三十五話 やっぱりダンジョン
「う……」
波の音が聞こえる。目を薄っすら開けると、ヤシの木の葉が揺れていた。その隙間から差し込む陽の光は星のように瞬いている。
あーそうだ。俺は確か……配信の最中に。
「やっべ!」
ガバっと飛び起きると、顔から何かがはらりと落ちる。濡れたタオルだった。
「起きましたか」
隣には宇佐美さんが座っている。どうやら俺は木陰に敷かれたシートの上で寝ていたようだ。
「す、すみません。配信中に……」
「大丈夫ですよ。あのくらいのハプニングで文句を言う視聴者はいませんし、むしろ体調を気にかけるコメントで溢れてました」
「そうですか……」
安心すると同時に、リスナーさんの優しさが身に染みる。
「熱中症かと思いましたが……身体は大丈夫ですか?」
「ああ、はい。パッシブ系のスキルに回復効果のものがいくつもあるので、何かあっても最適な状態に戻ります」
念のため、魔法で体調チェックしたが問題は見受けられなかった。そもそもぶっ倒れたのは、刺激的なハプニングで感情が高ぶってしまったせいだろう。
……元々男の時からそういうのに耐性なかったし、日本とは価値観が異なる異世界ではもっと大変だった。
ただそういう触れ合いがあったからこそ、苛烈な戦いの中で荒んでいく心に潤いを与えられた、という側面もある。俺が人間らしさを失くさずに済んだのだ。
「心配かけてすみませんでした」
俺はもう一度、頭を下げる。
「気にしないでください。……良いものが見れましたしね」
「え?」
よく見ると、宇佐美さんの鼻にティッシュが詰まっていた。若干赤く染まっている。
「………」
なるほど。この人も休んでいたのか。
ビーチに戻ると、何故かスバルとサツキがサシでビーチバレーをしていた。
「あ、お姉ちゃん! 大丈夫?」
「いきなり倒れたから、驚いた」
「あー、悪いな。もう平気だから。で、二人は何してんだ?」
テンテン、と砂場で器用にビーチボールを突くスバルが答える。
「お姉ちゃんの一日所有権をかけた魂のバトルだよ!」
「一対一、待ったなしの決闘」
「……?」
所有権? 一体、いつから俺は物体になったんでしょうか。
『コメっちゃん戻ってきた!』
『大丈夫か?』
『良かった』
『今、お姉ちゃんと過ごす権利をかけて、ガチバトル中だよ~』
『完全に膠着状態だけどな。もう何回目のデュースだ?』
『二十三回目だね』
『終わるのかこれw』
何やら寝てる間に変な事態になってるようで……。このまま日暮れまで続けてくれないかなぁ。
「そんなわけで、お姉ちゃん! 終わるまでテキトーにリスナーさんたちと雑談でもしてて!」
「もうすぐ終わる。ボクが勝つから」
「そうは問屋が卸さないもんね!」
そうして再びバシンバシン、とアクロバティックな動きでボールを打ち合う二人。超次元スポーツかな?
付き合ってられないので俺はビーチ内を散歩する事にした。待機してたドローンを飛ばすと、配信が再開された。
「コホン……み、皆さん。ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
『コメっちゃんお帰り』
『心配したぞ』
『ヘカトンケイルぶっ飛ばす子が、倒れるさまを見れるとは思わなかったw』
すぐに俺を気にかけてくれるコメントが流れ、その温かさに嬉しくなる。
「妹とアークがあんな調子なんで、俺は暫く雑談しながら……この辺を歩きます」
まだまだ緊張は抜けないが、大事なリスナーさんたちだ。可能な限り、楽しませるような配信をやらないと。
『コメっちゃんの「俺」呼びが好きな同士おる?』
『ここにいるぞ』
『俺もだ』
『ワイも』
『あっしも』
『拙者も同意見で御座候』
『この流れ草』
『お前ら絶対普段、そんな一人称使ってないだろw』
「ぷ……アハハハ」
そのやり取りが面白くて、つい俺もつられて笑う。周りに人気は無いから気にしなくて良い。海水浴場の一部をステラ・スフィアーズが貸し切ったからだ。配信が俺たちだけじゃなく、父さんたちも同行したのはそれが理由だ。
とは言え、時期が時期なので貸し切りにしたスペースは海岸の端っこだ。スペースもビーチバレーのコートが一面作れる程度しかない。少し歩けば、すぐに無数の人混みへ出くわす。
「流石にここから先に行くのは止めた方が良い、かな」
多分、それなりに顔は知られてる。おまけに今日から天下のステラ・スフィアーズの一人だ。気づかれたら包囲されサイン攻め、質問攻めにされる可能性がある。
『そうだねー。有名配信者は実質アイドルみたいなもんだし』
『海外のトップランカーは外出するとSPがつくんだってよ。もう政府の要人クラスだぜ』
『ランカーなんてSPより強いのに、警護付ける意味あんの?』
『まあ、それだけ国家からも大事にされるってアピールでしょ。手を出したら戦争になるぞっていう』
『はぇー、じゃあコメっちゃんも今や雲の上の存在か~』
「俺は皆さんとフランクに会話したいので、遠慮なく気軽にコメントしてくれると有難いです」
変に敬われたり、畏れられたりするより仲良く話せるほうが何倍も良い。スバルやサツキも友達のように親しげだ。
『その気さくさ、優しさに全俺が泣いた』
『人気出ると良くも悪くも変わる人がいるからね・・・』
『決めた。俺の推しはコメっちゃんただ一人だ!』
「では、そろそろ戻りますね」
俺は踵を返し、元来た道を辿っていく。
まだスバルとサツキはバシバシ打ち合っている。マジで終わるのかアレ。
「……そう言えば、ここの海水浴場にもダンジョンあったよな」
ちょっと、見てみたいし行きたいなぁ。
ダンジョン内なら人に囲まれる心配もないし。有名配信者の同接は万単位、そんな視聴者の前で迷惑を働く奴はまずいないだろう。
「皆さんもどうでしょうか? ダンジョン配信でもしようかなと思うのですが」
今日の予定はアーク復活と俺の事務所加入紹介がメインで、それが終わったらビーチバレーなり、海で泳ぐなりするはずなのだが……あの二人は白熱バトルを熱演中なので、完全に俺は蚊帳の外である。
『見たい』
『デビュー配信でもダンジョンに潜ろうとする……やっぱり姉妹揃って脳筋……』
『またあのイケメン顔を拝めるなら』
『おkおk』
『是非とも』
リスナーさんの反応も良好だ。
俺は父さんにその旨のメッセージを送り、スマホでダンジョンの情報を検索する。
「……海底洞窟か」
上層なら危険度は低く、観光客のレジャースポットになっていた。太陽光と青色だけを透過する海水により洞窟の壁が青く輝くことから、『青の洞窟』とも呼ばれている。
スマホがブルブルと震え、メッセージの着信音が鳴った。
『ダンジョンなら自由に配信して構わないがルール・マナーを守り、怪我等に気を付けるように』
よし。じゃあ行ってみようか!




