七話 穴
『こんな時間に初心者ダンジョンで配信してる奴いて草』
『なんか魔物の死体並べてたよな? 回収業者か?』
コメントを可視化するアプリにより、空間に表示されたボードにそんな言葉が流れていく。
少女もちらりと振り返ると、確かに水色の髪の毛が目立つ女の子がいた。協力を求めようかと思ったが、首を振る。初心者ダンジョンにいるのなら、まだ新米の配信者だろう。巻き込むわけにはいかなかった。
『それよりもアークちゃん大丈夫なの?』
『まだ救難のビーコンは出てるみたいだよ』
『なんか、いきなり地面から落ちたんだっけ? 海外勢からはbackroomsのnoclipだって言われてるぞ』
『何それ?』
『有名な海外産都市伝説の一つだね。ゲームの壁抜けバグみたいに突然、現実世界から異次元の世界に落ちちゃうんだって。《URL》』
『こっわw』
『ダンジョンとか正にゲームそのものの世界だし、あり得るのが何とも……』
不穏なコメントを見ながら少女はひたすら走る。数十分前、彼女と同じ事務所に所属する友人である麦星アークが消息を絶った。それも初心者向けのダンジョンで。
彼女を映していた配信用ドローンは、突然何もない地面から足を踏み外したように落下していく姿を捉えていた。
最下層まで調べ尽くされたこのダンジョンにそのような罠はないし、他の高レベル高難易度のダンジョンでも報告が上がっていない。つまり、全くの未知の罠が作動したのだ。
『普通に考えて落とし穴の類だろ』
『お前、動画見た? 明らかに何もない地面で落ちてんだよ』
『それにアークちゃんは日本有数のトップランカーだよ? しかも斥候や探査専門のスタイルで』
『アークちゃんに気づけない罠があるならもう誰にも察知できない、なんて言われてるしな』
『で、そんな罠が実際にある訳でしてぇ』
『……ヤバくね?』
『ヤバいね』
『もう部屋から出られねぇわ』
『さっき配信してた人、大丈夫か?』
『流石にあの辺は安全だろ。昼間は家族連れやカップルで一杯だし』
『家族……カップル……うっ、頭が』
『やめろ』
『別の意味で危険地帯になってて草』
いくつもの下層へ下る階段を駆け下り、やがて少女は立ち止まった。洞窟の一本道。この先は行き止まり、何もない。アークはまだ見ぬ下層を探し求め、ここまでやって来た。そしてその途中で――。
「みんな、何か分かるかな? アタシは武闘派だから罠とかはカンで見抜いてるんだけど……何も感じない」
少女はリスナーに問いかける。強力なLEDライトで照らし出すと、行き止まりまで見通せる。穴があるようには見えなかった。
『わかんね』
『アークちゃんでも分かんないなら、俺らじゃお手上げだよプレちゃん』
『素直に救助隊待った方が良くね? ミイラ取りがミイラになるぜ』
少女は暫く思案していたが、不意に屈んで地面を両手で触り始める。
『?』
『どうしたの?』
コメントも無視して少女は地面を慎重に撫でながら進んでいくが、不意にガクン! と前のめりに落ちかけた。何とか踏み止まり、もう一度恐る恐る手を差し出す。
『え? え?』
『うわ、あぶな!』
『手が、地面を貫通してる?』
『noclipだ!! 見えない穴がある!』
『嘘だろ』
目前にあるのは確かに地面なのに、手はその先まで入っている。
「顔を入れてみるね」
少女は落ちないように腹ばいになりながら、地面に顔を近づけた。普通であれば、顔面が砂まみれになって終わるだけだが――そのまま貫通した。
その先にあるのは黒々とした巨大な穴。底は見えず、不気味なうねりが鳴り響いている。
――ゲームのバグで世界の外に落ちる。
まさにそれを現実で表したかのような、異質な空間だった。幾多の魔物を倒してきた少女ですら背筋がゾクリと震える。少女は顔を上げ、立ち上がった。
『何かあった?』
『何が見えた?』
『アークちゃんいた?』
『どうなってた?』
コメントが物凄い速さで流れていく。それを見て、少女は答えた。
「ゴメン……あたしの手には負えないかも」
小石を拾い、この先に穴があることを示す線を刻んでいく。ドローンがその横顔を撮影するが、確かな恐怖の色が浮かんでいた。