五十八話 新居へ
ダンジョンから地上に戻ってからも、一息つく暇もなかった。警察や公安からの事情聴取が長々と行われ、その間父さんはスバルと母さんを病院に連れていき、カウンセリングを受けられるように手配していた。
あの二人の末路については戦闘中に魔物に食われた、とだけ伝えている。少なくとも嘘は言っていないし、何ならまだ生きているだろう。警察側も俺の正当防衛は認めており、足立を殴り飛ばしたシーンは問題なし。
その後俺が配信を停止した後のやり取りについても、深く追及されることは無かった。現状、俺の証言が全てであり、詳細を調べる術はないからだった。
アイツラの背後にいたであろうグリッチャーの存在は、伝えていない。話した所で俺自身、よく分かってない連中なのだ。余計な疑惑を掛けられる真似は避けたい。
多少の疑いの目は向けられたものの、相手が凶悪犯であることも考慮され、その日のうちに聴取は終了した。
救助隊を送る検討は何度もされていたようだが、結局事件は容疑者死亡のまま書類送検となる。そしてサイトの利用者は芋づる式に逮捕され、連日世間を賑わせている。大物俳優や大企業のエリート、果てには名門校の学生まで関わっていて、その数は百人以上。今も毎日のように誰かがお縄についている。
こうして、俺の家族を脅かした敵対存在は完全に無力化された。
でもハッピーエンドとは言えない。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「何でもないっ」
「そうか」
スバルも母さんも傷つけられた。カウンセラーの先生の話では、当初こそ心的外傷の兆候(特にスバル)が見られたものの、日毎に落ち着きを取り戻しているという。
様々なカウンセリングが模索されたが、先生の見立てだとスバルは俺と一緒にいる時が一番リラックスしているらしい。だから可能な限り、一緒にいて支えて上げて欲しいと言われた。もちろん、それで傷が少しでも癒せるならいくらでも協力する。
俺の膝に頭を乗せて寝転ぶスバル。目が合うたびに呼んでくる。前から俺に甘えていたが、あの事件以降更に身を委ねてくるようになった。きっとスバル自身、ここが一番心安らぐと直感しているんだと思う。
「お姉ちゃん、暫くこうやっていい?」
「ああ。良いぞ」
この当たり前が失われていたかと思うと、今でも足元が崩れるような感覚に襲われる。
あれから配信は一度もやっていない。スバルも配信を休み、代わりにサツキがちょくちょく簡単なダンジョン配信をやっていた。
「スバル、ホウキ。部屋の整理は済んだか?」
部屋のドアを開け、父さんと母さんが入ってくる。
「うん。殆どめちゃくちゃに荒されてたし……、持っていくものはあんまりないよ」
俺はがらんどうになった自室を見て言う。
「そうだな……だが、新しい家は絶対に安全だ。もう二度とこんな事は起こさせない」
事件後、政府は父さんに新居の提供を提案した。万全なセキュリティと、対スキル戦闘訓練を積んだ特殊警察が常駐する……首相官邸レベルの警備体制を持つ場所だ。
何故ここまでするのか、と聞いたが俺の活動のお陰らしい。氷風大樹海の踏破、サンダーバード&アジ・ダハーカの討伐、街に現れた多数の魔物の撃滅。
最早、一配信者として放置する事は出来ず、お抱えとして内外にアピール。手を出すことは国家への攻撃と見なすと大々的に伝えたいようだ。
また、今回のような事件の再発を防ぐために俺たちだけでなくサツキ、ギガキングとクインにも同様の措置を取るという。
俺としても有難かった。国が守ってくれるなら心強い。
「でも、私はこの家……今でも好きだし離れたくないんだけどね……」
父さんの脇に立つ母さんは寂しげに室内を眺める。今までの思い出が全て詰まった場所だ。荒らされ、汚されてもその記憶の輝きは消えたりしない。
「なに、一時的な退去さ。落ち着いたら戻ってくればいい。この家は誰にも売らないから、安心しなさい」
父さんは優しく母さんの肩を叩く。母さんもそうね、と微笑んだ。
「さあ、行こう。もう迎えは来ている」
少しの荷物を持ち、部屋から出ていく。どうしょうも無い名残惜しさが残るが、すぐに戻ってこれると言い聞かせる。
「社長、準備は出来ています」
「ありがとう、宇佐美君」
外には白バイと警察車両、自衛隊の装甲車の車列が作られ、その真ん中に俺たちが乗るミニバンのレクサスLM、宇佐美さんが乗るレクサスLSが止まっている。
「お、お姉ちゃんこの車、絶対靴脱いだ方が良いよね……?」
「ああ……」
「土足用のフロアマットがあるので大丈夫ですよ」
自動で開くスライドドア。一目で上質なデザインと分かる車内が迎える。前面には巨大なディスプレイ……これが車内テレビなのか? 下手な液晶テレビよりデカいな……。
こんなのをポンと用意するなんて……俺はそんなに注目されているのだろうか。なんか、実感が湧かねえ。凄すぎて。
「では、出発しましょう」
母さんは助手席、父さんは運転席へ。宇佐美さんは後ろのレクサスへ乗り込んだ。
窓を開け、俺はもう一度だけ我が家を見る。
……必ず戻って来るさ。敵を全部、ぶっ飛ばして。アノマリーだかグリッチャーだが知らねぇけど、正体掴んで化けの皮を剥がしてやる。
「………」
そして――俺はジロっと背後を睨む。
遠くで双眼鏡でこちらを観察してる奴がいた。事件以降、俺は常に探知スキルを全開で広げている。
下らない事をしてるなら潰しに行くつもりだが、一応敵意は無いので見守っておく。
「み、え、て、る、ぞ」
俺は手で目の周りを囲って双眼鏡みたいな形にし、口パクした。
「うわァ――ッ!!」
バッと、双眼鏡を手放して仰け反る一人の少女。
「な、なんで気づかれたんスか!?」
まぐれか、偶然か? そうに決まっている。この距離で気付けるわけがない。
震える手で双眼鏡を拾い――深呼吸して覗き見る。
「ひぇっ!?」
また間抜けな声を上げてしまう。ズームされたコメットがこちらを指差していた。
「さ、流石っすね。これがギガキングを凌駕した、期待の超新星……!」
少女は冷や汗を滲ませながらも不敵に笑う。
「だからこそ、ワタシはここまで来たんですから!! ……うわ、まだ見てる……」




