第四十二話
ルシフェルカは綿入りの背当てを支えに寝台の上で上半身を起こし、西の大国からの来訪者たる青年と対面を果たした。思えば軟禁状態にされていた王立図書館を逃げ出して以来で、もうすぐ季節がひとめぐりするかという月日が流れていた。
リノンに導かれて部屋へ入った青年は、最後に見たときと変わらず長身で背筋が伸びており、邪魔だと言って常に短くしている栗色の髪や、感情の読めない灰色がかった水色の瞳も、何もかもが懐かしさを感じさせた。
「セルジュ、逃げたりしてごめんなさい」
開口一番、ルシフェルカはずっと伝えたかった言葉を口にした。それ以外にどう話しかけたらよいか思い浮かばなかったというのが正しいだろうか。
セルジュは一瞬沈黙し、ルシフェルカに近づく前に歩を止めてしまった。
その様子に、付き合いが短いとは言い難い少女が何かを察し、笑みを浮かべて言った。
「驚いたでしょう。声を出しても大丈夫なの。ここにいるイオンのお陰なのよ」
ルシフェルカは、寝台の左側に控えていた少年を紹介した。
すると、気を取り直した青年は、無表情のままルシフェルカの傍らまで近付いたかと思うと、少し低めの、しかしながらさらりとした聴き心地の声で、イオンを知っている、と言ったのだった。
「イオン・カエルラ。君については黒竜族長に話しをしてある」
今ここで詳細を語る気はないのか、はたまた背中に異様な気を感じたからか、少年の伯母であるリノンのやきもきした表情を一瞥し、セルジュはイオンに関してはそれ以上何も言わなかった。
ルシフェルカは何とは無しに察してはいたが、先に自身の身の振りに方に決断を下すべく、右側に立ち尽くす青年の制服の袖を掴んだ。そして、優しい水色の瞳に強い意志を込め、セルジュの熱をも吸い込むような、温度を感じさせない瞳を見上げた。
「セルジュ、私は王立図書館に戻るわ」
迷いなく発せられたその言葉に、わずかに青年の瞳が揺れた。彫像のような印象はあるが、彫像そのものではないのだ。憎からず思う少女が望まぬ場所へ戻るというのに、無情ではいられなかったようであった。
だから、彼はルシフェルカの未だ白さが残る髪を撫でて静かに返した。
「確かに、王立図書館は未だ君を欲している。しかし、今、こうして呪具なしで声を発しているのだから、能力が消えたとでも言って、戻らない手もある。無理はするな」
存外優しい言葉をかける鉄面皮の青年に、彼の数歩後ろに控えたリノンと、寝台の反対側に立つイオンは少なからず驚いた。
「変わっていないのね、セルジュ。あなたはこんなに優しいのに、私は裏切ってしまった。だから、一度戻って、今度はきちんと出て行くのよ。そうしないと、あなたに顔向けできないし、それに、ルーガにも会えなくなりそうだもの」
「黒竜族長に、か」
セルジュが呟くと、ルシフェルカは微笑んで頷いた。
「そうか……。ならば止める理由はないだろう。王立図書館へ君を連れて行こう」
そう静かに告げるセルジュの口調は淡々としており、事務的にも感じられたのだが、少女を見下ろす瞳には、彼女を想う温もりとせつなさが同時に揺れていたのであった。