五十話 悪意と欲望
あの後目を覚ましたサツキはタクシーを呼んで帰っていた。俺も急ぎ、家に向かう。
既に深夜に近い時間なので人通りは少なく、シンと静まり返っていた。聞こえるのは自分の足音と、古い街灯のハム音だけだ。
色々あって予定よりもすっかり遅くなってしまったが……どうやって言い訳しよう……。
父さんやスバルならまだしも、母さんの圧を想像しただけでも背筋が震える。
先手で電話して謝ろうと思ったが、何故か電話に出ないし……、もしかしてもう寝てしまったのだろうか?
それなら生き繋げる。……明日が地獄になるけど
「……謝りまくるしかないよな」
結局、それが最適解だ。変に策を弄しても通用しない。
とにかく一刻も早く帰ろう。俺は足を速め、歩いていく。
「………」
……静かすぎないか?
都会のど真ん中で生活音や車の走行音くらいはするよな?
立ち止まり、周りを睨む。部屋の明かりがついている家は疎らにあるのに、不気味なほどの静寂に満ちていた。耳の奥が痛くなるほどだ。
「……どういうことだ」
第六感が警鐘を鳴らしている。普通じゃない。何かの攻撃、その兆候だ。
腰の剣の柄に手を添えた時だった。
「うい~、クソ、何が会社だ! 何が上司だ……ケッ」
曲がり角から酔っ払いのサラリーマンが千鳥足で現れた。
……思い過ごしか? 俺は警戒心を解きかけた刹那――。
探知スキルが、唐突に出現した敵の存在を掴む。
「オッサン危ない!!」
「ほえ?」
俺はオッサンを引き寄せ、背後から飛び出してきた影をぶった切る。
「ぐじゅじゅ……」
真っ二つにされたのは、スライムだった。何で地上に魔物が……?
だが、考える間もなく目の前にはスライムの群れ。ドロドロの身体がゴミバケツからあふれ出し、電線から垂れ下がってくる。
ダンジョンから魔物が出てきた事件は、今日までに一度も起きていない。何故、魔物が外に出てこないのか、という生態も謎の一つで研究テーマにしている学者もいる。
だから、このような光景は決して起こりえないはずだった。
「ぐじゅ――!!」
スライムが軟泥の身体をしならせ、殺到してくる。
「ふっ――!」
だが所詮はスライム。俺はすれ違いざまに一撃で全員を切り捨てて、処理する。
「ギィ!!」
「ギギ!」
すると、また別の反応が現れる。今度はゴブリンの集団だ。他人の家の垣根やブロック塀の上に立ち、棍棒を振り上げて襲い掛かってくる。
「チッ、何が起こってるんだ!?」
俺はすかさず剣を振るい、全員の首を瞬時に落とした。
バシャッと鮮血が道路を汚し、いくつもの死体が転がるが、まるでゲームのように光の破片となって消えてしまう。
「どうなってんだよ」
何で魔物がこんなにたくさん……、何か事件か事故が起こったのか?
だとしたらこの静けさは何だ?
もしかして皆避難したから、誰もいないのか?
でもそんな情報、スマホには何も届いていない。市からの防災無線での呼びかけやメールが送付されるはずだ。
――家は、スバルたちは大丈夫なのか?
「ッ! オッサン!! 早く家に帰るか、どっかに隠れて警察を呼んでくれ!!」
「な、何がどうなってんだぁ? お、おい君、危ないぞ!」
酔いが消し飛んだオッサンに指示を飛ばし、俺は走り出す。
行く手を阻むように、今度はトロルたちが立ちはだかる。背丈は二階建ての家よりも高く、握り締める武器はゴブリンのものより凶悪度が増している。
「邪魔だ!!」
剣を振り抜き、全員まとめて肥え太った胴体を輪切りにする。俺は奴らの死に様を見届けることなく、家へ向かって疾走した。
「グオオオオオオ!!」
その時、闇夜を震わす咆哮が響き渡る。
俺は思わず足を止めた。
「グレーターデーモン……!?」
高レベルダンジョンの中でも下層にしか出ない、最上級の危険度を持つ魔物。
紫の肌に筋肉質な肉体と、巨大な蝙蝠のような翼を生やしている。おまけに両目は魔眼であり、知能も高く強烈な魔法の使い手でもある。
そんな奴らが、月夜を背景に十体近くも空を飛んでいる。
異世界なら何度も見てきた光景だ。魔王の城の近くでは、こいつらが警備兵の役目を担っていた。
でもここは現代日本だ。
遠くに聳えるみなとみらいの摩天楼と、平均的な平屋や二階建ての日本家屋が立ち並ぶ光景を背に、我が物顔で居座るこいつらは何処までも異質そのものだった。
「待てよ、お前らまさか……」
グレーターデーモンたちは一斉に指を天へ向けた。
かつてない悪寒が背筋を震わせる。
「お前ら、アレを使うのか!?」
俺の言葉にギシャリ、と醜悪に微笑むグレーターデーモンたち。
「星座落とし」
星図のような巨大な魔法陣が無数に夜空へ描き出された。
ぽつぽつ、と夜空の中に一際輝く光がいくつも生み出されていく。
それが、魔法で生み出された巨大な隕石群だとすぐに気づかされた。
街中で、そんな魔法を――!!
「ああ、クソ! やってくれるな!」
躱すことは容易だ。この魔法は個人を狙い撃つには大規模すぎる。
大量破壊兵器――そう言えば分かりやすい。
俺は素早い集中からの、対抗魔法を発動させる。
「時の流麗、逆巻き、逆流し、遡り、あるべきものはあるべき場所へ! 正しきものは正しき位置へ! 時空を捻じ曲げ、遡行せん!!」
詠唱により、迸る魔力が世界をセピア色に塗り替えた。迫りくる隕石の群れも影響を受けて、落下スピードが減衰していく。
「時ノ遏堰!」
数式を描く魔法陣が隕石に纏わりつき、その動きを完全に押し留めた。次いで動画の逆再生のようにそっくりそのままの軌道を描き、隕石は再び空へと戻されていく。
だが、これだけの数のグレーターデーモンがこの魔法を使う様は俺でも初見だ。故か、防ぎきれなかった最後の一個の隕石は街のすぐ真上にまで達していた。
「だったら!」
俺は全力で地面を蹴り付け、跳躍。直撃間近の隕石へ突っ込み、
「オラァ!!」
ぶん殴る。ボゴォ!! と巨大なクレーターが隕石に生じ、一撃で打ち砕く。粉々になった破片が流れ星のように落ちていくが、魔法で作られた星なので途中で効果が無くなり消え去っていった。
「ガァ!?」
その様を見て、混乱したようにお互いの顔を見合わせ、後ずさるグレーターデーモンたち。
俺は飛び散る破片を足場に、その中へ肉薄していく。
「ウガア!!」
しかし奴らも一級の魔物だ。すぐさまこちらの強襲に対応し、人間では考えられないくらい発達した腕を振るってくる。俺も応えるように拳を握り、殴りかかった。お互いの鉄拳がぶつかり合い――一方的にグレーターデーモンが打ち負ける。
交通事故でも起きたかのように腕が拉げて弾け飛び、肉と骨が裂けていく。
「相手が悪かったな」
何が起きたのか理解できない、と言った表情で呆けるツラに強烈な蹴りを叩き込む。グレーターデーモンは頭が爆発したように吹っ飛び、墜落していく。俺はその勢いを利用し、別の個体へ突撃した。
「グゥオオオオ!!」
仲間が殺されていきり立つが、結果は変わらない。頭と胸を剣の刺突で破壊し、骸へと変えた。
「グアアア!!」
接近戦では勝ち目はないと判断したのか、残る連中は魔法攻撃に切り替えてくる。火球や氷の剣、風の刃が襲い来る。
「星柔剣!」
俺は身を捻りながら避けつつ、一閃。鋭く速い剣速を以て魔法等のエネルギー的な物体、不可視の霊体、舞い落ちる羽のような柔らかいものを切り裂くスキルだ。あの異形頭には通じなかったが、グレーターデーモンの魔法は残らず迎撃された。
「――終わりだ」
ボッ、と残存する奴らの首を一気に跳ね飛ばす。
探知スキルを飛ばし、他の残党や伏兵、討ち漏らしを探るが引っ掛かる奴はいない。これで一連の魔物は全滅か……?
「いや――まだだな」
俺はある一点目掛け、急降下。
落下衝撃を両足の力だけで相殺する。
「ひ、ヒィイイイイイ!?」
「逃げるな、クソ野郎」
悲鳴を上げて逃げ出す奴へ、俺は六角の飛び道具を三本、投擲。
ガッガッガッ、と衣服の両手の袖、襟首をブロック塀に縫い付けた。
「や、止めてくれ!! 俺は命令されただけだ!! 何も知らねぇ、本当だ!!」
まだ何も聞いてないのに、男は喚き立てている。街灯に照らし出されたその姿はフケだらけのボサボサの頭、着ているスーツは小汚く、風呂に入っている様子は無さそうだ。
「………」
俺は無言で近寄り、男の傍で浮遊するそれを掴んで引き寄せる。
撮影ドローンだ。配信中のランプも付いている。空間には今まさに、コイツで視聴しているリスナーたちのコメントがゾロゾロと流れている。
『うわ、捕まってるじゃんwww』
『グレーターデーモンざっこww』
『おーい、見てる?ww』
『おお、生コメットをこんなに間近でwwwしかも配信してない時の姿w』
『いやー、君本当強いよね。見てて飽きないよ』
『お前のせいで賭けが機能しないんだけど? さっさと魔物に負けちまえ』
『いや、隕石ぶっ壊す子を倒せる魔物なんかもういないっしょw』
『倍率低いけど、この子に全額ブッ込むのが安パイよね』
『クソクソクソクソクソ! 大負けだ!!』
そこにいるのは、俺やスバル、サツキのリスナーさんとは明らかに違う連中。
明確な悪意や欲望に塗れた奴らだった。
 




