第五十話
アニス伯爵の別宅は、山裾にひっそりと建てられた煉瓦造りの館で、アニス兄弟がこの上なく大事に育てた義妹ルシフェルカが過ごしやすいよう細やかな心遣いが施されていた。
板張りの廊下にはすべて絨毯が敷かれ、要所に休憩用の腰かけが設けられている。さらに、トラロック王国最新の技術を用いた湯の道を張り巡らし、室内が快適な温度に保たれるようになっていた。調度品もルシフェルカにふさわしく、廊下の壁のランプの笠はかわいらしい花模様で、その花を想起させる香油を焚いているのか、甘く清々しい香りが漂っていた。
ギルウスを客間に残し、ルシフェルカに面会するべく一人で案内役の後に続いたルーガは、ルシフェルカが育った家にいる感慨にふけっていた。
ふと、つつましやかに前を歩いていた使用人の女性であるケイスリンが口を開いた。
「この別宅は、主であるジェイス様と弟君のレスリィ様が、ルシフェルカ様のために建てられた館でございます。男性のお客様は、ルーガ様以外にはセルジュ様と医術学部長様しかお招きしたことがございませんが、中でも、あなた様は主自らが出迎えた特別なお方でございます」
そう言いながらケイスリンが相好を崩した。一見、主と同様に気難しく見えた彼女だが、ルシフェルカを一途に思う気持ちを隠さぬルーガを好青年と感じたのだろう、歓迎の意が和やかな物腰から伝わってきた。
その気持ちを嬉しく思ったルーガは、花の香りを吸い込みながら呟いた。
「ルシカは皆に愛されているのだな」
「はい。私が語るのはおこがましい限りですが、ルシフェルカ様は我が娘のような存在です。お辛い目に遭われても卑屈になることなく、優しい心根のままお育ちになられました。憎く思う方などいようはずもありません」
どうやら、ケイスリンは義兄二人に引けを取らぬくらいにルシフェルカを大切にしているようだ。
ルーガがそっと苦笑をもらしたところで、ケイスリンがある部屋の扉の前で歩を止めた。
「ルーガ様、こちらがルシフェルカ様のお部屋になります。お取次ぎいたしますので、少々お待ち下さいませ」
いよいよだ。そう思うと、ルーガの心は落ち着きを失い、すぐにでも目の前の扉を自分で押し開けて部屋に入りたい気持であったが、ここは待つしかなかった。
長いような短いような時間を待つと、戻ってきたケイスリンは、ルーガの逸る心中を知ってか、にこやかに部屋に招く仕草をした。
「ルシフェルカ様がお会いになられるそうです。どうぞお入りくださいませ」
そう言われるや否や、ルーガは駆け込む勢いで部屋に足を踏み入れたのだった。