吐き気を催したのである。



 「ボスのお口は綺麗じゃないなぁー。マーちゃんに頼んで縫ってもらったら、策士も両手を上げて喜んでくれるかもしれないねー。」

「えぇ、頼んでみてはどうでしょうか。きっと、ドアベルを鳴らす暇もなくクローズの文字と挨拶を交わすことになると思いますが」

「ならその時は、私が針を持つ時だ。


 …本当にボスはお嫌いだねぇ、パルフェのこと。でもたまにボスを消したくなるよ。」

「その時は、貴方が僕を額縁に入れてくれますか?」


 アモーアの方に顔だけ動かし、意地悪く笑ってみると彼女は豆鉄砲を喰らったように口を開いた後「いいよ、悪くないね」とだけ返した。


 セオドアはそれだけ確認すると、「部屋に戻ります、宝物を僕は見飽きましたので」とだけ言い捨て部屋を去った。


 彼がいた痕跡を残すものは何もないが、隣に吹いた微かな風を消し去るようにアモーアは椅子を片すと、アリスの方を向き「さて!」と子供のような無邪気な顔で声をかけた。



 そこから始まったのはアモーアによる芸術品鑑賞会だった。


 共にアモーアのベッドに腰掛け、棚や収納箱から出てくる本物のお宝の数々はアリスの心を全て揺さぶった。


 オリエントの方面から入ってきたというウールやシルク、コットンの絨毯、すなわちペルシャ絨毯と言われるもの。

 糸一本一本がまるで絵の具で塗ったかのようなその鮮やかさと滑らかな質感に口がふさがならなかった。使う度、より共にある程価値が上がりアモーアも貴族も絶賛する美しさが手に入る、奢侈品の一つである。

 手作業とは思えないほどの目の細かい模様、宗教上の理由により生まれたアラベスク模様はヨーロッパではお目にかかれない独特な模様である。


 しかし、正確にいつ作られ始めたのかという詳細が不明でね、それもまた美とは思わないかなぁ?と。恋をしているかのような惚気顔の彼女には、そっと同意の笑いをお返しした。だが、理解できない故、ではなく。確かにそこに怪しい美しさがあるとアリスが同意したからである。



 清という東方の国の景徳鎮という皿型の陶磁器。


 民窯みんようと言われる庶民用の窯で作られたというその陶磁器だが、皇帝向けなどの官窯で用いる技術や素材と掛け合わせた外国向けの物らしく、確かにその美しさは目に張るものがある。青花磁器というのだそうだ。


 白と青が織りなす絨毯とはまた変わった東洋の模様は、高嶺の花のような雰囲気を纏っている。彼女はアリスの顔のそばに両手で近づけると「似てるね」と満足気に言った。

 「あら、本当?」と、誇らし気に言えば彼女は皿をそっと木箱に戻した。次のお目当ての品を手探りで探しつつ、ため息のようにこぼすのだ。


「だって、本当に美しいものは壊れても綺麗だから。壊れても芸術品であるものこそ一級品じゃなぁい?

 お嬢も、あの皿も破片になろうと私は愛してしまうよ」

「なんだか、口説かれているような気分だわ…」

「口説いているんだけどねぇ」


 ポッと赤く染まったその陶磁器の頭を撫で、彼女はまた高笑いをした。



 そして、地中海のイタリア半島で有名なヴェネチアングラス。

 優しいその色は着色材ではなく、鉱物を混ぜた結果だという。赤が一番硬度が高いと言われているのだとか。始まりは古代ローマとアモーアは語るが、少女は歴史をあまり学んだことがないため愛想笑いで終わった。


 日が暮れた室内で灯された弱火の蝋燭の前に置き、回してみれば光越しに見えるそのガラスの透き通った美しさに言葉を失いかけた。

 


 その次は宝石であった。


 どこで獲れたものなのか、どこからの経由だったのかすらその女は語ろうとしなかった。ただ少女と手を重ね合いながら宝石を温めた。そっと閉じた女のまつ毛がまるで人形のように美しかった。

 エメラルドと言われるその宝石は他の宝物よりも大事そうにしているように見える。

 手の平に転がっていてもまだ転がるスペースは十分にあり、もう一つ載せても隙間はあるというくらいのかなり小さいその宝物。アモーアはそこに何か付加価値をつけているとしか思えない。


 「この宝石は、人にしかわからない素敵な価値をお持ちなのね」

「そうだよぉ、大事な宝物なんだ。


 私は商人としてかなり船と歩んできたんだけどねぇ、そんな商人でさえ船へ招待できない宝物は多いんだ。それが、これだ。

 君もいつの日か手の平に乗せる時が来るから、その時は絶対に誰かの手に乗せちゃダメだよ。


 絶対に。

 戻ってきた時、その宝物は君の心のようにくすんでいるから」

「えぇ、もちろんよ。もし、いつか私が手の平に乗せてもらった時にはアモーアにまず、見せるわ。貴方がそうしてくれたように」

「楽しみだねぇ…」


 アモーアは多分、アリスをアリスではなく誰かとしてまたみているのだろう。


 まだ彼女との親交は浅いという言葉ですら言い表せない程、短くなんとも言えない微妙な関係だ。だが、その中で彼女を鏡越しに見ることができたとも思う。

 宝物と言われた時、最初は普遍的な奢侈品ばかりだろうと思っていた。あの会社の部屋のようにたくさんあり、無造作にしまわれているのではないかと。


 アモーアは美のウィアードである。


 これまでのチェーロやパルフェとは違う。全てがいいというわけでもない、ましてその時の気分で良し悪しを決めるわけでもない。


 金銭的な価値とそれが持つ背景、自分との思い出、そして最後に技術面などの美しさを持って彼女は選定を下しているのだ。

 変人と言えば、どこか恐ろしさもある。

 言い換えれば、芸術品が好きな副業として承認をしている女性。それがアリスの最終的な見解であった。


 美しいではないか。普通というのも変な話だが、真っ当な人間であった。




 船はオランダへと近づく。夜の海は音がより一層無くなり、水の音や風の音がセオドアの耳を掠めた。


 部屋に戻ってきた自分の嫁はどこか嬉しそうに満足気な様子で、この旅がその時点で価値があるのだと理解した。

 カーディガンをそっと羽織らせれば、その体格差故に袖から手が出てこないが、あまり気にしていないようだ。

 読んでいた本を机に置き、少女を椅子に座らせれば、今日一番の静寂が訪れた。


 「セオドアの宝物は何かあるのかしら」

 カーディガンの裾を手で掴み、セオドアにもたれかかりながらアリスは尋ねた。

 眠気が加わり、息が多くかかっているその声の出し方は大人びている彼女の印象を急変させ子猫のような印象だった。


 セオドアは彼女の頭をそっと撫でながら「そうですね…」と悩まし気に考えにふけている。

 そして、そっと。手を頭の上に置いたまま止めると、片方の空いている手で自身の顎を触れるとはっきりと聞こえる声で彼女へ伝える。


 「貴方と過ごしているこの一年間でしょうか」

『たとえ、一年が経たずとも僕にとっては人生一番の宝です』と。


 彼女は満足すると、途切れ途切れになりながらも「私もよ」と答え夢のなかへと消えてしまった。


 次に朝日が昇る時、彼女はまた宝物の価値がくすむことがないように磨き続けるのであった。


 「それはよかったです。どうか、いい夢を見てください、アリス」

                              続く_

 

 

 読んでいただきありがとうございます。なるべく次話を早く出せるように頑張ります…。

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