第十七話
客室であるルシフェルカの部屋へイオンとギルウスが集まり、朝の挨拶の言葉を述べると、ルシフェルカは微笑みを返した。
「ルシカさん、あの、首の手当てはどうしますか。というか話しって……」
先に来ていたルーガと少女の顔を見比べながら、いつもと様子が違うことを察したイオンは、やや不安な面持ちであった。
『イオン、いつもありがとう。あのね、ルーガとギルウスさんに、私のことをきちんと話そうと思うの』
手巾伝いにルシフェルカの意思を知ったイオンは、当然のごとく驚きの声をあげた。
「そんな、ルシカさん! リノン伯母さんが居ないというのに」
『リノンにいつも負担をかけているから。それに、これはどうしても私が自分で伝えなければならないことだから』
イオンは声を出し、ルシフェルカは黙ったまま穏やかなまなざしを少年に向けている光景は不思議なものであったが、やがて根負けしたイオンが菫色の瞳をギルウスに移し、事情を説明した。これからルシフェルカの真実を本人が話すことを告げたのだ。
「ルーガ、ギルウスさん。二人ともとりあえず後ろを向いていて」
首の処置の準備を整えたイオンがそういうと、大人の男二人は陽光が差し込む窓に背を向けた。そうして、ルシフェルカは長い髪を束ね上げ、衣服の胸元を緩めて白い肩をあらわにした。
少女の準備を確認すると、イオンが再度ルーガとギルウスに声をかける。
「こちらを向いてもいいよ」
その言葉にルシフェルカのほうを振りかえった二人は、とっさにかける言葉も考えつかなかったのか、その場に一瞬の沈黙が流れた。
それもそのはず。淡い栗色の長い髪の毛を頭頂部でまとめたルシフェルカは、白い素肌を肩まであらわにしていた。それだけならば、大の男二人が絶句することはないが、少女の首の無残な爛れはただ衝撃的で、事の重大さを語る前に察せざるを得なかったのだった。
予想範囲内の反応に、当の本人であるルシフェルカはやわらかく微笑んだ。そうして、傍らに添うイオンにうなずいた。
「あの、二人とも。ルーガはもう知っている部分もあると思うけれど、ルシカさんのこの首は、呪具の副作用、つまり、『呪具の咎め』によるものなんだ。ただ、これでも患部はだいぶ良くなってきているから、そこは心配しないで。その……大事なのは、どうして副作用がある呪具をしなければならないかということなんだけれど」
イオンの口調にためらいが出たところで、ルシフェルカが少年の腕にそっと触れた。唇の動きで、礼を言っているのがわかる。
「ここからは私が話します」
ルーガとギルウスは自分の耳を疑った。ルシフェルカが声を発したのだ。
「私の声は万物の命と魂を支配してしまいます。短時間なら大丈夫ですので、手短に話しますから、よく聞いてください」
初めて耳にした少女の声は高くも低くもない、なめらかな落ち着いた音で、想像通りでもそれ以外でもないものであった。ただ、優しい響きは彼女の穏和な性格によく合っている、そんな声だった。
さて、文字通り目を丸くした聞き手の二人が落ち着くまで束の間を要したが、勇気を出して重大な秘密を語ろうとしてくれている少女の誠意に応えるべく、ルーガがルシフェルカに続きを促した。
「私は、この声で全ての生き物の命と魂を否応なしに支配してしまいます。つまり、命を奪い取ることも、そして、分け与えることもできるのです。生まれた時からこの能力が備わっていたようで、一歳でアニス家に拾われるまで、私はとある森の中で育ちました」
「赤子が森で?」
思わずギルウスが呟くと、ルシフェルカは頷いた。
「そうです。ウォルド王国の『神々の森』です。そこで、偶然居合わせたアニス家前当主に拾われたのです。それまでは、森から命を分け与えてもらいながら生きていたのだと思います。記憶にないことなので、私を最初に見つけてくれた義父の話から想像するしかありませんが」
ルシフェルカはそこまで話すと、一息ついた。数年ぶりに声を出したということと、抑えきれない己の能力に翻弄されていることにかなり疲弊していた。そんな中、意外なことに沈黙を守り続けているルーガをちらと見てみたが、青年は無表情を決め込み、今どのような気持ちでいるのか推し量ることができなかった。
双竜山にとって危険な存在であることを悟ったのかもしれない。
ルシフェルカは、それも仕方のないことでこの誠実な人々にあと一つ、真実を話さなければならないと、脂汗が滲み始めた額に時間が残り少ないことを悟りつつ口を開いた。
「お察しかと思いますが……。私が『白い悪魔』と呼ばれたのは、この能力ゆえです。私は、王立図書館の命令に従ったとはいえ、してはならないことをしたのです」
ルシフェルカはいよいよ、この黒竜族の里を出ることになるであろう覚悟を決め、勢いのまま続けた。
「私は、傷つき瀕死の状態にあった人々の命を救うため、一つの豊かな森を死に追いやってしまったのです。見てください、この花を」
ルシフェルカの言うとおりに視線を移したのは、小卓の上の小さな鉢に植えられたアニスであった。小さな白い花が束状になって咲いていたアニスの花はいつの間にか茶色く萎びており、頭を垂れてその短い命を終えていた。
「この花の命は、私の糧となったのです」
ギルウスの眉間に深い皺が刻まれた。信じられない光景に多少の嫌悪感があるのだろう。
「かわいそうに。これでは実の収穫もできないわ」
「ルシカさん……それは、でも」
気遣わしげなイオンの呟きに、ルシフェルカは首肯した。
「でも、このアニスのように森の命を奪って人の命を補った。それは事実だし、どんなに悲しくてもしてはいけないことだったと今でも思っているわ。だから、こうして逃げ出したの。王立図書館にいたら、きっとこの力を使わざるを得ないもの。本当は、私の存在自体がなければ――」
「ちょっと待った」
ルシフェルカに皆まで言わせず、ルーガが鋭く遮った。
「あ、の……」
椅子から離れ、ルシフェルカの目の前に厳しい表情で立ちふさがった長身の青年は、唇を引き結び、眉を逆立ててルシフェルカの肩に手をかけた。
「おい、ルーガ」
ただならぬ怒気のような気配を感じたギルウスも腰を浮かせたが、黒竜族長の青年が少女に乱暴をはたらくはずもなく、肩まで下ろされていた衣服を手早く着せなおし、傍に置いてあった呪具を鷲掴みした。
「どうしたんだよ、ルーガ」
さすがのイオンも呆気にとられ、さらにルーガの次の行動を止めることができなかった。
「きゃっ」
短い悲鳴を上げたのはルシフェルカで、彼女はあっという間にルーガの肩に担がれるようにして抱き上げられていた。
ルーガは茫然としているイオンと、呆れかえった表情のギルウスを振り返った。
「いいか、ついてくるなよ。俺はルシフェルカに話がある」
子どもが親の理不尽に怒ったような口調でそう言い残したルーガは、驚愕に硬直状態になっているルシ
フェルカを抱きかかえ、部屋から出て行ってしまったのだった。