第八話
イオンがひそかに育てていたという、稀少植物『ブラン・オール』。この植物を発見して少年に提供した人物は、山小屋の少女ルシカことルシフェルカであった。
「ブラン・オールを見つけた少女に、ぜひ、お会いしたい」
ルーガの館を訪れ、強く願い出たのは、監査係長を務めるユルグ老だ。
いつもは無表情を崩すことなく、たるんだ若者に緊張感をもたらす人物が、小卓を挟んで反対側の椅子に座るルーガのほうへ身を乗り出してまで頼んでいる。
「ユルグ老、落ち着いてください。その……突然少女に会いたいと言われても」
ルーガは歯切れの悪い口調で、ちらとユルグ老の隣にいるイオンに視線をずらした。
陽光に溶け入ってしまいそうな金色の髪に菫色の瞳をした少年は、不機嫌な様子でルーガの視線を受け止めると、軽く頭を横に振った。
「イオンが何か、ルーガ様? こやつ、師であるこの私に隠れてブラン・オールを育てるとは、どういう了見かわかりませぬが。それでも、あの植物を育てていたというところはさすがわが弟子というべきでしょう。少女に見つけた場所を訊き、今後このイオンにも繁殖作業を手伝わせようと思っております」
イオンとの視線だけのやり取りで何か勘付いたユルグ老に、ルーガはわざとらしい笑顔を返してごまかした。
「ユルグ老。ブラン・オールを見つけたという少女に会いたいお気持ちはわかりますが、実は、彼女はとある貴族のご令嬢で、療養のためにこの黒竜族の里に滞在しています。今はまだ体調が不安定なので、こちらの一存で会うことはできません」
ルーガの言い分は、半分は真実で、もう半分は作り話だった。いや、完全に作り話であるとも言えないかもしれないが、なにしろ彼自身がルシカについてすべてを知らされていないのだから、仕方がない。そう、つい先ほど顔を合わせていたルシカは、確かにアニス伯爵家の令嬢であるが、人に会えないほど体調が悪いわけではないし、なぜ人目を忍んで山小屋暮らしをしているのかも謎である。
しかし、今はルシカをそっとしておいてやる方が良いと、ルーガの勘が告げていた。
そんな機転の利いた若き黒竜族長を心の中で絶賛したのは、ルーガの傍らで立ち控えていたリノンだけではなく、イオンも同様で、珍しく素直に目礼してきたのだ。
自尊心が美少年の皮を被っているようなイオンに感謝されるのは悪くない、と、ルーガが気分を良くした時であった。応接室の扉が数回叩かれ、大きな男が部屋の入口を潜るように軽く頭を下げながら入ってきた。左竜・ギルウスだ。
戦士のごとく鍛え上げられた体躯を持つギルウスは、外見によらずとても几帳面で、ユルグ老に頭を下げて挨拶をした後、ルーガに近寄り、彼の耳もとで来客を告げた。
「届け物をしてすぐに帰ろうとしたから、一応引き止めてある」
ギルウスはユルグ老の手前、名を明かすことはせず、さりげなくルーガにだけ聞こえるよう、さらに小さな声で『リノンの友人の、例の彼女だろう』と告げた。そうして、上半身を起こすと、問うようなまなざしを向けているリノンに一度だけ頷いてみせた。
黒竜族長と、頼もしい補佐役二人の無言のやり取りを見ていたイオンも、少なからず察し、表情を変えた。ユルグ老がいる今、その『客』は招かざる客であった。
すぐに反応したのは、やはりルーガだ。
「リノン、客人を別室に案内してくれないか。わざわざ届け物をしてくれたんだ、礼を言いたい」
「分かったわ」
機敏な右竜がさっそく部屋を出ていくと、ルーガはユルグ老に向きなおり、畳みかける勢いで言った。
「ユルグ老。大変申し訳ないが、ブラン・オールに関しては早急に対処することはできない。少女には俺から話をしてみるというところで納得していただけないだろうか」
「ううむ……仕方ありませんな。イオンの隠し事といい、何か事情がおありのようだが。では、いずれ、孫の非礼もお詫びしたい旨も併せてお伝えいただきたい」
「確かに伝えましょう」
存外、あっさりと引き下がってくれたユルグ老に、ルーガは内心ほっとしたのだった。