クラス会に行けなかった男の子の話
――クラス会に行けなかった。
今頃、クラスのみんなは大型アミューズメント施設ではしゃいでいることだろう。みんなでまた写真を撮ったりもするのだろうか、そのうちインスタグラムのタイムラインが賑やかになるんだろうな……。
そんなことを考えながら自然とため息が漏れる。俺は何をするでもなく窓の外を見つめた。外はだんだん薄暗くなってきていた。
本来なら、自分もその中に混ざっているはずだったのだ。つい二日前まではおしゃれに自信はないながら着る服についてかなり真剣に迷っていたし、楽しみでにやけてしまうぐらいだった。
今日は三月二十日。卒業式が終わってからもう二週間が経とうとしていた。
後期試験の日程や大学入学の手続きの関係上、みんながなんとか全員集まれそうだということで決まった日にちだった。今日が終われば、翌日に引っ越しを控えている人も少なくない。今日が、みんなと会える最後の日になるはずだった。
そんな、浮き足だった気分の中だった。
――交通事故に巻き込まれたのは。
赤信号の交差点で信号待ちをしていたとき、やけにふらふらしている車が走っているなと思った。直後、その車は対向車線の車と接触し、けたたましいタイヤ音を響かせながらこちらへ突っ込んできたのだった。
幸い、軽く吹っ飛ばされるだけに済んだのだったが、打ち所が悪かったのか少しの間気を失ってしまっていたらしい。そのせいで検査入院を余儀なくされてしまったのだ。
「どんだけかっこつかない終わり方なんだよ、俺……」
恥ずかしさと自分の運のなさに頭を抱え込むと、包帯のざらざらとした感触の後、鋭い痛みが走った。数針縫ったとは聞いた。しかし、こんな傷我慢しようと思えば我慢できる程度のものだ。野球部現役の頃はデッドボールに当たって目の前がチカチカする中でマウンドに立ち続けたことだってあった。
しかし、今回に至っては母さんも医者の先生も外出の許可は与えてくれなかった。命があっただけ奇跡、なのだそうだ。
「はあ……」
もう何度目かもわからないため息がこぼれる。せっかく苦心して決めた服もズタボロだ。
俺がこんなにもクラス会に行けなかったことを悔やんでいるのは、何も服を見せびらかしたかったわけではない。
会いたい人が、いたのだ。
有村優花。出席番号が一番で、成績はいつもクラストップ。部活は写真部で――、
――俺の、好きな人。
目立つ存在な訳ではない。どちらかというとクラスの中心から少し外れて、楽しげにみんなのことを見ているような、そんな人だ。
でも、カメラを構えてファインダー越しに世界に向き合う彼女はいつだって綺麗だった。
『今井くん、笑って』
卒業アルバムに載せる用の写真を撮るのだといって声をかけられた。ぎこちなく笑みを返すと、カメラから少しだけ顔をのぞかせた彼女が小さくうなずいて笑った。
『いいね、ありがとう』
――一瞬のフラッシュ。
夏の暑い日だった。
そのあとから、気がつくと彼女を目で追うようになっていた。何日も何週間も過ぎてようやく、自分は彼女に恋をしてしまったのだとわかった。たった数十秒の出来事。それまで、何の接点もなかったというのに、自分でも驚くほど彼女に惹かれていた。
今井という名字とはいえ、俺の出席番号は四番。有村とは近くも遠くもない距離。
高三の一年間はあっという間だ。学期の前半には行事も部活も終わり、誰もが受験一直線になる。俺ももちろん例外ではなく、志望校ギリギリの学力を抱えたまま判定に一喜一憂し、駆け抜けた日々だった。なんとか合格できたあと、一番に浮かんだのは有村の顔だった。
学校の図書館で居残るときは、必ず彼女の姿を目にした。とはいえ、声をかける勇気もない俺は、いつも視界の端に映るその姿にちょっとだけ勇気をもらった気になって席に着くのだった。
そして、とうとうそのまま卒業してしまった。
卒業式後には部活のメンバーと集まる約束もあったし、後輩たちにもみくちゃにされて有村の姿を探すどころではなかった。
だから、今日に懸けていたのだ。
『ごめん、私二十日すぎたらもう引っ越しの準備があって……』
有村が申し訳なさそうにクラスLINEに送った『ごめんね』のスタンプ。今日を過ぎたら、もう会えなくなってしまう。
「おめでとうって、言いたかったのにな」
またため息をついてベッドのサイドテーブルに置かれたスマホを手に取る。画面には大きなひびが入っているが、奇跡的に事故の衝撃を免れたのだ。
と、親友からのLINE通知が新たに入っていることに気づいた。
集合時間に間に合わない俺に何度も連絡をくれていたが、そのことに気づいたのは集合時間からかなり経った後だった。事故のことを伝えると、すぐにもクラス会を飛び出してきそうなあいつをなんとか制止して、会を楽しんできてくれるように伝えたのが最後だったのだが。もう、クラス会が終わったという連絡だろうか。
しかし、目に飛び込んできたのは予想とは全く違う文面だった。
『おい、おまえのところに行くぞ』
「は?」
誰がだよ、何のホラーだよ。
そう思いながら返そうとすると、またメッセージが届いた。
『有村が、お前んとこ行くから』
「え……?」
がらがらっ、とスライド式のドアが開いた。
「今井くん!」
息を切らして駆け込んできたのは、紛れもなく有村優花だった。
「今井くんが事故に遭ったって佐々木くんから聞いてっ……、だからクラス会に来られなかったって……」
肩で息をし、途切れ途切れに話す彼女の肩からバッグがずり落ちる。
その姿に、言葉が勝手に口からこぼれ落ちた。
「有村、誕生日おめでとう」
「え……?」
彼女の目が見開かれる。俺は、我に返って自分の口を押さえた。
「あ、ご、ごめ」
有村の顔がくしゃりと歪んだ。
こぼれ落ちる涙を、手の甲で乱暴に拭いながら彼女は言う。
「……うん、うん、ありがとう。でも、ほんとに、無事でよかったっ……」
***
「今井くん、クラスLINEでも普通に今日来るって言ってたのに、いなかったから何かあったのかと思って。佐々木くんなら知ってるかなと思って聞いたら、今井くんが事故に遭って中央病院にいるって聞いたから……気がついたらここまで来ちゃってた、ごめんね」
泣きやんだ有村にとりあえずベッドサイドの椅子を勧めると、彼女は俺の目をまっすぐに見つめてそう言った。頭には包帯を巻き、院内着に包まれた上体だけを起こして有村と向き合うのは死ぬほど恥ずかしかったが、それよりも驚きが勝っていた。
ついさっきまで、有村にはもう二度と会えなくなると思っていたところなのだ。それが、今はどうだろう。あんなに視線で追いかけた彼女が、今、俺の目の前にいる。
「ま、まあ事故に遭ったのはほんとだけど、入院って言っても検査入院だから……。ごめんな、伝え方が大げさだったよな」
「そんなことないよ! でも、検査入院なんだね。なら、よかった」
それでもまだ不安そうに眉を下げる有村に申し訳ない思いが募る。こんな一クラスメイトでしかない俺のためだけに彼女はここまで来てくれたのだ。
「いや、ほんとにごめん。わざわざクラス会まで抜けさせて……有村、今日誕生日だったのに」
有村がきょとんとした顔になったあと、小さく笑う。それは、今日初めて見る有村の笑顔だった。
「それ。さっきも言ってくれたよね。どうして、私の誕生日を知ってたの?」
「あ、」
またやってしまった。そうなのだ。普通だったら俺が有村の誕生日を知っているはずがないのに。
言えない。有村と友達が話しているのを聞いてしまったからなんて。そのうえ今日のためにプレゼントまで買っていたなんて。まあ、そのプレゼントも事故の衝撃でぐしゃぐしゃになってしまったのだが。
どうしよう。なんと説明すればいいのか。
ぐるぐると回る思考の中で、気づけば俺は口を開いていた。
「好きだからっ……」
有村の瞳がまた、大きく見開かれる。
俺は、自分が今何を言ったのかをすぐに理解できなかった。
有村の瞳から静かに涙がこぼれ落ちた。
「ご、ごめんね、私、あれ、なんでだろう」
困ったように笑う有村はあわてて涙を拭うも、ぼろぼろと雫がこぼれていく。
――それを見て、俺は覚悟を決めた。
「有村が、好きだから。だから、誕生日を覚えてたんだ。ほんとは、今日ちゃんと祝ってあげたかったのに、こんな形になってごめん」
もうここまで来たら怖がるな。
彼女を見つめることしかできなかったいつかの俺が、そう告げていた。
有村は、涙を浮かべながら首を振る。
「ううん、そんなことないよ。すごく、嬉しいよ」
***
――有村を二回も泣かせてしまった。
彼女がまた泣き止むのを待ちながら、俺の頭の中は自責の念でいっぱいだった。
一度目は、事故のことで。
二度目は、俺の先走りすぎた告白のせいで。
最悪だなあ、俺。好きな人に、最後まで迷惑をかけてしまうのか。
顔を上げた有村に何か言わせるのが申し訳なくて、俺は先に口を開いた。
「それにしてもよく、俺がいないって気づいたな。全然話したこともなかったのに」
場をつなぐために発した言葉。
しかし、俺の言葉に有村の顔が真っ赤に染まった。
予想外の反応に、俺はどうにもできず固まってしまう。
俺の視線の先で真っ赤な顔のままの有村は何度か視線を泳がせた後、まっすぐにこちらを見つめた。
「今井くんが、好きだから、です」
「え……?」
今度こそ思考が止まる。
「ずっと、今井くんのことが、好きだった。だから、事故に遭ったって聞いて、会いに行かなきゃって、もう会えなくなっちゃうんじゃないかって怖かった」
「だって、そんなの」
そんなの、俺の方だ。
ずっと、好きだった。話せなくても、ただ有村がいるという、それだけでどんなときでも頑張れた。
何も、伝えられないまま。もう、会えないのだと思っていた。
「こんなこと、あるのかよ……」
「あるんだね、奇跡みたいだね」
泣きはらした顔で、有村が笑う。目に焼き付いていた、あの日のままの笑顔で。
「生きていてくれて、よかった」
そう言って、有村が俺の手をぎゅっと握った。
俺は、その手をそっと握り返した。
「……有村」
彼女が、すぐそばにいた。
「好きです。俺と、付き合ってください」
その瞳がまた静かに潤む。
泣きそうな表情のまま、有村は笑う。
「私も、好きです。これから、よろしくお願いします」
***
「そうだ、私クラスのみんなの写真撮ってきたんだ。一緒に見よう」
有村が、自分のスマホを取り出してそのカメラロールを見せてくれる。
その枠に収まるみんなの顔は、どれもはじけるような笑顔だった。
そうなのだ、有村が撮るとき、誰もが魔法にかかったように一番いい笑顔に変わる。
そして有村が、いいね、と笑う。その姿をいつまでも見ていたいと思っていた。
これからは、ずっと隣で見られるのだろうか。
その、ファインダー越しに移る世界を、少しでも目にできるのだろうか。
気がつくと、有村がスマホをこちらに向けていた。
「今井くん、笑って」
俺は笑う。精一杯の笑顔で。
「うん、やっぱりいい笑顔」
そう言って、有村が笑う。
――ああ。
「いつまでだって、大好きだ」
その言葉に、有村がまた笑った。
Fin.