六十六話 ネオン
吊り橋は街の中へ続いている……進むしかない。戻ろうにも、変動で足場が無くなっているのだから。
「みんな、絶対に離れるなよ」
「うん」
「……分かってる」
俺は既に装備を纏い、最大級の警戒を行っている。
だが、どういう訳か魔物の反応が出ない。もし隠形系のスキルや魔法を使われても、この装備なら看破できる。
とは言え、ここはバグの世界。常識は通じない。
俺たちは吊り橋から街中へ降りる。摩天楼を彩るようにカラフルなネオンが瞬いていた。どこを見ても
煌びやかな光が闇の中で明滅している。
しかし人の気配は全くない。空っぽの街だ。人がいたような痕跡はあるのに、生きている人間は俺たちだけ。本来なら楽しい気分にしてくれるネオンが、先程の怪談よりも遥かに不気味なモノに見えてくる。
「魔物すらいない……この特異性落下世界は無人なのか?」
この世界を構築する主が死ねば、同じく崩壊する。しかしこうして存在しているところを見ると、少なくともこれを作った奴はまだ生きているはずだ。
「あれ……何だろう」
暫く無人の街を進んでいると、妹が何かを見つけた。
なんて事はない。ただの噴水だった。ただし、水が七色に輝いていたが。
「……ゲーミング噴水?」
そんな間抜けな言葉が思わず口を衝く。
実際、そうとしか言いようが無いのだから仕方ない。
「鑑定」
【繝阪が繝ウ繧ク繝・繝シ繧ケ】 危険度: 強度: 希少性: 分類:
鑑定不能
やはりチヒロがいないとダメか。せめてネット通信が生きていれば良かったんだが。
「それはネオンジュース。ワシの世界でしか採れない奇跡の水だ」
「――ッ」
俺たちは一斉に振り向き、得物を構える。
ネオンに照らされた道の上に、一人の男が立っていた。魔法使いのようなブカブカの外套を羽織り、手には節くれ立った木の杖。
髪の毛はくすんだ灰色。見事に蓄えた顎髭も同じ色をしている。
パッと見は、魔法使いのコスプレをした爺さんにしか見えない。
だがある部分の異常性が、彼が決してバグ世界に迷い込んだ老人ではない事を物語っている。
「……顔が見えない。モザイクがかったように」
目を細めるサツキがぼやく。
そう、爺さんの目から鼻にかけての個所だけが不自然にぼやけ、霞んでいる。アイテムやスキル越しに見てもそれは変わらない。
「そういうもんだ。ワシらグリッチャーは欠陥構造。どこかしらで人間らしさを欠いておる。お前が倒した奴もそうだっただろう?」
顔そのものがトランプカードになっていた異形頭を思い返す。
確かに、そうだな。
「で、アンタは? あいつみたいに、俺たちと戦うために出てきたのか?」
俺は爺さんを睨みながら問う。
「まさか。誰も彼もが、あんな血生臭い連中と思わないでくれ」
「……悪いな。アンタの仲間には色々とされてきたんだ」
「ワシはお前さん方と対立するつもりはない。やる気なら、とっくに不意打ちを入れているさ」
スタスタと歩き、噴水の前で立ち止まる。おもむろに懐から出したコップでその水を掬い取り、一気に呷った。
「……どうだ?」
ニヤっと笑ってコップを差し出してくる。
俺は何も言わず、爺さんの一挙手一投足全てを見逃さずに観察していた。
「………」
全員が無言でいると、爺さんは笑顔を引っ込めてコップを袖口で乱雑に拭って仕舞った。
「出口ならそっちだ。そこの吊り橋を登っていけ。七十階に出られる」
そこまで言うともう興味はないと言わんばかりに噴水の縁に腰かけ、パイプで煙を吹かし始める。
「……アンタ、何者なんだよ」
「なんじゃ、今更ワシの事が気になったか?」
ふぅ、と煙を吐く。
「見ての通り、ワシはグリッチャーじゃよ。雲の中に世界を作って、気ままに旅をしとる途中じゃあ」
「た、旅?」
スバルが素っ頓狂な声を上げる。
「そう、旅じゃ。旅は良いぞ。せまっ苦しいあの世界からようやっと、解き放たれたからのう。その自由を満喫しとるんよ」
「……煙に巻くような言い方は止めてくれ」
「パイプだけにか? ハッハハ……悪かった。そう睨みなさんな」
俺が眼力を強めると、爺さんはパイプを口から離した。
「ワシらは気づいたらそこにいた。何もない世界、狭間の空間だ。仲間がそう名付けた。外には出られなかったが、光と闇の世界を観察できた」
前にトランプ野郎が光と闇の狭間で生まれし者、とか言ってたが本当にそんな世界があるのか?
光は人間たちの世界で、闇は魔王や魔物たちの世界だ。そのどちらにも属さない生き物なんて、あり得るのだろうか?
「そうして光と闇を見てきたが、ある時仲間が言ったんじゃよ。ここから出たくないか――ってな」
刹那、ボワッと爺さんの片手に七色の光が灯る。ノーモーションで投げつけられたそれを、俺は片手で受け止め、握り潰してかき消した。
「……あぶねぇな。クソジジィ」
「ほぉ。完璧な不意打ちじゃったんだがの~。どうして気付いた?」
殺気と敵意の消し方は見事だった。スキルの探知を潜り抜けてくる奴は、過去にもいたが五本の指で数え切れる程度しかいない。
「こちとら、最前線を生きてきたんでね」
ぶっちゃけ黒雲がずっと俺らの後を付けてきた時点で相当、怪しかったしな。
「なるほどなぁ! あの小娘がお前を気にかける理由もよー分かったわい!」
「一体、あなたたちは何なの!? どうしてお姉ちゃんを狙うの!」
ブラキオンを構えるスバルが問いかける。対し、爺さんは小馬鹿にするように鼻で笑う。
「さて、何故じゃろうな? まあ言うなれば、〝出る杭は打たれる〟か? お前さん、同じ人間にも疎まれておるぞ」
またそれか。
下らない嫉妬心を燃やすくらいなら、少しは努力でもしろよ。
「言いたくないなら、言わなくていいさ。じきに、自分からペラペラ話したくなる」
俺は軽口と共に、聖剣を抜き放った。




