第五十二話
ルーガに再会したルシフェルカは、黒竜族の里の面々と休憩を取ったあと、再度自ら客間に赴き、医術学部長に気持ちを伝えた。すなわち、王立図書館には戻らぬという決意と、治療法はどうあれ、今まで命をつないでくれたことに対する感謝の気持ちである。
多忙を極める医術学部長は早々に王立図書館へ戻らねばならず、ルシフェルカと交わした言葉は多くはなかった。しかし、声を取り戻し、笑顔を輝かせた少女を感慨深げに見ながら何度もうなずく医術学部長のその表情はまるで祖父が孫を慈しむようであり、決して被検体としてだけ見ていたわけではないことが分かった。
そして、今後もルシフェルカの治療に協力を惜しまぬ約束をした医術学部長は、心なしか肩の荷が下りたかのような晴れやかな笑顔で馬車へ乗りこむと、アニス邸を後にしたのであった。
その後、散歩をすると義兄二人に言い置いたルシフェルカは、一人、手入れの行き届いた森のような庭を奥へと進んでいった。
濃い緑の香りが清々しい広大な庭では小鳥がさえずり、木々の間から兎や狐が時折顔をのぞかせているのを見ると、おのずとルシフェルカの顔には笑みが浮かんだ。
この別宅の庭は、あえて木々をたくさん生やしてあり、ルシフェルカの命の糧となるよう配慮されていた。しかし、今では体力が飛躍的に回復し、声で他者の命を縛ることもない。そのことが自信につながり、生きている実感が、そして地に足をついている感覚がますます少女の回復を助けていた。
ルシフェルカはふと金鳳花の黄色い花を見つけ、その傍で屈んだ。これは花弁が金色で葉から茎が白色のブラン・オールとは違い、普通の金鳳花だ。神々しさはないが、可憐な植物である。
「あなたの仲間のブラン・オールにはとてもお世話になったのよ」
ふと、そう笑顔で話しかけたルシフェルカに、背後から青年の声がした。
「やっと見つけた。お前の家の庭は広いな」
立ち上がり後ろを振り向いたルシフェルカは、金色の髪をした声の主を見て顔を輝かせた。
「ルーガ! お義兄様たちとゆっくりお話はできたかしら」
ルシフェルカが小走りでルーガに近寄ると、二人は自然に抱きしめ合っていた。そうして、手をつなぐと、散歩の続きを楽しむことにした。
「ここの風は穏やかで気分が落ち着くな。俺の流星もとても気持ちよさそうにしている」
昼間は太陽の光にまぎれて見えないが、頭上近くにいる風の精霊を見上げた。
「お義兄様たちが、館の装飾よりも環境を重視なさって整えた庭なのよ。この家と庭がなかったら、私はもっと早くに天に召されていたかもしれない」
「そうか。お前の義兄さんたちはすごいな。特にジェイスはかなりの切れ者だ。伯爵にとどめておくにはもったいないと思ったよ」
自慢の義兄を褒められて幼子のように歯を見せて笑ったルシフェルカの頬にそっと手を当てたルーガは、少女の水色の瞳を見つめて続けた。
「今まではお前の義兄さんたちがお前を守ってきたが、今後は俺が守ります――って言っておいた」
悪戯っ子よろしくにんまりと笑ったルーガの発言に驚いて目を丸くしたのはもちろん、ルシフェルカの色白の顔があっという間に真っ赤になってしまった。
「あの、それは、ええと……」
すっかり思考回路が混乱している少女の慌てぶりに吹き出したルーガは、ますます愛しさが増したとばかりに目を細め、今度ははっきりそれと分かるよう口づけた。
「ル、ルーガはずるい」
恥ずかしさを紛らわせようと俯いたルシフェルカをぎゅっと抱きしめたルーガは、幸せそうに目を伏せて静かに言った。
「ルシカ――俺の妻になってほしい。黒竜族の里に一緒に来てほしいんだ」
胸の中のルシフェルカは泣いていた。ルーガがそんな彼女の柔らかな髪を撫でると、少女は嗚咽を漏らしながらも声を絞り出した。
「わ、私、体が弱くて何の役にも立てない」
「そんなことないさ」
「お荷物になるかもしれない」
「軽いもんだ」
「でも、ルーガが大好き」
「それで十分……!」
ルーガの腕に再び力が込められると、ルシフェルカはもう迷うことなく青年の背中に腕を回してしっかりと抱きついた。
そのとたん、温かな一陣の風が庭の森を通り抜けていった。
髪を乱された二人は、顔を見合わせたあと同時に笑い出していた。
「風の精霊だった。きっと、通りすがりに祝ってくれたのかもしれないな」
楽しげに言うルーガ、そしてそれに笑顔で肯くルシフェルカ。
二人は寄り添いながら、風が向かっていった方を見つめていたのだった。
了
お、終わりました。なんとか。
恋愛ものは大の苦手ですが、とにかく終わりまで……と頑張りました。
拙い作品ですが、とりあえず終わらせられて嬉しいです。
頑張って読んで下さった方々、ありがとうございました!