六十五話 二度あることは
いくつもの吊り橋と雲海を渡り歩き、気づけば日は西に沈みつつあった。
「今日はこの辺でキャンプを張ろう」
現在の階層は五十一階。一日でここまで進めたなら、明日中には最高踏破地点を更新できるだろう。魔物の襲撃も多くなってきたし、無理は禁物だ。
「ふぁああ……吊り橋を登ってばっかりで、流石に足がもうパンパンだよ……」
座り込んで足を投げ出すスバル。
確かにここは高低差がかなり大きい。中にはほぼ直角のバカみたいな吊り橋もあった。そういう時は手と足の吸着力を増大させる、スライム族から手に入れたアイテムで乗り切ってきた。
「……コメットちゃん」
「ん? なんだ」
サツキが俺の服の端をチョイチョイと引っ張る。
「あの黒雲……」
指差す先。遥か先に雷雲のような黒雲が不気味に漂っていた。
「……前よりも近づいてきてるな」
「気づいてた?」
「ああ」
少し前からだろうか。空の彼方から黒い雲が湧き上がり、どういうわけかずっと俺たちの後をついてくる。
最初は魔物の類かと思ったが、探知スキルに引っ掛かるものは無い。現状、害はないので注視しつつも相手にはしていなかったが……。
「どう思う?」
「……分からない。少なくとも、魔物やボクたちを妨害しようとする連中じゃないと思うけど」
前回の探査記録にあんなものは無かったが、そもそもこのダンジョンは詳細な調査自体進んでいない。過去にヘリコプターで接近し、最上階を目指そうとする配信者もいたが、魔物の大群に襲われ撃墜。住宅街に墜落して大惨事を引き起こした。
以降、スカイツリー周辺の空域は飛行禁止になっている。ドローンによる探査も魔物の妨害に悩まされ、打ち切られて久しい。
「まあ、あれ以上近づいてくるなら……風の魔法で吹き飛ばすしかないな。あまり刺激はしたくないが」
「そうだね」
変動する雲と同じくここ固有のギミックなのか、別の何かなのか……。
「お姉ちゃーん、ご飯の支度しよーよ!」
いつの間にか火を起こして、準備万端の妹に催促される。
「分かった、じゃあ今夜はカレーにしようか」
「やった!」
日が暮れると、周囲は真っ暗になる。空に浮かぶ月は薄い三日月。月明かりも頼りにならない。
サツキは既にテントに引っ込んで寝息を立てていたが、夜型のスバルはまだ起きていた。
『――で、隣にいる友人に恐る恐る訪ねたっす。君は、A君じゃないのかって。そしたら――』
俺は魔物の襲撃や変動に備えているので、まだ寝るつもりはない。テントの外でスバルと二人、小さな焚火の前に座っている。
『〝うん〟って答えたんすよ』
『KOEEEEEE!!』
『ゾクッとしたよおい!』
『怖すぎワロエナイ』
「確かに怖いんだけど……お姉ちゃん?」
流石にこの時間になると、配信を見ている人も減ってくる。退屈だからアクティブなリスナーさんと雑談をしていた。そして何故か怪談という流れになり、チヒロがやたらとハイレベルな怖い話をするもんだから……。
「………」
『プレちゃんの腕にガッツリ抱き着いてて草』
『もしかして、怖いの苦手?』
『うせやろ? アジ・ダハーカぶっ飛ばした英雄やぞ』
『アホ毛も萎れててワロタw』
『かぁいい……』
『ギャップ最高や』
「な、何を言ってるんだ。怖くなんかないぞ。すこーしビビっただけ……」
「あ、お姉ちゃんの後ろに青白い顔が」
「んなああ!?」
咄嗟にスバルに抱き着く。何度も周りを確認するけど、変なものはいなかった……。
『さあ、ここでアジ・ダハーカ相手に無双するお姉ちゃんのアーカイブを』
『別人www』
『悲鳴かわいい』
『いや、まさかコメットさんがオカルト嫌いとは思わなかったっす。申し訳ないっす』
『うーん眼福眼福』
『切り抜きオナシャス』
「………」
俺は恨みがましくスバルをジッと睨む。当の妹は涼しい顔して明後日の方を向き、口笛を吹いていた。
「お前はもう寝ろ」
「え、良いの? 寝ていいなら寝るけど、独りぼっちだよぉ?」
「ぐ……」
リスナーさんとはコメントで繋がってはいるが、まだ怪談を続ける空気だ。ここでスバルが寝てしまったら本格的に背後が怖くなるのは目に見えていた。
「……じゃあ、ここにいてくれ」
「はいはい、ほんと怖がり屋さんなんだから」
「怖いんじゃない。スキルや魔法、アイテムでも感知できない正体不明のモノだから厄介なだけだ」
「――みたいだから、あんまりお姉ちゃんを怖がらせないであげてね」
『おk』
『お姉ちゃんの威厳総崩れw』
『プレちゃんの服の裾握りっぱなしなの、控え目に言って破壊力高いよ。てぇてぇ』
『分かる』
つーかもう怪談なんて止めようぜ……。何でこんな真っ暗な最中で、辛気臭い話を聞かなきゃならんのだ。もっとこう、爽快な気分になれるようなストーリーを……。
「――!」
足元から僅かな振動を感じる。続いて地鳴りのような鳴動が下の方から響いてきた。
「まさか……」
下層でダンジョンの変動が始まったようだが……どんどん上の方に上がって来ている。
……不味いな、さっきのよりもデカい。
「アーク!」
俺は素早く火を消し、道具類は什匣へ投げ込んだ。
「分かってる」
テントから準備万端のサツキが出てくる。俺はすかさずテントもぶち込んで、忘れ物が無いか手早く確認。すぐにサツキと並んで走り出す。
「お姉ちゃん、こっち!」
先行したスバルは吊り橋の傍で懐中電灯を回し、合図を送ってくる。
「かなりデカい! プレアデス、肉体強化だ! 一気に駆け上がるぞ!」
「うん! ――星脈活星・金牛!」
俺も七手八脚を発動させ、サツキを抱き抱えた。すぐ真後ろで変動が起こっている。
「飛ぶからしっかり捕まってろ!」
「ん!」
全力ダッシュからの全力の幅跳び。吊り橋を飛び越え、向こう岸の雲まで飛んでいく。遅れてスバルも俺の隣に着地した。
だが既にここの足場も不安定になりつつある。
「次の吊り橋は……!」
マッピングスキルで確認しつつ、走り続ける。幸い、あまり大きな雲ではなかったのですぐに吊り橋は見つけられた。
しかし――。
「くそ、どうなってる!?」
吊り橋の先は、あの黒雲だった。夜の闇よりも暗く、不気味に立ちはだかっている。
「お姉ちゃん!」
一瞬迷うが、変動はこの階層でも生じていた。突っ込むしかない。
「プレアデス、絶対に俺から離れるなよ!」
スバルの手を掴み、俺は黒雲へと突入した。
「毒ガスや有害な大気の検出は……なし。雷雲の兆候も……なし。何なんだ、これは」
雲の中は完全な闇だった。夜光露やLEDの懐中電灯でも遠くまでは見通せない。
『前の探査ではこんなの無かったよな?』
『未知のエリア……? 皆、気を付けて』
『なんかヤバくないか?』
『みんな不味いっす! その雲、こちらのアイテムで解析したらそれは――』
流れていたコメントが停止した。
見ると、ネット通信が切れている。
「……嘘だろ」
ダンジョンでこの現象が起こる理由は一つしかない。
「お、お姉ちゃん……何、あれ」
黒雲の合間から、何かが見える。カラフルな光だ。
空気に混ざり始める懐かしい気配――マナ。
「……っ」
サツキがぎゅっと俺を強く抱いてくる。違う場所とは言え、一度命を落としかけた空間だ。俺も安心させるように軽く背中を叩く。
「……どこにでも、現れるのかよこの世界は」
俺は眼下に広がる暗黒の空間と、その中に浮かぶネオンに彩られた街並みを見下ろした。
「特異性落下世界……!」




