八十六話
「がっ……フ、フフ、油断、しましたわね……」
先ほど以上に大きな血の塊を吐き出し、白い法衣を赤く染め上げる。
オーセニとの戦いに集中しすぎて周辺への警戒を怠っていた……は、ただの言い訳だろう。俺の力不足だ。こいつの接近に気づけなかったんだから。
「Hワイト……」
オーセニの背後に現れる白銀の鎧を帯びた青年。その手にしたレイピアはオーセニの背中から胸部までを貫いていた。
「フッ、僕は実に運が良い。まさか、こんな形でオーセニを倒せるとはなぁ」
「が、うぐ」
レイピアをグリグリと動かし、嗜虐的な笑みを浮かべる。その顔つきは悪党のそれだ。女性ファンが見たら一発で百年の恋も冷めるだろう。
「何やってんだよ、お前は」
「見れば分かるだろう? 僕はずっとコイツを殺す機会を伺っていたんだよ。世界ランク二位のコイツが死ねば、ロシアの勢いは失墜する」
そう告げるHワイトの目はどす黒く濁っている。一目で嘘だと分かるし、薄汚い欲が渦巻いてると分かる。
「……嘘をつくな。お前の顔見りゃ分かんだよ。私怨だろ」
「へぇ――やっぱり君はただの餓鬼じゃないみたいだね。その通りさ」
Hワイトは目を細め、ニヤリと口角を釣り上げた。
「コイツには恥をかかされてね。僕は前にコラボ配信を申し込んだのさ。……なのに、つっけんどんに断りやがって! しかもカメラが回ってる時にだぞ! 僕をコケにしてくれたんだ!」
更にレイピアをねじり、オーセニが苦悶の声を発するようにいたぶる。命に係わる臓器や太い血管を外して貫いたのも意図的だ。
「何が『親離れ出来てないマザコン』だ! 許されるか、こんな屈辱!! 僕のママまで馬鹿にしやがって!」
「フフ、さ、散々、人をつけ回しておいて、よく、言いますわ……悪いですけど、あなたのような殿方、最初から眼中にありませんの……こ、こうしてやってくれるまで、完全に忘れていましたわ」
「黙れ!」
今度は力任せに胸元の部分を破り捨てる。
「丁度いい、君は性格が糞だが身体は文句なしだ。最後くらいは楽しんでやるよ」
俺を尻目にそんな事を言い始める始末だ。
世界ランカーって頭のネジがぶっ飛んでないと入れないのかな?
「何だ、まだいるのか? 悪いけど、僕は餓鬼には興味ない。オーセニをここまで追い込んでくれた事は感謝してるよ。お礼が欲しいのなら後にしてくれ」
オーセニに覆い被さり、そう吐き捨てる。
異世界で何度も見てきた光景だ。弱い奴はこうして奪われる。男だって例外なく、だ。
でも、此処で助けるべきなのか? と頭の中でもう一人の俺が囁く。
だってそうじゃないか。オーセニは俺を襲おうとした。因果応報だ。助ける価値なんてない。
命は重いが、命同士を天秤にかけたら必ずどちらかに傾く。
オーセニはワルモノだ。見捨てればいい。あの屑二人の時のように。
「これが、ワタクシの最期なんて……まあ、今までの事を考えたら、仕方、ありませんわ、ね」
「何だ自覚してるのか。君を処理したら、次はヴェスナーだ。君の妹たち、全員を可愛がってやるよ」
妹……。
そういう言えばヴェスナーは何処に行ったんだ? 何かを企んでる感じはするし、現状一番怪しい。ここまで追い込まれても、バグアイテムを出さない辺り……少なくともオーセニは白と見るべきだろうけど。
何にせよ、見捨てるわけにはいかんわ。
聞きたいことは山ほどある。一時の感情で情報源を捨ててしまうのは悪手だ。
「その汚いモノ仕舞え、クソッタレ」
「何っ!?」
俺の横薙ぎの一撃を、Hワイトは後ろに跳躍して躱した。慌ててカチャカチャとズリ下ろしたズボンを持ち上げている。
発情期のサルじゃあるめぇし、本当にヤる気だったのかよコイツ。間違いなく、その見栄えのいいツラ利用して女の子泣かしてきてるだろ。
「コ、コメット、さん……」
「勘違いするな。お前にはまだ生きてて貰わないと困るだけだ」
俺はオーセニに止血の魔法だけ施しておく。全快させたら、後ろから何をされるか分からんからな。
「お前、正気か? オーセニを助けるのか? その女は真正の屑だぞ! お前だって迎賓館で襲われかけたんだろう?」
「ああ。けど未遂だ。お前は俺が止めなきゃやっただろ」
「それの何が悪い! まさか今更、善人ぶるつもりなのかい? 君だって自分の裁量でブ男二人を処刑したじゃないか!」
何を言い出すかと思えばそんな事か。
そんなんで俺が動揺すると思っているのか。
「そうだ。一緒だ」
「ハッ、分かってるなら大人しく――」
「だから今も俺は自分の裁量でオーセニを助ける方を選んだだけだよ」
ランカーはイカれている。
人の事、言えやしない。俺だって十分な狂人だ。
正義の名の下に、勇者と王国の権力を振りかざして、何人もの反逆者たちを処刑したのだから。
「今度は開き直るとはね。神様にでもなったつもりかい?」
「神、か……そうかもな」
今まで散々、人の生き死にを自由にしてきた。
でも俺は神様ではない。蠟で固めた翼で神になろうとして、地に落とされた英雄のように。
いつかはそのツケを払う時が来る。
「フン、偽善者が……オーセニは僕の獲物だ!」
Hワイトはレイピアを抜き放つ。
次いで見せたのは異次元の踏み込み。人間の動体視力を遥かに凌駕するスピードから繰り出される刺突は、落雷の如く突き進んでくる。
配信のアーカイブでもそうだが、Hワイトはフェイントを使わない。理由は単純。自分自身に絶対の自信があるからだ。実際、その剣捌きは超一流の領域だ。変な小細工を交えた方が弱くなる。
でも所詮、それは魔物相手の話。手負いのオーセニさえ背後からの不意打ちに頼った程度だ。コイツの自慢は格下止まり。それより先には通用しない。
「レランパゴ・ミーシル!」
俺はその刺突を素手で掴み取り、止める。
「ば、バカな!?」
驚くHワイトを余所に、そのまま刃を握り締めて砕き割った。
「寝てろ」
「がっ」
その首筋に手刀を打ち込んで昏倒させる。
Hワイトは潰れたカエルみたいなポーズで地面に沈んだ。
「本当に、あなたはお強い、のね」
「まあな。だから諦めろ」
「そう言う態度も、萌えますわ……食べちゃいたいくらいに」
「………」
やっぱ助けない方が良かったかなぁ。そんな性格だから暴行されかけたってのに、少しも反省もしないのは恐れ入る。
「とにかく、一旦ここから離れる。話はそれからだ」
俺はオーセニを担ぎ上げる。ミノタウロスとの戦いも気になるが、オーセニから色々聞き出す方が先だ。
「はぁ……本当に、釣れないお方……嫌われますわよ」
「嫌ってくれた方が助かる」




