表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傭兵稼業

作者: 高田園子

 首筋に向かって振り下ろされた剣を、咄嗟に左手で防ごうとした。

 刃は肉を切り裂き、骨の上を少し滑った。すぐに鋼鉄と骨が『がち』っと噛み合い、避けようと力任せに振るった俺の腕がちぎれて飛んだ。首への致命傷の代わりに腕を一本無くしたわけだ。

 俺は短くなった腕を押さえて後ろに下がった。傷口は見るも無残で、そのままではまともな治療もできないとわかってしまった。

 床屋(医者)の手でもう少し肉を切り詰めて、骨をきれいに轢き切る必要がある。

 問題は、それまでに目の前の敵を打ち殺し、無事に床屋のところまでいけるかということだ。


   ***


 異端撲滅十字軍の一員としてボヘミア界隈で戦った折、フス派の恐ろしさについて散々体験する羽目になった。

 フス派というのはキリスト教フス派のことで、バチカンと対立した挙句にドイツに侵入するに至り、異端認定を受けて全キリスト教世界を敵に回した連中だ。

 短銃の運用や堡塁馬車を使った迅速な陣地構築。長く戦場で暮らしていれば、一つ一つの戦い方には見覚え聞き覚えがあった。だが、フス派の連中は信仰で軍を統制し、優れた指揮官のもとでそれらの新兵器、新戦術を大々的に運用し、連戦連勝を誇っていた。

 練度の高い軍隊というのは、怖い。

 俺は貧乏学生崩れの傭兵なので、歴史という奴に興味を持っている。

 ある意味、無敵を誇ったフス派の連中は古代ローマの国民皆兵に近い。優れた新兵教育制度は、それだけで飯が食えるほど価値があるのだ。

「ルテナン」

 呼ばわれ、黙考をやめてそちらを向く。

 隊長付きの古参兵が息を切らせてそこに居た。

「隊長がお呼びです、天幕まで」

 俺はもう一度眼下の光景を確認してから、きびすを返した。


 俺が居た、周辺で一番高い丘の稜線。眼下では、スイス傭兵を主体とした敵軍と、それを迎え撃たんとする俺たちがつく側の軍が対峙していた。


   ***


 俺の所属する傭兵隊の野営地は、戦場からだいぶ下がったところにあった。

 日は、まだ十分に高いところにある。俺は顔見知りの兵隊に挨拶をすると天幕群の中に入っていった。

 寝床のつくり具合を見れば傭兵隊の質がわかる。俺たちの隊は、天幕をきちんと並べて張り、野営地全体を囲うように簡単な柵を立てて要所に兵隊を立てていた。俺はまっすぐに隊長の天幕へと足を向けた。

 隊長はいつものとおり、天幕の入り口のすぐ前に長机と椅子を持ち出し、書記と何かを話していた。


 隊長はお世辞にも色男とは言えない面の持ち主だった。長い戦場暮らしのせいで元からたいしたことの無い顔がさらにボコボコになっているからだ。

 まず、左耳の外耳がない。鼓膜は無事なので聞くほうは問題ないが、顔の横がつるっとしているのは何か人を不安にさせる。

 ついでに、耳を殺いだのと同じ剣の一振りが、あごの左側にいかした傷を付けている。

 そのせいで口元がひきつり、きゅっと持ち上がっていつも笑っているように見える。

 というわけでついた渾名が『ニヤニヤ笑い』。もちろん、本人の前で言えるような類の渾名ではない。

 もちろん、この俺だけは別なのだが。


   ***


「あんまり美味しくねぇな」

 俺が戦場で見てきた光景を伝えると、ニヤニヤ笑いは素直に認めた。

「相手が? スイス傭兵? 聞いてねえし。どうするよ」

 長机についているのは俺と隊長、書記の三人だ。かたわらでは、隊長付きの古参兵と小間使いのガキが要求にこたえるべく待っている。

 隊長は酒の入ったコップを揺らしながら、酒に写る自分の顔を眺めていた。

 俺も一杯注いでもらい、ゆるゆると飲みながら話を進める。

「すぐにはなんとも。で、そっちの具合は?」

「雇い主がゴネやがってな」

 ニヤニヤ笑いが片手を振る。書記が苦笑いをして説明した。

「うちの規模から見て、事前に言っていた額を払わないと言い出しています」

 あー、あれか。


 実のところ、俺たちの隊は雇い主といまだきちんとした契約を結んでいなかった。

 戦争があるといわれ、提示された額にホイホイと顔を出してみたは良いが、雇い主がなかなかのやり手で、条件を巡って争っているというわけだ。

 さて、俺たちの傭兵隊はざっぱに三つの隊に分かれている。

 第一隊は、ニヤニヤ笑いが直卒する歩兵部隊で、糞まで根性が詰まった信用できる連中だ。

 第二隊が、隊の規模をでかく見せるためにそこらで集めたボンクラ破落人連中で、契約の時まで逃げ出さなければそれでいいと思って抑えてある。ちなみに俺がこいつら係。貧乏くじ以外のなんでもない。

 そして、第三隊が、飯炊きや繕い、物資管理なんかを任せている支援部隊だ。これは俺とニヤニヤの考えで、仕事のたんびにこういう連中を掻き集めるのではなく、端から部隊に抱えていたほうがやりやすいと気づいて雇っているのだ。


「で、第三隊が」

「はい、人員に数えられないと」

 書記が肩をすくめて説明した。

「第三隊は戦場に立たない、だから契約には含まれないの一点張りで」

 まぁ、普通はそうだよな。

 俺はぼりぼりと頭をかいて空を仰いだ。椅子の後ろに体重をかけて、後ろの二脚でバランスを取る。

「ちょいと戻ってスイス傭兵だが。直接あたる必要はないと思う」

 俺が話題を変えると二人が続きを待つように姿勢を正した。

「雇い主側の部隊を見てきたが、情報どおり銃と砲兵に力を入れている。あとは騎乗歩兵がちょっぴり、騎乗クロスボウ兵がさらにちょっぴり」

「火力と運動」

 隊長が満足そうに酒を乾した。隊長は戦争の極意は勝ち馬に乗ることだと信じている。

「ってことは、俺たちが突っ込まれる局面は制限される。俺たちは歩兵主体の並の隊だし」

「中の下ですね」

 書記が残念な事実を補足する。

「……並以下の隊だし、無茶な要求をされることは多分無い」

 もちろん、並以下というのは部隊規模のことだ。俺たち自身は、俺たちの隊をそれなりのものだと自負している。というか、そうであって欲しいと願っている。

「ということは、契約さえごまかせばあとはどうにでもなるってことだ」

 隊長が俺の言葉をついで締める。

 俺はコップを振って酒が無いことを示した。

 小間使いのガキが、あわてて俺の杯を満たす。ちょろっと尻を撫でてやると、びびったように下がっていった。

 ゲラゲラ笑う俺にほとほと呆れた、という顔をしてから、ニヤニヤ笑いが話を続けた。

「で、だ。第三隊についてどうするかだ」

「第三隊は諦めろ」

 俺はがたん、と椅子を戻すとまじめな顔で隊長に応えた。

「第二隊についてはばれていない」

 俺がその点を指摘すると、コップの酒を眺めていたニヤニヤ笑いが視線を上げた。黙って続きを言うように俺を促す。

「第二隊を増員、だな。徴兵係を出して集められるだけ集めて、それでごまかす」

 俺は書記のほうを向いてどうだ? というふうな顔をする。

「契約的には、頭数ですから。ごまかすだけなら」

「けどよ、それだと隊の規模と実力がかなり開くぜ」

 ニヤニヤ笑いがコップを持った手の人差し指を伸ばして言った。

「それで無茶な局面に突っ込まれたらどうするよ」


「実力を上げればいいだろ」

 俺は投げ出すように両手を広げた。


   ***


 さて、キリスト教世界を震撼させたフス戦争は終わり、俺は幾人かの親友を得ることができた。

 それがニヤニヤ笑いと書記の二人で、俺たち三人は他の知り合いにも声をかけて新しい傭兵隊を立ち上げた。

 ニヤニヤ笑いはあれでも一応貴族の血統で、それなりにあちこちにコネがあった。

 書記は、元は教会の人間で、読み書き算術が出来る、ある意味俺たちの隊でもっとも重要な人間だった。

 じゃあ俺は? 貧乏学生崩れの俺は、いったい何が出来るのか。

 端的に言うと、俺は隊にフス派のやり方と戦術を導入しようとしているのだ。


 戦争というのは時間がかかる。将来的にはどうか知らんが、部隊移動にも戦闘準備にも時間を食う。あっちの兵隊をこっちにちょろちょろ、こっちの兵隊をあっちにちょろちょろ。

 気がつけば一、二ヶ月が経ったりする。

 というわけで、我が傭兵隊は第二隊の増員で無事に契約を成し遂げた上に、約一ヶ月の時間をごまかすことに成功した。

 一ヶ月で、第二隊のボンクラどもを、ちょっとはマシなボンクラに変える必要があるわけだ。

「ってか、できるのかよそんなことが」

 場所は、練兵場として使っている野営地の近くの原っぱだ。

 訓練を見に顔を出して早々、ニヤニヤ笑いが俺に言った。

 正直、俺もここまで酷いとは思わなかった。

 基本的に、俺たちの傭兵隊はパイク兵主体でやっている。長物で敵をぶっ叩くのはあまり頭を使わなくていいからだ。きちっと隊列を組んで何も考えずに突っ込んでいくだけ。

 だが、宥めすかしたり騙したりして集めてきた連中は、その手の集団行動すらまともに出来ていない。ごちゃごちゃっと固まって、うろちょろと動いているだけだ。

「これじゃ大砲の一撃でごわさんだな」

 俺が肩をすくめると、隊長は無言で先を促した。


 ここで、もう一度フス派の連中の話に戻る。連中の強さについては語ったが、その一番の要因はなんだったのか。

 それは、優れた組織力、新兵教育制度だ。新兵器なんてのはぶっちゃけただのおまけに過ぎない。

 戦争をするというのは特殊技能で、頭ではどう考えても、いざというときには意外に体が動かない。

 敵を殺しても良いんだよ、敵を殺すのが仕事なんだよ、といくら事前に言い聞かせても、実際に敵を殺す段になると大抵の人間は動けないのだ。

 ちょっと考えてみればわかる。普段、日常生活においてきつく禁じられていることを、急に許すといわれてもなかなか行動には移せないのだ。

 神父さんに卵ぶつけるなんて普通できるか? やっても良いといわれて、すぐにその場で実行できるか?

 というわけで専門職が必要になる。それが、俺たち傭兵であり、あちこちの領主さんがたが抱えている騎士だったりするわけだ。

 だが、これら専門職の仕事を、もっと広く、そう、そこらの農民や街の連中にやらせることが出来たらどうなると思う? 逆に考えよう。そこらの農民や街の連中を、専門職と渡り合えるように出来たら何が出来る?

 それをやったのがフス派だった。農民市民を訓練して一端の戦争屋に仕立て上げて、キリスト教世界全土から集まる異端撲滅十字軍をさんざんに打ち破った。

 やつらと同じことが出来る連中が居るとしたら、いまだ国民皆兵の匂いが残るスイス、あるいは北欧諸国……。

 または、俺たちのようにあの戦争を見てきた人間だけだ。

 もちろん、今の俺たちにフス派と完全に同じことはできない。連中は信仰という共通の拠り所があったし、訓練期間も俺たちよりも長かった。なにか他の手っ取り早い方法を考える必要がある。


 というわけで俺は酒を水でうめることにした。

「第一隊と第二隊を混ぜる?」

 俺の説明を聞いてニヤニヤ笑いの顔から笑いが消えた。

 さて、ここにワインが一瓶あるとする。コップにちょいと注いで、美味しくいただく。

 ワインが半分に減った。

 そこで、瓶に水をそそいでいっぱいにする。

 まぁ、まだワインと言えばワインではある。コップにちょいと注いで、美味しくいただく。ほら、やっぱりワインじゃないか。ワインが半分に減った。

 そこで、瓶に水をそそいでいっぱいにする……。


「ちょっと待った」

 そこまで説明したところで、隊長が話を止めた。

「要はあれだろ? 俺の第一隊の精鋭と、お前のところのボンクラを混ぜれば、そこそこ戦えるはずだと言う」

「そうだ」

「今のたとえだと、精鋭とボンクラで1:4だ。さすがにそれだと弱くねぇか?」

「1:3だよ。だが、まぁ確かにそれだと薄めすぎだな」

 だが、アイデアは伝わったらしい。そこら辺はさすが歴戦の傭兵だ。

 部隊の平均化、というのは軍事指揮官全てが見る夢だ。

 いくつかの部隊を抱えているときに、その全てが平均的な力を持っていれば、できることに幅が出来る。

 精鋭と新兵を混ぜて運用すると言うのも、昔からある平均化のアイデアだ。てっぺんは下がるが、底値は上がる。だが、実際の現場ではなかなか出来ないことであるのも確かだ。

 しかし、フス派を見た俺と隊長なら、そして今の隊の規模なら不可能ではない。

「1:3だ」

 ニヤニヤ笑いが俺の目を見て断言した。これは友人としての意見ではなく、隊長としての命令だ。

「三人に一人は精鋭を入れろ。右手と左手分なら、俺の経験上ぎりぎり面倒が見られるはずだ」

 俺はうなずいて指示を飛ばした。

 三人に一人が精鋭なら1:2じゃないかというのはわざわざ口にしなかった。


 というわけで、言いだしっぺの俺が訓練係になった。第一隊の連中にも、隊を混ぜる理由をきちんと話す。第一隊の大部分もあの戦争を経験している。俺と隊長の意図は伝わった。

 ただ酒をうめただけではただの薄い酒だ。薄めたあとに、ちょっとは訓練する必要がある。

 実際に訓練を始めてわかったのだが、精鋭と新兵を混ぜると言うのは俺が考えていた以上に効果があった。

 新兵にしてみれば、二人に一人教官がついているのと同じなのだ。訓練の効率がまるで違った。

 また、精鋭連中にしても、新兵に何かと頼られるうちに自然と序列ができていった。

 これが意外なもので、第一隊だけでまとまっていたのでは見えなかった部分が見えてくるようになった。

 下に教えるのが上手い奴、場の雰囲気をよくする奴など、そういうものがわかるようになったのだ。

 もちろん、いいことばかりではなかった。馴染めない奴はどうしてもでてきたし、脱走しようとした奴をボコボコに殴る機会も多かった。

 そんなこんなで、一ヶ月はあっという間に過ぎていった。


   ***


 男所帯のなにがつらいかと言えば、そのまま女がいないということに尽きる。

 もちろん、それがわかっているから傭兵隊にはそういう商売の連中が集まってくる。

 傭兵隊の後ろをついて周り、ちょっとした繕い物だの、洗濯だのをしてくれる。

 夜になると股を開く。

 俺の隊はそういう連中をがっつりと囲い込んで第三隊として運営しているわけだが、それを一手に引き受けているのが書記だった。というわけで書記は別名第三隊長とも呼ばれている。

 その第三隊長が、夜になって俺を天幕へと誘ってくれた。


 書記の天幕は、商家と兵隊の住処のあいの子のような感じだった。

 傭兵契約や、支援物資関係の資料。書記見習いの小僧どもの椅子に、金勘定のためのあれやこれや。

 今は小僧どもは他所に出してあり、天幕の中には俺と書記しかいなかった。

 獣脂蝋燭がばちばち言う中で、書記が手ずから俺のコップに酒を注いでくれた。

 俺は椅子の背に体重をかけると、後ろ二脚でバランスを取った。

 俺のいつもの癖を見て、書記が相変わらずですね、といってにこりと笑う。

 書記は長く伸ばした金髪を後ろで三つ編みにした優男で、ちょっと見にはほとんど女のように見えた。

 それもそのはず、書記は男にとって重要な股間のものを持っていなかった。


 さて、あるところに周りで評判のかわいこちゃんがいたと思ってくれ。

 教会の有力者が、そのかわいこちゃんに目を付けて去勢歌手として手に入れようとした。

 大都市から去勢手術の成功率で有名な神父が呼ばれ、大事なものを切り落とした。

 かわいこちゃんはなんとか術後を生き残り、無事に小便をすることが出来た。手術は成功、ニンフェットの誕生だ。

 しばらく、かわいこちゃんは有力者のおもちゃとして面白おかしい生活をしたが、ある時罰当たりな食い詰め傭兵達がその教会を襲撃、かわいこちゃんも解放された。

 ちなみにその襲った傭兵達の中に、俺もいた。異端撲滅十字軍に参加する前のことだ。


「マリーヤの件ですが」

 しばらく、歓談した後で書記が言った。マリーヤというのは第三隊でも粋のいい姐さんで、俺がよく寝屋を共にする美人のことだ。

「彼女が、貴方以外に客を取らないことを知っていますか?」

 俺はゆっくりと酒をすすった。書記がじっと俺を見つめている。

 マリーヤは豊かな声と豊かな髪、ついでに豊かなおっぱいの持ち主で、面倒見がよくしゃきしゃきしているので、第三隊のなかでもかなりの人気者だった。

 あの魅力的な笑い声。俺が第三隊に顔を出すと、大抵はマリーヤが相手をしてくれた。

「あんたは、舌の使い方が嫌らしいからさ」

 一戦交えた後で、うとうとしている俺に対して言ったものだ。

「若い子をあてがったら、本気になっちゃうかもしれないじゃない。だから、あたしが相手をするの」

「どんだけ酷い男だよ、俺は」

 ぼやく俺にくすくすと笑って、マリーヤの手がもぞもぞと動いた。甘え上手で、凄い寝技をいっぱい知っていた。


「彼女と一緒になるんですか?」

 書記の問いに、俺は苦笑いして首を振った。

 傭兵にとって、引退時というのは悩みの種だ。女と一緒になるのは引退の機会としては悪くないが、今の俺にはなにもない。

 それに、俺はまだ戦場に立ち続けなければいけない。これでも傭兵隊の幹部の一人だ。

 隊に、仲間に責任がある。

「そんな男と一緒になっても、女に悪いよ」

 俺は淡々と事実を述べた。いつ死ぬとも知れない旦那をもってなんになる?

「なら、どうしたら一緒になるんですか?」

 書記がしつこく聞いてきた。俺がこの話を切りたがっているのをわからない書記ではない。

 ならば、真面目に答えるべきだ。

「傭兵隊が落ち着いたら……じゃなきゃ、もう戦えないぐらいの傷を負ったらかな」

 俺はぐいと酒を乾した。

「だがよ、隊が落ち着いたらすぐに俺はお払い箱か? そりゃないだろ。戦えないぐらいの傷を負ったら、一緒になっても女に苦労をかけると思う」

 結局、と俺は苦く笑って見せた。

「売剣がまともに所帯を持てるとは思わんね」

 天幕の外で、人が走り去るような音がした。

「マリーヤか?」

 はい、と書記は頷いた。

「頼まれました、真意を知りたいと。私も一応、第三隊を預かる身なので」

 俺は勝手にもう一杯注ぐと飲みだした。

 書記が、机を回ってくると俺の手に自分の手を重ねてきた。

「……今日は私が相手をしましょうか?」

 俺は書記の顔を見た。ちょっと見には、女と区別のつかない美しい顔。

 去勢者は『モノ』がないせいで不安定になることがある。

 書記の場合は下手に頭がいいせいで、それが深刻だった時期があった。

 男として女を愛せば良いのか、女として男を愛せば良いのか。

 それとも、男として男を愛せば良いのか。女として、女を愛せば良いのか。

 一度、酷く荒れて泣き喚く書記に、抱いてみろ、と挑発されたことがあった。

 俺は躊躇なく抱いてやった。俺はそのあたりはあまり気にしない人間なのだ。

「いや、今日は気分が乗らんよ」

 俺は立ち上がると酒の礼を言った。天幕の入り口へと歩を進める。

 ぎゅ、と袖をつかむ気配があった。まるで親に捨てられるのを恐れる子供のようだ。

 俺は振り返ると書記を抱き寄せ、口を吸った。二、三度舌を絡ませてから、ゆっくりと口を放して天幕を出た。


 唇に指を当ててたたずむ書記の姿が印象に残った。


   ***


 敵軍に動きがあった。こちらの火力に業を煮やして、兵力を増強した上で大規模迂回の気配を見せたのだ。

 契約が遅れていたことが、結果として俺達の傭兵隊を雇い主側の予備兵力とした。

 迂回の姿勢を見せる敵軍の尻に噛み付け、それが上から降ってきた指示だった。

 移動中の敵を捕らえればこちらが有利だ。だが、相手は歴戦のスイス傭兵。

 俺達の真価が問われていた。


   ***


 ある秋の日の夕暮れ、俺達は移動中のスイス傭兵の尻を捕らえた。

 素人が多いことが幸いした。スイス傭兵の怖さを知らずに、命令どおりに突っ込んだのだ。

 まともに隊列を組めば相手が有利。事前にニヤニヤ笑いと相談して、あえて日の落ちるか否かの時間を狙って混戦に持ち込んだ。

 第一隊と第二隊の混成部隊は、訓練後にもう一度二隊に分けて、俺と隊長とで指揮を取った。

 結果は、絵に描いたような大混乱。だが、混戦を予想してたかそうでないかは、如実に差となって現れていた。


「左翼押しこめぇ!」

 隊長の大音声が響き、応える声が津波となる。俺達は縦隊で移動中の敵に左後方から噛み付いていた。相手が体勢を整える前にしっぽを切り落とし、包囲殲滅して逃げる算段だ。

 麦穂のように立っていたパイクが、一斉にざぁっと流れるように前を向く。速度はそのまま衝撃力だ。

 隙間なく穂先を並べて、駆ける。どかっというお馴染みの衝撃が走り、穂先が肉を貫くのがわかる。

 長柄で突っ込んだ後は落穂ひろいだ。敵に刺さったパイクは置き、剣を抜いて振りかぶる。

 絶叫、絶叫、悲鳴、悲鳴。

 先制できたことが幸いした。うちの隊の新入り達もたっぷりと血に酔っている。

 隊長が先頭になって剣を振っている。いつものニヤニヤ笑いを浮かべ、豪快にぶん回す。

 隊長の周りを固めるのは昔馴染みの連中だ。突撃に加わらなかったパイク兵で盾を作り、隊長を守りつつ戦場を思う存分かき回している。

 血に濡れた草がぐちゃっという。鋼鉄が鋼鉄を叩く硬い音。ぼきっと骨が折れる音とともに悲鳴が響く。

「ルテナンはさ」

 と言われたことがある。

「普段はおちゃらけて居るのに、戦場だと怖いって」

 あれも、マリーヤとの一戦の後に言われたのだ。

「誰だよ、んなこと言うのは」

 俺はぐずったような口調で文句を言った。マリーヤの前ではガキっぽくなってしまうのだ。

 やり終えた後の、心地よいけだるさの中で、マリーヤが耳元でささやいていた。

「……普段はいつもにこにこしてるのに、戦場では完全に無表情だって。本当?」

 さあ、どうだったかな、と適当に応えつつ、俺はマリーヤの胸に手を伸ばし……。


「隊長!」

 飛んでいた俺とは別の俺が、絶叫した。

「殲滅に時間がかかりすぎている! 敵が持ち直してきた!」

 俺の声に気づいた隊長が周りを見回す。

 全体としては突撃は成功していた。スイス傭兵に大打撃を与え、あたりに腕だの内臓だのを撒き散らしている。

 だが、切り落とした『しっぽ』ではない連中が横隊を組みつつあった。

 部隊の仕切りを古参の一人に任せて、隊長が俺の方に駆けて来た。

 俺が指差す方向を見て頷き、俺を見る。

「もう一戦やって引き上げる」

 そうしないと追撃されてどちらにしろ終わりだ。

「俺の直卒の連中を使っていい」

「隊長は?」

 隊長は肩をすくめてふざけた態度をして見せた。

「練度が低い連中をまとめてやる。できるな?」

 俺は無言で片腕を出した。がちん、と隊長とこぶしを合わせる。

 そのまま、二人ともぐるり、ときびすを返した。

 お互いの仕事に集中する。


「集まれ! ……集まれってんだよ!」

 古参連中と共に隊をまとめて、もう一度密集隊形を取ることに成功した。

 敵に刺さったパイクで回収できるものは回収してある。それなりの密度で穂先を並べられるはずだ。

 だが、相手は歴戦のスイス傭兵。こちらに倍する速度で見る見る隊形を整えていく。

 じわっとこめかみを汗が伝う。恐怖と興奮があたりに満ちている。

 周囲にはたくさんの顔、顔、顔。知っている顔もあれば知らない顔もある。

 精悍な顔やおびえた顔。諦めたような顔や楽しんでいる顔。

 俺の命令で死んでいく顔。

 一瞬考え、決断した。俺達の守り神は『混乱』だ。敵が隊形を整える前に突っ込んでぶっつぶす。

「突撃にぃ!」

 剣を突き上げて声を上げる。

「つっこめぇ!」

 敵に向かって振り下ろす。




 そして、混戦の中で俺は腕を失った。


   ***


 目覚めれば、馴染みの顔が並んでいた。

「だいぶ目方が軽くなったな」

 軽口を叩くのはニヤニヤ笑いだ。だが、今は笑っているように見えない。

「よかったです、本当に」

 書記が涙を浮かべて笑っている。その手が、俺の手を握っていることに気がついた。

 場所は隊の野営地の中にある天幕だ。風通しを良くするために両側をあけてある。

 どうやら、俺のために天幕をひとつ使っているらしい。横になったまま頭をめぐらすと、あちこちで俺の様子をうかがう連中の姿が見えた。

「戦闘はどうなった?」

「その質問は三回目だぜ」

 俺の問いに、隊長が答えた。

「覚えてないんだよ、教えろって」

 起き上がろうとする俺を押さえて、書記が枕の位置を直した。

「大体は作戦通りです。スイス傭兵に大打撃をあたえ、うちの隊の被害は許容範囲に」

「うちも大打撃さ」

 隊長がぶすっとした顔で言う。

「ルテナンが片腕になった。どうするよ、おい?」

 俺はちぎれた左腕に触れた。予想通り、さらに切り詰められて短くなっている。

「ああ、糞」

 俺は右腕で両目を覆ってしばし黙った。

 隊長と書記も黙っている。

 そのとき、表がうるさくなった。


「ルテナン!」

 駆けつけてきたのはマリーヤだった。

 俺の傷を見て息をのみ、すがりつくように俺の手を握る。

 すすり泣くマリーヤを見ているうちに、俺のなかでぐるぐると回っていた黒いものが落ち着いてくるのがわかった。

 手を離し、面を上げたマリーヤの頬に触れた。マリーヤが自分の手を重ね、顔を涙でぐしゃぐしゃにするのを見て決意する。

「なぁマリーヤ」

 マリーヤが俺の目を見る。

「こんな俺だが、一緒になるか?」

 マリーヤがさらに号泣した。


   ***


 マリーヤは俺が引退するぐらいの怪我をすることを願っていたらしい。

 だが、実際に俺が片腕になったのを見て、自分がどれだけ恐ろしいことを願っていたのかわかったのだという。

 マリーヤが落ち着くのを待って、俺は全てを許してやった。というか、元は俺がぐずついていたのが原因だ。

 腕については、完全に俺が悪いとしか言いようが無い。


「で?」

 と隊長が先を促した。

「言ったとおりだ、マリーヤと一緒になる」

 書記に支えてもらって体を起こし、マリーヤを抱き寄せた姿勢で俺は応えた。

「それなりに隊のために働いてきたはずだ。金ははずめよ?」

 ふざけた口調だが、難しいことだというのはわかっている。

 傭兵隊なんていうものの内情はいつもかつかつだ。特に、幹部だった俺は隊の懐を知っている。引退したい、金を出せ、が普通は通じるはずが無い。

 だが、さすがにそこは俺と隊長の仲だ。身包みはがれて追い出されることだけは無いはずだ。

 無いはずだと思っていた。


「おいふざけるな」

 珍しく、隊長が真顔で俺を睨んでいた。

「片腕をなくした、嫁さんをもらった、それぐらいで傭兵稼業から足抜けできるとでもおもってるのか?」

 ぽかんとする俺に対して隊長は続けた。

「今回の新兵訓練な、成功だったろ」

 ああ、と俺は隊長の意図が読めずに生返事をした。

「速成の連中で、不意打ちとはいえスイス傭兵相手にあれだけできた」

 でだ、と隊長は俺を示した。

「今回の戦闘でまた頭数が減ったんだぜ? 訓練隊長殿」

 こういうところがあるから、ニヤニヤ笑いは隊長なのだ。


   ***


 そのあとは、夜を待って宴会になった。

 俺が起きるまで待っていてくれたらしい。死者への弔いがあり、生への喜びがあった。

 酒がたっぷりと振舞われ、俺とマリーヤが一緒になることを告げて喝采を浴びた。

 もう夫婦面で俺が酒を飲むのをたしなめるマリーヤに、中から消毒するんだと言ってたっぷり飲んだ。


 長机の前で椅子に座り、体重を背にかけ後ろ二脚でバランスを取る。

「でもよ」

 とコップを片手に隊長が言った。

「マリーヤと一緒になるんなら、書記のほうはどうするんだ?」

 無邪気な顔で俺に尋ねる。

 がしゃん、という音に振り向くと、コップを取り落とした書記が真っ赤になって口をパクパクさせていた。

「気づいていたんですか!?」

「気づかれてないと思ってたのか?」

 こういうところがあるから、ニヤニヤ笑いは隊長なのだった。


 隊長と書記とマリーヤの視線、どころか傭兵隊のほかの連中の視線まで集まる中で、俺はゆっくりと酒を乾した。

 そして全員の顔を見てから言ってみた。

「まぁ……ためしに三人でやってみる?」




 マリーヤと書記に殴られて、俺は椅子ごとひっくり返った。

フス戦争後の欧州傭兵ネタ小説。

ライトノベル作法研究所に投稿後、ブログ掲載。


設定の甘さ、構成の適当さについてお叱りを受けた。


なお、床屋==医者としているのは執筆当時の私が床屋医者を字義通りに解釈したため。

床屋医者ギルドが床屋と医者の合併ギルドとかわかるか。


https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2602427

pixiv側アドレス

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ