第四十一話
黒竜族長の館内で、ルシフェルカにあてがわれた部屋は二階にあり、日当たりのよい窓が大きく作られた、広すぎない居心地の良いものであった。
初夏の涼風が床に臥したルシフェルカの前髪を撫でていくと、少女はふと目を覚ました。
「ルシカさん」
そう静かに呼びかけてくれた声の主は探さずともすぐに顔を見ることができた。
金色の絹糸のような髪を揺らしてルシフェルカの顔を覗き込んだのは、イオンであった。
菫色の瞳がわずかに潤んでおり、それがさらに少年の美しさを引き立てている――などと考えたのか、横たわったままの少女は弱弱しくはあったが笑みをこぼした。
「私、生きているのね……。ルーエは大丈夫? それからルーガも」
相変わらず、自分のことよりもまず他人を気遣う優しい水色の瞳の少女に、イオンの表情も和やかなものになった。
「はい。ルーエは大量に失血したので、体力が戻るのは少し先になると思いますが、もう目を覚ましているばかりか、ありえないくらいに食欲旺盛ですよ。今朝は、野イチゴの砂糖漬けが欲しいと駄々をこねていました」
イオンは苦笑を交えてはいたが、表情に安堵の色を浮かべてそう語った。そして、羽毛入りの掛布をルシフェルカの肩まで引き上げてやりながら、ルーガも怪我ひとつなく普段通りにしていると、なぜか不服そうに唇を尖らせた。イオン自身も、ルシフェルカを直接助けたかったとは悔しくて口に出せないのだ。
「よかった……。そういえば、私、目が見えているわね。それに声を出しても平気みたい。以前、同じ状態になった時は、しばらく回復しなかったのに」
「ブラン・オールのお陰です。あの聖域でルーガがブラン・オールを発見して、事件のあと、ルシカさんをもう一度その群生地に横たわらせたと言っていましたから、回復が早かったんだと思います。声も、たぶんもう、呪具を使わなくても大丈夫だと思います。現に、会話している俺はまったく何ともありませんよ。それから……」
意気揚々と説明をしていたイオンであったが、やがて言いづらそうにしだしたので、ルシフェルカは微笑んで先を促した。
「その、ここに来てからの治療ですが、俺が調合したブラン・オールの内服薬を血管に直接投与させてもらいました」
イオンが明かした治療法に、ルシフェルカは目を大きくして問うた。
「血管に……って、その技術はトラロックのものでしょう」
顔色を青くして驚くルシフェルカに、イオンが慌てて弁解しようとした時だった。
部屋の扉を軽く叩く音がし、続いてリノンが顔を出したのだった。
「ルシカ。よかった、目が覚めたのね」
結い上げた褐色の髪を元気よく揺らしながら、大股で歩み寄ってきた長身のリノンは、寝具から両腕を差し出したルシフェルカに応え、実の姉のようにしっかりと少女を抱きしめた。
「無茶してくれたわね。あなたがここに運び込まれてきた時には、本当に生きた心地がしなかったわよ」
「リノン、いつもありがとう。イオンにも感謝しきれないわ。生きていることがこんなに嬉しいなんて、双竜山にきて本当によかった」
全身の倦怠感が強いためか、ルシフェルカはリノンに体を支えてもらわなければ半身さえ起こしていられないのだが、姉とも慕う頼もしい右竜たる女性は、力強く少女を抱きしめてくれた。それがたいそう心地よく、ルシフェルカはほっと息をついたのだった。
「あのね、リノン」
ルシフェルカは、さきほどイオンに聞くはずであった問いをリノンに投げかけた。
「王立図書館から誰か来ているのでしょう」
ルシフェルカの問いに、案の定、リノンの体が強張った。少女を抱きしめる腕が戸惑いを隠せず一瞬大きく震えたのだ。
「さっき、イオンに聞いたの。血管に直接投薬したって……」
リノンは顔を上げ、すまなそうにしているイオンに大丈夫だ、と、微笑んだ。こればかりは隠せるものでも、また、隠すものでもない。ルシフェルカの命を救うために最善かつ最高の方法であったのだから。
リノンは凛とした声音で言った。
「ルシカ。セルジュが来ているのよ。その投薬の方法は、セルジュが提供してくれたの」
ルシフェルカは、知った名前を聞いたとたん、重い体に鞭打つように、リノンから体を離した。
「私……」
ルシカの瞳は動揺していた。悲しみとも切なさともつかない複雑な表情になり、次の言葉を探して唇が震えていた。
「ルシカさん」
ルシフェルカが今にも卒倒してしまうのではないかと心配したイオンが、小さな背中をそっと支えた。そんな心優しい少年にひきつった笑顔で礼を言い、少女はいったん深呼吸した。
そうして、心を決めたとばかりに唇を引き結んだあと、リノンとイオンの顔を交互に見た。
「逃げるのはおしまい。私は、私の気持ちをきちんと伝えるために、王立図書館に戻るわ。そのために――セルジュに会いたい」
ルシフェルカの決心を聞いた二人は、驚きよりも、とうとうこの日が来てしまったと落胆の面持ちになった。泣くことも怒ることもできず、少女の身がどうか自由になるようにと、黙して強く願うことしかできなかったのである。