第五十一話
部屋に入ったとたん、ルーガはやっと呼吸をすることができた感覚に襲われた。
ルシフェルカは、双竜山にいた時とは違い、裾がふわりと広がった上品な薄紅色の服に身を包んでいた。トラロック王国の貴族令嬢としては簡素なのだが、肌の色が白く、柔和な雰囲気の少女にはとても良く似合っていた。
薄茶色の柔らかな髪、春の泉を思わせる水色の瞳は優しい人柄を滲ませており、双竜山で別れた時となんら変わらなかった。もちろん、長く離れていたわけではなかったが、顔が見えないだけで息苦しさを感じるほど待ち焦がれた再会に、懐かしさが一気にこみ上げた。
「ルシカ――!」
ルーガの姿を見て布張りの長椅子から勢いよく立ちあがったルシフェルカの体が前に傾いだので、ルーガは跳ねるように駆け寄り、彼女をしっかりと抱きしめた。
ルシフェルカの体温を感じた途端、ルーガの頭から言おうと思っていた言葉が霧散していた。
体調を気遣う言葉や、義兄らが人格者であること、そして事件は穏便に片付いたことなど、たくさんあったはずなのに。
一言しか口を衝いて出てこなかった。しかも、予定外の――。
「愛している、ルシカ」
少女の頭を抱え込み、その耳もとで囁いたルーガは、存外冷静で心穏やかであった。
ルーガの表情には照れや羞恥心など微塵も見られず、呼吸をするのと同じ感覚で言葉が空気に溶け込んでいった。
しかし、告白されたルシフェルカはよほど驚いたのだろう、肩を震わせ、やっとの思いで身じろぎをすると、長身のルーガを見上げた。そして、その端正な顔を近くにして双眸を潤ませた。
「ルーガ、私……」
緑の葉から朝露が一粒こぼれ落ちたかのような透明な涙が白い頬を流れると、ルーガの唇がそれを優しくとらえた。その唇は自然に離れたあと、次にルシフェルカのそれに真綿に触れるかのごとく寄せられていた。
それは本当に一瞬のことであったが、ルーガの想いはしっかりと伝わっていた。
感極まったルシフェルカが自らルーガにしっかりと抱きつく。
「殴ってもいいぞ、ルシカ。いきなりすまなかった」
今になって、ルーガが笑いを含んだ声音で言ったが、ルシフェルカは頭を横に振った。
「嬉しい……。でも、兄さまには内緒ね」
やっと笑った少女に、ルーガも目を細めて笑顔になった。
その後、少々顔色の悪いルシフェルカを慮ったルーガが座るよう促したところで、使用人のケイスリンが扉を叩く音がし、温かい紅茶を運んできた。
と同時にリノンやイオン、そして客間で控えていたギルウスも顔を見せたので、皆で円卓を囲むことになった。
部屋に入るや否や、イオン少年はルーガを睨み、ルシフェルカを泣かせるなと唇を尖らせた。そんな彼を笑顔でなぐさめたリノン、それを穏やかに見守るギルウス。
それは黒竜族の里でのいつもの光景であり、ルーガにとってはもちろんのこと、ルシフェルカが望んでやまなかった心を癒す何物にも代えがたい宝であった。