7 王宮への脅迫
アスモデウスがこの世界の左上にあるカウレス地方の監獄へ戻ってくると、ヴィーナは用意した椅子にはいなかった。
「ヴィーナ?」
奥の牢屋が並んでいる暗闇から、人の気配がした。アスモデウスはラープを持って奥へ行った。
「ヴィーナ」
再度呼びかけると、ヴィーナが暗闇の中で座っていた。見つめていたのは、牢屋の柵によりかかった白骨死体だった。さらにアスモデウスが近づくと、ヴィーナが顔を上げる。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「また殺したの?」
ヴィーナは力なく聞いた。アスモデウスは、血や異臭がついた奴隷服を手を振り払って着替えた。そしてヴィーナに手を差し出した。
「説明しますので、あちらに座りましょう」
ヴィーナはその手を取って立ち上がり、白骨死体の前から移動した。
アスモデウスは、テーブルに置きっぱなしのお茶を捨てて新しいお茶を淹れなおした。
「今回、なぜ私たちの居場所がバレたのか不思議でした。魔女狩りは宗教団体が主体で行っていますが、実際に主導しているのは王政です」
アスモデウスは、襲ってきた奴が王宮の魔術師のローブを着ていたため、王宮で自分の探知がされている様子を確認しに行ったと説明した。そこで見た巨大な魔術機械と、探知に使われていた奴隷とその指導者についても。
「今回は、あなたのために殺したのではなく自分のために殺しました。人間ごときに居場所を特定されるなんて悪魔にとっては耐えられないことなんですよ」
アスモデウスは本当に嫌そうな顔で言った。
「残っていた奴隷は知り合いの商人に任せてきました。魔術機械も壊したので、すぐにまた探知されるということは無いと思い…」
「私も王宮に行きたい」
アスモデウスの言葉をさえぎってヴィーナが言った。
「は?」
あまり驚かないアスモデウスもこれには驚いた。
「行ってどうするんですか? 敵の懐に入るってことですよ」
「王宮に行って、もうこれ以上やめるよう言うの。私を殺しても世界は平和にならないし、逆にアスモデウスがあなたたちを皆殺しにするって教えてあげるの」
「脅迫ですか。そこまで効果があるとは思えないんですが……」
「こんなコソコソ隠れて生きるのも嫌だし、あんな風に死にたくもない!」
そう言ってヴィーナは、牢屋を指さした。
「もうこんなイタチごっこは止めようって言いたいの。そして、被害が大きいのは私ではなく私を狙う側。その予言の出所も怪しいって言ってやるつもり。だから、お願い私を王宮へ連れて行って」
少し試案して、アスモデウスは笑った。
「そうですね……。ちょうど良かったかもしれません。行きましょうか」
◇
ここは王宮の衛兵の宿舎にある1室。残虐な死体発見から半日ほどが経過して日は沈んでいた。ドルンはコルセンの死の調査について聞くため、衛兵隊長のマンサーの執務室に来ていた。
「で、何かわかったのか?」
椅子に深く座り足を組みながらドルンは尋ねた。
「他言しないようお願いします」
ドルンは頷いた。
「あの魔術機械は、悪魔の魔力を探知する機械でした。奴隷はあの機械を使うために用意していたようで、正式な記録が残っていなかったのですが、概算で300人は使われていたようです」
「悪魔を探知?! そんなことしたら!」
「そうです。探知した者は生きていられません」
「それで奴隷を……民に知れたらおおごとだぞ!」
マンサーは口元に指を立てて、ドアの方を見た。大臣は少し引いて、一瞬浮いた腰を椅子へ戻した。
「大臣はコルセン様がアスモデウスを探していたことをご存じだったんですよね?」
「もちろん私も魔女狩りの担当ではあるから知ってはいたが……。探知方法はいつもはぐらかされていた」
「他の魔術師たちも具体的にどうやって探知していたかは知らなかったとは言っていましたが、気づいていて黙認していた様子も感じました」
「そうか……」
「そして、コルセン様は、コモン様の弟子だったことがわかりました」
「コモン派に属していたということか」
「はい。コモン派は神への信仰心が熱く、魔女狩りにも勢力的です。コルセン様の部屋にはその身を捧げて神に仕えることを示すコモン派の誓いの証もありました」
「アスモデウスに対する憎悪は人一倍ということか」
国家宗教であるキーサー教は、世界を創造した神を崇める宗教で一般人にも布教されている。その中で神を絶対とする強硬派であるコモン派にコルセンは属していた。
「奴の私兵どももコモン派だったのか?」
「その私兵ですが、薬漬けにされていて、自分の意思は持っていない状態でした。コルセン様の操り人形で、今、薬を抜く方法を医療兵が探しています。薬を与えないと暴れますので、地下の牢に鎖でつないでいます」
「尋問はできるか?」
「できません。何を聞いても、薬を欲するか、コルセン様の名前を叫ぶだけです」
「そうか。陛下はなんと言っていた?」
「……」
「マンサー?」
「陛下は、そうかとだけおっしゃいました。そして、また適任者を見つけなければなと……」
ドルンは目線を下に向けて、それ以上は口を閉ざした。マンサーも何もしゃべらずに沈黙が続いた。ドアがノックされ、衛兵が声をかけたのを合図にドルンは立ち上がった。無言のままマンサーに片手を力なく上げて挨拶し、部屋を出た。
衛兵宿舎を出て、自室に戻る間ドルンは自分の心臓の音がいつもより大きく聞こえていた。目線も定まらずに歩き、どうにか自室へと入った。自分の執務官に今日はもう誰も通すなとだけ伝えた。
大きな椅子にドカっと体を預け、ドルンは息を吐いた。机に両肘を付き、組んだ両手を額に当てた。
「これが世間にバレれば、王室は終わりだ。非人道的すぎる! 陛下は何をお考えなのか……」
白い月が王宮を照らしていた。
何気なく窓の外をみると、月に黒い影が見えドルンは立ち上がって窓へかけよった。
目を凝らして見ると、人の形をしたものが王宮の上に浮かんでいた。それは月に照らされて妖しく光っていた。
そしてスピーカーで拡張されたような声が空から降ってきた。
◇
アスモデウスとヴィーナは、王宮の真上にいた。アスモデウスは黒いマントを、ヴィーナは黒いローブを風ではためかせている。フードで顔は見えない。
足元の王宮では、何やら非常を知らせるベルが鳴っていた。
「今、結界を破りました」
地上には兵士が集まってきていた。街にも外に出て見上げる人が出てきている。ちょうど二人の影が月と重なる高さでヴィーナは喋りだした。
「私はヴィーナ・サラディジョン。最後の魔女と言われ、あなたたちに追われている者だ」
ヴィーナをめがけて何かが飛んできたが、届く前に弾かれて落ちていく。王宮の左右の見張り台から放たれた矢だった。アスモデウスは、見張り台に黒い炎をつけた。悲鳴が上がる。
「しかし、私は魔女ではない。ただの魔法使いだ。このアスモデウスとは契約していない」
ヴィーナは下から聞こえる悲鳴や怒号は気にせずに続けた。
「王宮は私を最後の魔女と信じて今日も襲ってきた。もう一度言う、私は魔女ではない」
ヴィーナははっきりと言い放った。
「そして、今一度、予言を確認してほしい。本当にその予言は正しいのか。私が死ぬことによって本当に世界に平和が約束されるのか」
ヴィーナはアスモデウスの首に腕を回して抱きついた。
「この悪魔は私に夢中だ。私が死んだとなれば、関係した者は皆殺しだろう」
アスモデウスは、ヴィーナの髪を優しく撫でる。
「それはどれだけ残虐なのかを王宮の者たちは今日、目の当たりにしたはずだ。よく考えて行動してほしい」
ヴィーナはアスモデウスを見上げて促した。アスモデウスはヴィーナの足と背中に腕を回して抱き上げた。
「私のヴィーナを傷つける者は許しません。下等生物の分際で、私の物に手を出すな」
いつものアスモデウスの声と違い、地を這うような低い声だった。
そして、最後にアスモデウスはサイレンのような声を響かせて上空へと飛んで消えた。
王宮の外の広間や、街の道では、ガクガクと震えて立ち上がれない者、失神する者がいた。ドルンも自室の窓からアスモデウスとヴィーナを見ていた。残虐な死。皆殺し。悪魔の声を始めて聞いた。コルセンの死体を思い出した。ドルンの下半身は彼の排泄物で汚れていた。そのまま膝を付き、顎の震えが止まらなかった。カチカチと歯が当たる音が部屋に響いていた。
◇
ヴィーナはアスモデウスに抱かれて、空をゆっくりと飛んでいた。月が綺麗だった。ふとヴィーナは自分の左手を見た。月の光が反射していた。金の台座に黒い石の指輪だった。それはアスモデウスから贈られた指輪だった。アスモデウスの魔力が込められていた。
「あなたを守る指輪です」
そう言いながら、薬指にはめられた指輪に月の光を反射させながら、くすっと笑った。アスモデウスが首を傾けた。
「まるで駆け落ちしたみたいな気分」
「新婚生活はどこで始めますか?」
アスモデウスは嬉しそうだった。
「海の見える街とか気持ちよさそう」
二人の影は夜の空に消えた。