私より強い人じゃないと結婚しません、と言ったら、なぜか憧れの王子が修行を始めました【連載版はじめました】
「ねえ、ねえ。パトラ・アルビオンが歩いてるわよ。今日もぼっさぼさの髪。白髪だから老婆にしか見えないわ。まだ十五歳のくせに」
「しかも前髪がやたら長くて不気味だし。前髪の下からでっかいクマがチラチラ見えるし。ほんと不気味よね」
「あんな駄目そうな奴がどうして魔法庁で働いてるの? アルビオン家って確か田舎の男爵だからコネってわけでもないでしょうに。ってか、パトラってここでなんの仕事してるの?」
「確か、第二資料室ってとこにいるらしいわよ」
「えー、ウケる。いかにもな閑職じゃない。魔法庁はエリートだけで構成してほしいわよね。ああいうのが混ざってると、こっちまでやる気なくなっちゃう」
登庁したパトラは、いつものように女性職員の悪口を聞きながら廊下を歩く。
一言も言い返さない。
我慢しているのではなく、本当に気にしていなかった。
パトラの頭の中では、いつも魔法理論が渦巻いていて、悪口などに興味を向ける余裕がないのである。
とはいえ他人にまったく興味がないというわけでもない。
憧れの男性だって、一応、いる。
「おはよう、パトラ」
廊下の向こうから、その人が歩いてきた。
金髪碧眼の長身。誰もが息を呑むような美形の男性。
そんな絵から飛び出したような人が声をかけてくれたので、パトラは声を詰まらせ、挨拶が遅れてしまった。
その隙に女性職員たちがパトラを追い越し、その男性に殺到する。
「おはようございます、ヘリック王子! 今日も凜々しいお姿ですね!」
そう。
彼は外見が気品溢れているだけでなく、この国の第六王子という身分を持つ、いわば完璧な人間であった。
たかが男爵家の娘のパトラからすれば、雲の上の人。
同じ空気を吸えるだけでも名誉なのだ。
「今日はどんなご用で魔法庁に? 私たちでよければ対応させていただきますわ!」
「ありがとう。けれど先を急ぐから、通してくれないかな」
「そう言わずに、少しだけでも!」
ヘリック王子を取り囲む女性たちは、若々しくきらびやかだ。
対するパトラは十五歳なので、実年齢はむしろ幼い。なのに見た目は酷い。
睡眠時間を削って魔法の研究をしているので、目のクマは酷くなる一方。それを隠すために前髪を伸ばしたら幽霊みたいになった。
服は実家の母が見繕って送ってくれるので、それだけは真っ当だ。そうでなかったら老婆というより浮浪者に間違われるかもしれない。
せっかく綺麗な女性たちに囲まれているのに自分なんかが邪魔しては悪いと思い、パトラはヘリック王子の横を無言で通り過ぎた。
そして『第二資料室』の扉を開ける。
中は静寂が支配していた。
こここそが自分の居場所だ、とパトラは安堵する。
端が見えないほど遠くまで続く本棚の樹海。
そこに並べられているのは書籍だけでなく、珍しい薬草や鉱石、ミイラになったモンスターの生首、怪しい色の液体が入ったガラス瓶などなど。
知識がない者はただ不気味としか感じないだろうが、パトラにとって宝の山である。
「よし。今日もお仕事開始」
大半の人は、仕事を面倒に感じるらしい。
ならば、心底から楽しめる仕事に就けたパトラは幸運だ。
この部屋に来ると、頬が勝手に緩んでしまう。
パトラは実力を認められ、この部屋を一人で任された。なにをやっても自由。楽園だ。
もうすぐこの部屋とお別れかと思うと、胸が締め付けられる。
棚から何種類かの薬草を取る。
機械で測らなくても、手づかみで適切な分量が分かる。
それらと空のガラス瓶を机に並べ、魔力を流す。
すると薬草は粉になってガラス瓶に吸い込まれ、そして青い液体になった。飲む傷薬、ポーションだ。
同じ作業を繰り返し、一ダースのポーションを完成させる。
それが終わると同時に、ドアがノックされた。
「パトラ。俺だ、ヘリックだ。入れてくれるかな?」
「ヘリック王子! はい、どうぞ!」
パトラは立ち上がると同時に、魔力を飛ばす。すると手を触れていないのに鍵がガチャリと開いた。
「おはよう、パトラ。さっきは酷いじゃないか。俺を無視していくなんて」
「おはようございます、ヘリック王子。えっと、無視したつもりはなくて……せっかく綺麗な人たちがいるのに、私なんかがそばにいたら気分を悪くなるかと……」
「やれやれ。君はまたそういうことを言う。確かに彼女らは綺麗だよ。けれど化粧が上手なだけかも知れない。俺はパトラのほうがずっと綺麗だと思うけどなぁ」
「お戯れを……」
「嘘じゃないのに。ところで、モンスター討伐に行くからポーションを頼みたいんだけど」
「それならもう用意しました。十二本で足りますか?」
「おお、ありがたい! パトラのポーションは市販のよりずっと効くから、騎士団で評判がいいんだ。千切れた腕がくっつくポーションなんて、ほかじゃ聞いたこともないよ」
「えへへ。そう言っていただけると嬉しいです」
綺麗というのはお世辞に違いないが、魔法や錬金術に関しては自信があるので褒められると素直に嬉しい。
「その笑顔。それが最高にかわいい」
そうヘリック王子に言われると、お世辞だと分かっていても気持ちが高ぶるから、我ながら安い女だと思う。
「そして魔法の技術と反比例するように、身だしなみは駄目駄目だ。さっきの人たちみたいに厚化粧はしてほしくないけど、寝癖ぐらいは直そうよ」
「ご、ごめんなさい……けど昨日は徹夜で読書してて一睡もしてないので、寝癖ではないです……」
「いくらなんでも少しは寝たほうがいいと思うけど……まあ君らしいや。椅子に座りなよ。髪をとかしてあげる」
パトラは言われるがまま椅子に座り直した。その後ろにヘリック王子が立ち、懐から出したクシを、跳ね返りまくった髪に通していく。
自分でやっても絡まるだけなのに、ヘリック王子にやってもらうと不思議とサラサラになる。
女として情けない。
そもそも王子にこんなことをやらせるなという話だが、拒否しても本人がにやりたがるのだ。頑なに断るのも不敬なのでパトラは諦め、この贅沢に身を任せることにしている。
「前からお尋ねしたかったのですが、ヘリック王子はいつもクシを持ち歩いているのですか?」
「いいや、パトラに会いに来るときだけだよ」
「はあ……申し訳ありません。そんなに私のボサボサ髪が不愉快でしたとは……」
「不愉快じゃないよ。むしろボサボサが酷い日は、強敵に相まみえた気分になって、腕が鳴る」
どうやら遊び感覚のようだ。
「はい、完成」
「いつもありがとうございます」
「ポーションのお礼としては安いものさ。本当に代金はいらないの?」
「魔法庁からお給料をいただいているので。モンスター討伐、頑張ってください」
パトラは椅子を動かし、ヘリック王子に向き直る。
「ああ。万が一、モンスターの攻撃を喰らっても、パトラのポーションがあれば安心だよ。次も、そのまた次も頼む」
ヘリック王子は眩しい笑顔で言う。
いつものパトラなら、はにかみながら頷くのだが、今日はできなかった。
「あの……もうポーションを作って差し上げられないかも……」
「……………………ん? どういう意味だい?」
「実は、見合い話が来ていて……おそらく結婚して、魔法庁を辞めると思います」
「なんだって!」
ヘリック王子は大声を出した。
パトラが知る限り、彼がこんなに声を荒げたのは初めてだ。
「済まない、驚かせた。けど俺のほうが何倍も驚いてる。見合いだって?」
「……相手はアータートン子爵です。私の家はアータートン子爵に多額の借金をしています。正確には、王立銀行からの借金なのですが。それを返済できる見込みがなく、痺れを切らした王立銀行が債権をアータートン子爵に売ってしまいました」
「確か、アルビオン男爵領でミスリルの鉱脈が見つかって、その採掘のために借りたんだよね?」
「はい。けれど採掘は想像以上に難しく、事故が続き、ミスリルがまるで採れず……」
債権とは、端的にいえば金を請求する権利だ。
王立銀行から借りたのだから、本来ならアルビオン家に金を請求する権利は、王立銀行にある。
しかしミスリル採掘の大幅な遅れから、王立銀行は借金の回収が不可能と判断した。
いわゆる不良債権である。
なので王立銀行は、債権をアータートン子爵に売ってしまった。
もともとの債権が百とすれば、七十とか六十とか、あるいはもっと低い額で取引されたはずだ。
回収不可能のままだったらゼロ。それが半分でも取り返せれば王立銀行としては御の字。
そして債権を買った側は、借金を回収する自信があるから買うのだ。銀行がやれないような汚い方法を使ってでも――。
「アータートン子爵は、借金をなかったことにしてもいいと仰いました。その条件が、私との結婚。それと、現アルビオン男爵の父が亡くなったら、その領地をアータートン子爵領の一部にすることです」
「アータートン子爵……いい噂を聞かない御仁だぞ。狙いはミスリル鉱山を手に入れることか。しかし事故が続発する採掘困難な鉱山を、そんなに欲しがるものかな。いくらミスリルが貴重とはいえ……もしかして、純粋にパトラとの結婚を望んでいる? 俺以外にもパトラの魅力に気づく男が出てきたか……」
「あの、ヘリック王子。私そのものを欲しがっているというのは絶対にあり得ないと思いますけど」
「絶対とは言い切れないだろう。現に俺は……いや、今この話はやめておこう。それで、君自身は結婚したくないんだね?」
「だって結婚してここを辞めたら、思うように魔法の研究ができなくなります。けれど私はもう十五歳。婚約者がいないのは貴族の娘として遅いのは確かですし……アータートン子爵のお誘いを断れば、破産するしかありません。おそらくアータートン子爵はすぐに領地を差し押さえ、私の家族は路頭に迷います」
「路頭に迷うと言っても、君は働いている。ご両親をしばらく養うくらいできるだろう。無理そうなら俺が援助する。パトラ、君は俺に必要な人なんだ。どうかその見合いを断ってくれ。自分より強い男じゃなきゃ結婚しないとかなんとか口実をつけて……」
ヘリック王子は跪き、懇願するように言った。
パトラは心臓が跳ねた。
もちろん彼は、便利なポーション調合係を必要としているだけ。女としてのパトラは眼中にない。
けれど、見合いの相手がこの人だったら、と妄想するのは楽しかった。
とはいえ妄想にしてもリアリティがない。
男爵家では王子の相手として格下すぎる。せめて伯爵くらいでないと。
それ以前にパトラ自身がヘリック王子に相応しくない。
「ヘリック王子殿下。お顔をあげてください。そう言ってくださるのは魔法師として、とても光栄です。ですが私はアルビオン男爵家の娘として、アータートン子爵と結婚しようと思います」
「そうか……だが俺は信じる。君はたとえ家のため、家族のためでも、魔法の研究を捨てられない人だと」
そう言ってヘリック王子は一ダースのポーションを鞄に詰めて、第二資料室を立ち去った。
見合い、当日。
パトラは普段は絶対に着ないような肩が露出したドレスを身にまとい、両親と一緒に馬車に乗っていた。
向かう先は、王都のアータートン子爵別邸。
まだ昼間なのに、気分はすっかり暗闇の中だ。
本来、見合いは男性が女性の家を訪ねるのが通例だが、アルビオン家は貧乏ゆえ王都に別邸を持たない。あるのはパトラが住んでいる一人用の集合住宅だけだ。
なのでアルビオン家がアータートン家を訪ねる。
「なあ、パトラ。今からでも遅くない。嫌なら引き返してもいいんだぞ。先方には私から断っておくから」
と、父親が言ってくれた。
「そうですよパトラ。たしかに魔法の研究ばかりしているあなたを心配して、早くいい人を見つけなさいなんて言いましたけど。これでは借金のカタです。家の犠牲にならなくてもいいんですよ」
母親も何度目かになる説得を試みてくる。
「ありがとうございます、お父様、お母様。優しい両親の子になれてパトラは幸せです。だからこそ、私はこの話を受けようと思います。それに案外、アータートン子爵と結婚すれば、私は幸せになれるかもしれませんよ?」
パトラは自分でも信じていない論理で両親を安心させようとした。
仮に結婚相手がとても優しい人で、こちらを大切にしてくれたとしても、魔法の研究ができない人生なんてクソ食らえだ。
両親は黙った。
パトラが割と頑固だから、今更なにを言っても変わらないこと。もしパトラの気が変わって見合いを断ったらアルビオン家が今すぐ消えてなくなることを知っているからだ。
そして馬車はアータートン子爵の別邸についた。
門も庭も屋敷も大きい。
同じ貴族でも、巨大な格差を感じた。
通されたテラスで、アータートン子爵は料理とともに待っていた。
三十歳。パトラの倍の年齢。年寄りではないが若者でもない。中肉中背。顔も特徴がない。
普通だ。
発している気配が普通。魔力が弱い。迫力がない。ヘリック王子はもっと肌にビリビリくるものがあったのに……と、パトラは比べてしまう。
「わざわざ遠いところをおいでくださいました。さあ、どうぞ、おかけになって」
そう口を開いたアータートン子爵の第一印象は、可もなく不可もなく。
見合いはつつがなく終わるかに見えた。
「このワインは五十年以上も熟成させた一級品でして。素晴らしい香りとまろやかさでしょう。ああ、申し訳ありません。借金に喘ぐ前から財政が厳しいアルビオン家のみなさんは、一流のワインの味など分からないでしょうなぁ」
が、アータートン子爵は徐々に性格の悪さを披露し始めた。
「玄関にあった私の肖像画は見ましたか? 素晴らしいでしょう? あれも一流の画家に描かせたものです。やはり貴族なら、それなりの肖像画を残さねば。まあ田舎の男爵家には無縁な話ですかな」
「男爵も貴族ですが」と、パトラの父は言い返す。
「おお、そうでしたか。失念していました。ところでパトラ嬢は魔法庁にお勤めでしたな? 私も貴族として魔法を嗜んでいます。以前、魔法庁の者と軽く試合をしましたが……この国で最強の魔法師集団などと謳っていますが、やはりしょせんは役人ですな。余裕で勝てました。社会勉強として労働を経験するのは悪いことではありませんが、魔法庁にお勤めとは時間を無駄にしていると言うしかありませんな」
「魔法庁は立派な国家機関だと思いますが」と、パトラの母が言い返す。
「そう思うのは、やはり田舎の男爵家だからでしょうな。まあ田舎という以前に……なんですか、パトラ嬢のその顔は。酷いクマだ。正直、それでは勃つものも勃ちません。だから子を残すため、別に妻を作ります。そっちが正妻で、パトラ嬢は側室ということで。ああ、ご心配なさらず。それでも借金の返済は不要です。その代わり、アルビオン男爵が亡くなったら領地をいただきますが」
アータートン子爵は言いたい放題だった。
パトラは故郷を田舎と言われて腹が立った。が、それ以上に怒っているのは両親だった。こめかみに青筋が立っている。
「し、失礼ですが、アータートン子爵が戦ったのは、魔法庁でもかなりの下っ端でしょうな。パトラが相手だったら、そう簡単にはいかなかったでしょう」
「ええ、そうですわ。いざというとき娘を守れない人に嫁がせたくありませんし。いっそ、ここでパトラと試合なさってはどうでしょう?」
なに言ってるんだ、私の両親は、とパトラは唖然とした。
唖然としつつ、嬉しかった。
「……どういうつもりか分かりませんが、いいでしょう。久しぶりに魔法で戦いたいと思っていたところです。パトラ嬢もよろしいかな?」
パトラは少し考えてから頷いた。
両親が腹をくくったなら、自分もそれに乗る。
「はい。私より強い人じゃないと結婚しません」
「はは、冗談は顔だけにしていただきたい」
そしてパトラとアータートン子爵は、庭で正面を向き合う。
「さあ。どこからでもかかってきなさい」
その言葉に甘えて、パトラは風魔法を使った。
アータートン子爵は天高く舞上がり、なすすべなく地面に落ちた。
「いだだだだだっ……貴様、いきなり卑怯だぞ。魔法の発動が速すぎる! 兆候さえ見えなかったぞ!」
褒められているのか、罵倒されているのか。パトラは首を傾げた。
分かっているのは一つだけ。
アータートン子爵が弱いという事実だ。
「この程度の魔法に反応できない殿方と結婚するつもりはありません。この話はなかったことに」
「ふざけるな! たかが男爵家が! 債権は私の手にあるのだぞ。こうなったら毛穴の一つ一つまでむしり取ってやる!」
そう。
魔法の試合で勝っても、金の問題は解決しない。
パトラは両親を見る。二人は無言で頷いた。
領地を失う決断を後悔していないようだ。
「見合いの場にご無礼承知でお邪魔する!」
突然、若い男の声が響いた。
パトラがよく知る声……ヘリック王子の声だった。
彼と、その同僚の騎士が幾人も庭にゾロゾロと入ってきた。
「ヘリック殿下!? いくら王族とはいえ、失礼ではありませんか!」
「だから、ご無礼承知と言った。そしてアータートン子爵、あなたを逮捕する」
ヘリック王子は驚くべきことを告げた。
アータートン子爵はミスリル鉱山の作業員を何人も買収し、意図的に事故を多発させていたという。
またアータートン子爵は禁止されている奴隷売買をしているという噂があったが、その確固たる証拠も見つかった。
「ば、馬鹿な! その程度のことでなぜ騎士団が動く……」
「規模の大小は問題ではない。法に反していれば罰せられる。それだけだ。確かに見逃してしまっている罪人もいるが、いずれ改善し、全ての罪人を罰する」
「こ、こんなことで捕まってたまるかぁ!」
なにを血迷ったか、アータートン子爵はヘリック王子に襲い掛かった。
しかし、みぞおちに一撃を入れられ気絶。
連行されていった。
それだけでも大事件だが、ヘリック王子は目を丸くしているアルビオン男爵家の三人に、更なる重大事項を告げた。
「国王陛下の代理として、アルビオン家を男爵から伯爵に昇格させることをここに宣言する。理由は以下の通りである――」
魔法の新理論の発表。強力なポーションを騎士団に安定供給。モンスター討伐への協力。
ヘリック王子はアルビオン家の功績を語る。
「あの……それらは全て、パトラがやったことですが……」
パトラの父親は遠慮がちに指摘する。
「パトラはアルビオン家の一員。その功績はアルビオン家に帰属する。ゆえに伯爵への昇格の理由となりえる。これは全て国王陛下の決定である。私は代理として告げているに過ぎない。まさか陛下のご意向に異議があるとでも?」
「め、滅相もございません!」
「では略式であるが、王子としてここに伯爵位を授ける。また借金の件だが、アータートン子爵が不正を働いていた以上、債権は改めて王立銀行のものとする。後日、王立銀行との間で、返済計画と事業計画を話し合っていただく。アータートン子爵の妨害がなければミスリル鉱山は確実に利益をあげるという試算から、王立銀行は追加融資も検討している。以上」
ヘリック王子は踵を返して立ち去ろうとする。
パトラの両親は現実に意識が追いつかず、ポカンと立ち尽くしたままだ。
「待ってください。ヘリック王子……本当にありがとうございます!」
「なんのことだ? 私は国王陛下の決定を告げたまでだ」
「けれど、陛下に掛け合ってくださったのはヘリック王子ですよね?」
「……君を失いたくなかったんだよ」
ヘリック王子はパトラに背中を向けたままそう呟き、今度こそ立ち去った。
アータートン子爵の妨害がなくなると、一ヶ月もしないうちにミスリル採掘は軌道に乗った。
そのせいでアルビオン伯爵家は注目を集め、見合い話が向こうから来るようになった。
だがパトラははその全てに「私より強い人」という条件を出し、試合で返り討ちにする。
「アータートン子爵と違ってよさそうな相手だったのに、なんでやっつけてしまうんだ!」
「そうですよ、パトラ。あなた、まさか一生独身でいるつもりなの!?」
「もう借金の心配がないので、私が結婚を急ぐ理由はありませんし。魔法の研究ができなくなるなら一生独身のほうがいいです。なので『私より強い人』という条件を撤回するつもりはありません」
「お前より強い男なんているかぁっ!」
パトラの強さが知れ渡ると、見合いと関係なく、道場破り感覚で勝負を挑んでくる者も出てきた。
「うちは魔法の道場じゃない!」
ミスリルで儲かっているのに、両親は頭を抱えていた。
アルビオン家が伯爵になってから、そろそろ一年が経つ。
パトラは相変わらず女性職員から容姿に関する悪口をあびながら、マイペースに魔法の研究を続けていた。
それは幸せな日々のはずだった。
だが、大きなものがぽっかりと欠けていた。
ヘリック王子が顔を見せなくなったのだ。
以前は毎週のように来ていたのに、月に一度になり、三ヶ月に一度になった。
寂しい。
風の噂では、騎士団の訓練所にこもり、剣技と魔力を徹底的に鍛えているとか。
国を守るための向上心が凄いとパトラは感心する。
けど寂しい。
ヘリック王子は別にパトラのものではないのに。
そんなある日。
両親から呼び出されたパトラは、王都に新しく建てたアルビオン家別邸に行く。
また見合いらしいが、いつもと様子が違う。
相手が誰かと聞いても「先方から直前まで秘密にして欲しいとお願いされた」と不思議なことを言う。
その見合いは失敗できないから気合いを入れねばならないとか。
「はあ、気合いですか……私はいつものように返り討ちにするだけですけど」
「試合でどう戦うかはパトラの自由だ。しかし今日から見合いまでの一ヶ月、お前はアパートメントではなくここで私たちと暮らしてもらう」
「生活習慣を徹底的に改善してもらいますからね!」
「え」
両親が手を叩くと、メイドの軍団がずらりと現われた。
そして風呂に連れて行かれた。念入りにトリートメントを施され、全身にマッサージオイルを塗り込まれる。
「一日最低八時間の睡眠」「バランスのいい三度の食事」「適度な運動」「スキンケア」。
あまりにも忙しくて魔法庁を休みがちになった。たまに登庁しても定時で上がるしかない。
パトラにとって拷問のような日々だった。
なぜ毎日風呂に入る必要があるのか。ドラゴンは風呂に入らないけれど、とても強靱だ。ゆえに人間だって風呂に入らなくていいはずだ。
肌が艶やかになり、目のクマが消えるにつれ、精神的に病んでいく。
体調がよすぎる。軽やかすぎて逆に歩きにくい。
空がこんなに青いと久しぶりに思い出した。眩しい。もっと灰色になってほしい。
健康的な生活という拷問が始まってから一ヶ月が経った。
やっと見合いの当日だ。
場所はアルビオン家でも、先方の家でもない。
魔法庁が誇る、円形コロシアムだった。
強固な結界が張り巡らされていて、大規模な魔法を使っても客席に被害が及ぶ心配はない。パトラが結界を設計したのだから間違いない。
つまり、ここでなければ周りに被害を出してしまうほど強い相手ということだ。
パトラは少し楽しみになってきた。
暇な魔法庁の職員が客席に並んでいる。
いつもパトラを馬鹿にしている女性たちもいた。
「ねえ、あれがパトラなの……? クマがないけど……」
「髪もさらさらだし……なんか普通に綺麗じゃない?」
「普通にっていうか、メチャクチャ綺麗……」
パトラは客席を見る。
すると女性職員たちは頬を赤らめ、恥じ入るように目をそらした。
ひと睨みでやっつけてやった、とパトラは満足する。
どうやら自分はクマがないほうが迫力を出せるらしい。
そうしているうちに、見合い相手が舞台に上がってきた。
さて。誰が相手なのだろうか?
なんとフルプレートアーマーを着ていた。人相どころか体も見えない。
本当に誰だ。
誰だか分からないが、強いというのだけは分かる。
バチッ、バチッと放電する音が聞こえた。いつでも強力な雷魔法を撃つ準備ができている。恐ろしい魔力だ。
あの鎧の能力か――いや違う。純粋に中の人が強い。
パトラは息を呑む。間違いなく今までで最強の相手だ。
「……どこからでもかかってこい」
兜の奥から声がした。
変声機能が備わっているらしく、不自然に低い声だった。知っている人だとしても、これでは分からない。
あの鎧を引き剥がすしか正体を確かめるすべはない。
「いでよゴーレム!」
なにもない空間に土の塊が現われた。それは形を変え、身長三メートルに迫る巨人となった。
むこうが雷を使うなら、それを通さない土属性で相手するのが定石。
パトラの意に応え、ゴーレムは鎧の男に向かっていく。
だが一刀両断にされた。
鎧の男は、落雷と錯覚するような斬撃でゴーレムを真っ二つにしてしまった。
電気で攻撃するのではなく、それを自分に流して筋肉を高速稼働させる――そんな使い方があったのかとパトラは感動した。
「ゴーレム! イフリート! ウンディーネ! ゼピュロス!」
土。炎。水。風。
四つの巨人を召喚し、隊列を組ませる。
パトラは全身全霊で勝負を仕掛けた。
その結果。
舞台が砕け散るほどの死闘の末、パトラは魔力を使い果たし、地面に倒れた。
負けてしまった。
これで結婚するしかない。
自分から言い出したことだ。反故にする気はないし、こんなに強い相手ならいいかと思う。
けれど、あの兜の奥にあるのがヘリック王子のお顔だったらいいのに、と妄想せずにいられない。
「強かった。あんなに修行したから簡単に勝てると思ったのに、やっぱりパトラは本当に強いな」
鎧の男は、兜をとり、鎧を外す。
ゆっくりとパトラの隣にしゃがみ込む。
それを見てパトラは固まる。目が変になったかと思って、ごしごし擦る。
何度見ても、ヘリック王子が微笑んでいた。
「どうして……正体を隠していたんですか……?」
言いたいことは山ほどあるのに、なぜか最初に出てきた言葉はそれだった。
「見合い相手が俺だと知ったら驚くだろ。それで実力を出せなかったとか、あとで言われたら困るからね。気兼ねなく全力を出したパトラに勝ちたかった。この国で一番強い魔法師の君に勝ちたかったんだ」
ああ、やっぱり。
ドキドキして損した。
ヘリック王子はパトラと結婚したかったのではない。戦いたくて見合いを申し込んだのだ。
分かりきっていることだ。
こんな容姿も能力も家柄も完璧な人が、パトラに求婚するなんてあり得ない。
「一番強い相手に勝ちたいなんて、ヘリック王子にも男の子らしい一面があったんですね」
失望を悟られたくなくて、パトラは平静を装い、言葉を絞り出した。
「そうさ。俺は男の子だよ。世界で一番強くなりたいとか思っちゃうし、好きな女の子がいるのに緊張してなかなか想いを告げられない。完璧でもなんでもない、ただの小僧さ。こういう場でも用意しないと踏ん切りがつかなかった」
「それはどういう意味ですか……?」
「パトラ・アルビオン。どうか私と結婚して欲しい」
短い言葉だった。
誤解の余地なく、真っ直ぐな求婚の言葉。
パトラの脳細胞はフル回転した。魔法理論を考えているときでもここまで頭を酷使しない。きっと知恵熱が出ていたと思う。
そのくらい考えても、答えは一つしか出てこなかった。
「はい」
言葉と一緒に、涙が出た。
ヘリック王子は力一杯抱きしめてくれた。
客席から歓声が上がった。多くの人が祝福してくれた。
しかし聞こえない。
お互いの鼓動しか聞こえない。
「ところでパトラ。今日、君を見て驚いたよ。目のクマはどこにやったんだ?」
「実はこの一ヶ月間――」
両親に強制された健康的な生活がいかに辛かったかをパトラは語る。
聞きながらヘリック王子は何度も吹き出した。
「笑い事じゃありません。本当に拷問を受けている気分でした」
「ごめん、ごめん。確かにパトラにそういう生活は似合わないかもね。俺も普段のパトラのほうがいいと思う。明日からまた沢山働くといいよ」
「あの。結婚してからも魔法庁にいていいんですか……?」
「いいよ。君を辞めさせるなんてこの国にとって大きな損失だ」
「目に大きなクマを作っても?」
「いいよ。頑張ってる証だから。今の君も綺麗だけど、クマがあっても綺麗だよ。いや、そっちのほうが好きだ」
「髪をボサボサにしてしまいますよ?」
「俺が直してあげるから大丈夫」
「お風呂は毎日入らなくてもいいですよね?」
「……それは毎日入ろうか」
「じゃあ、防水魔法の研究をします。お風呂でも本を読めるように」
「実に君らしい答えだね。大好きだよ、パトラ」
「私もずっと大好きでした、ヘリック王子」
数日後。パトラとヘリック王子は、国王陛下の前で正式に婚約した。
のちに二人は、復活した魔族と激戦を繰り広げたり、暴れる巨大ドラゴンを倒したりと伝説的な活躍をするが、それはまた別の物語――。
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