第二十話
双竜山の夏はまだ少し先になるが、それでも生気あふれる緑が木々を彩り始め、山道を通り抜ける風にはやわらかな温かさが感じられた。
ユルグの家を辞した後、ルーガがルシフェルカを連れて行った場所は、里を潤す川の水源に程近い、道のない山林であった。
樅の木が林立した木々の葉の間から木漏れ日が地面に差しこむその場所では、たった一本だけある異色の大木が目を引いた。その木は樹齢が想像もできないほど幹が太く、木というよりは天に向かって建立された祈りの塔を思わせた。
ルーガはルシフェルカの白い手を掴み、大木の幹に触れさせた。
「この木はクリプトと言って、本来は北の魔法大国ウォルドにある『神々の森』でしか育たない種だが、たった一本、しかもこの双竜山のこの場所にだけなぜか生き続けている聖なる木だ。ちなみに、この水源地一帯は黒竜族長の許可がないと入れないし、俺のお気に入りの場所なんだ」
穏やかな表情でそう語る金色の髪の青年を見上げながら、ルシフェルカは手巾伝いに問うた。
『大事な場所なのに、私なんかを連れてきて大丈夫なの? 少し間違えたら、この木の命も吸い上げてしまうかもしれない』
不安げな少女の問いに黒竜族長の青年は曇りない笑顔を返した。
「大丈夫だって。これは俺のかなり確かな勘だけど、この木は大地が健康である限り、枯れることはないさ。だから、ルシカはこの木からたくさん元気を分けてもらえばいい。俺たち黒竜族は、お前を歓迎するよ」
ルーガの笑顔を写したルシフェルカの瞳に涙が浮んだかと思うと、頬を伝って流れおちた。
その透明な涙を見て切なくなったルーガは、思わず少女の小柄な体を抱きしめていた。
栗色の髪に唇を寄せると、首の処置に使用された薬液に混ざったラベンダー香りがし、それを心地よさげに吸い込む。そして、願うように呟いた。
「だからルシカ、自分がいなければいいなんて言わないでくれよな」
その呟きに、ルシフェルカの身体がわずかに震えると、ルーガはそっと少女の髪を撫でながら続けた。
「さっき紹介したユルグ老は、俺の本当の父親なんだ」
突然の告白に驚いたルシフェルカが顔を上げようとしたが、思いのほかルーガの腕に強く抱きしめられ、身じろぎができなかった。
「黒竜族長は、風の精霊を従えることができる者が継ぐんだが、同時に家族から完全に引き離されて教育を受ける。両親の顔は知らないし、また周囲も俺に教えることは禁じられている。でもさ」
ルーガは小さく笑った。
「こういのってなぜか分かるものなんだな。少しずつ確信していったことだから、あまり驚きはしなかったけど。それに、ユルグ老が親父で、ルーエは甥っ子だということを俺が知っても、どうにかなるものじゃない」
時々、ものすごく家族の輪に入りたくなるけど、と、ルーガは付け加えた。
「暗い話じゃないからな。俺は今幸せだから」
ようやくルシフェルカから身体を離したルーガは、己の言葉が嘘ではないことをその笑顔で証明してみせた。たしかに、運命に悲観した影などみられない。その瞳の色同様、澄みきった、生きる力が青年から漲っているのだ。
ルシフェルカは、眩しそうにルーガを見上げた。そうして、求めるように両手を青年の小麦色の頬に伸ばした。自然と顔が近付くと、背伸びをして青年の額に口づけた。兄やリノンに対する思いとは別の愛情が、ルシフェルカをつき動かしていたのだった。
ルシフェルカは声なく言った。
――ありがとう――と。