第三十三話
ルシフェルカの体に異変が起こり始めた頃、風の精霊・流星と一体化し、精霊の『眼』を得たルーガは、ルシフェルカに持たせた風の石の気配を感じ取ろうと必死になっていた。
流星がルーガの体内に入ると、目の前の光景が大きく変化した。
見慣れた緑の木々は全て水晶のように透明になり、強風が吹き付けているわけでもないのに、常にざわざわと揺れている。そして、その世界は無音で、一切の音という音を聞くことができなかった。鳥のさえずりや、草の陰で小動物が身じろぎした葉ずれの音は色となって現れた。透明の水晶がぼんやりと黄色や青色に発色し、周囲の状況を報せるのだ。
『お前の世界はやはり不思議だな』
そう流星に心で語りかけるルーガの双眸もまた変化しており、夏の青空を映した冴えた青色ではなく、暁の金色に輝いていることは、本人が知る由もない。
視界の変化に戸惑わなかったといえば嘘になるが、一刻を争う状況の今、ルーガはルシフェルカの穏やかな微笑みと、風の石を再度思い浮かべた。
と、その時であった。
水晶と化した山道の向こうから、見たこともない輝きをその身から発する人影が滑るように近寄ってきた。
『私が見えるのかい。驚いたな……精霊と一体化して平静を保てるなんて』
ルーガが誰何を問うより先に口を開いたその人物は、長身のルーガとほぼ同じ背丈の大変な美青年であった。
太陽の光があるのかないのか分からない薄明るい精霊の世界にあっても、結い上げられた極上の絹糸のような金色の髪は輝きを放ち、清水が流れ落ちるかのごとくゆったりとその青年の肩に乗せられていた。そして、薄手の衣に身を包んだ均整のとれた肢体は艶めかしささえ感じるほどで、胸のふくらみがあったなら、女性と見まがうばかりであった。
『もしかして……きみは、新しい黒竜族長かい』
新緑色の瑞々しい瞳をきらめかせ、その美青年はルーガの素性を言い当てた。
ルーガは珍しく緊張し、世にも美しい青年を凝視した。
精霊の世界に現われた存在である。普通の人間でないことは外見の美しさを抜きにしても判るというものであった。
それにしても、と、ルーガはふと考えた。
突然姿を現した青年は、外見の年齢差はあるものの、ルーガがいつもからかって遊んでいる天才少年・イオンにどことなく似ている。とすると、イオンの美貌にはますます箔が付くというものか。
ルーガは、少女と間違われて度々怒りをあらわにしていた少年を思い出し、緊張していたことも忘れ、思わず笑みをもらした。
『ふふ。私を目の前にして思い出し笑いをする人間に初めて出会ったよ。そういえば、ずいぶんと真剣な顔で何かを探していたようだけれど、先ほど、光と大地の精霊が大きく動いたことと関係があるのかな。きみから感じられる風の気配も混ざっていたようだし』
薄い唇に無機質な笑みを乗せた青年の言葉に、ルーガは眼を見開いて言った。
『それはどこか場所を教えてもらいたい!』
食らいつきそうな勢いで青年に詰め寄ったルーガに、しかし、青年は気分を害した様子もなく首肯した。
『――いいよ。あとで私の願いを一つ、聞き入れてくれればね』
切羽詰まった状況で、ルーガに選択肢など無いも同然であった。
深く考えもせず、異界のものと取引することは危険であることは百も承知している。ともすれば、ルーガだけでなく大切な人々にまで影響を及ぼしかねない。しかも、青年が何者かさえ聞いていないのだ。いったい自分は何をしようとしているのか、ルーガ自身驚くばかりである。
ルシフェルカを助けたい一心で、黒竜族長という立場も忘れている己の身勝手さに胃のむかつきを感じながら、苦し紛れにこう言い加えた。
『願いは、俺とあなたとの間にのみ有効なものにしてくれ』
若き黒竜族長の心を見透かしているのか、人ならざる青年は笑みを一層深めた。
『私は妖ではないよ。――黒竜族長ルーガ・レクス。確かに約束したよ』
青年が約束の言葉を口にした途端、ルーガの視界は白い強風によって何も見えなくなっていたのだった。




