5 襲撃者の正体
ヴィーナとアスモデウスは、ラープの光に照らされた石造りの建物にいた。窓はなく、ラープがなければ真っ暗な建物だった。
何かが腐ったような臭いやカビ臭さなどが合わさってなんともいえない異臭がしていた。
「とりあえず、ここにいれば見つかることはないです」
アスモデウスは人間に戻っていた。ヴィーナは先ほどみた光景が頭から離れなかった。400年の輪廻転生の内、紛争地帯にいたこともあったが、あれはまるでホラー映画だった。
いまだしがみついているアスモデウスからは何も感じなかったが、まだ体が少し痺れていた。
「大丈夫ですか? 思わず本体が出てしまいましたが、怖がらずに近づくのはあなたぐらいですよ」
そう言ってヴィーナの頭を優しく撫でた。
アスモデウスは優しくヴィーナを自分から離した。
「椅子を用意しますね」
近くにあった椅子の残骸を使えるように直しそこに座らせた。
さらに服を出して、それに着替えるように言った。ヴィーナが吐き出す息は白かった。人形のようにもそもそと言われたままにアスモデウスに渡されたパンツと裏起毛のブーツを履いて、もこもこのポンチョを着た。
アスモデウスは辺りを見回して使えそうなテーブルをヴィーナの前に置き、お茶を淹れ始めた。
「はい、どうぞ」
暖かいお茶を渡されて、冷えた手を温めながら啜った。
「ヴィーナ?」
顔を覗き込んで声をかけると、床から視線が動きアスモデウスを見つめた。その目は、アスモデウスを見ているようでいて、アスモデウスの中の悪魔の姿を見つけるように見ていた。
「私が怖いですか?」
ヴィーナは首を振った。
「でも、怖いと顔に書いてありますよ」
「……アスモ…デウスは、怖くない」
ヴィーナがゆっくりと話し始めたので、アスモデウスも口を挟まずに次の言葉を待った。
「あんな……血が、いっぱい……。あんなのはもう見たくない……」
アスモデウスは息を吐いた。
「私はあなたに危害を加える者は殺します。たとえあなたが望んでいなくても」
ヴィーナは視線をアスモデウスから反らした。自分への視線が無くなったアスモデウスは、部屋を明るくしたり、蜘蛛の巣などの掃除を始めた。ヴィーナは、その様子を覇気のない目で見た。
「今度は……ここに住むの?」
話しかける声は小さい。
「いいえ。ここは一時的に来ただけです。ここは魔力が探知されない場所なんです」
そう言ってアスモデウスは、現在地の説明を始めた。ここは極寒の地、カウレス地方の地下施設だった。カウレス地方は雪と氷に包まれた土地で、この施設はむかし刑務所として使われていた。
カウレスの雪と氷はどういうわけか、魔力を遮断する。その地下にあるため、外部から探知されることはない。
「今回、居場所が特定されたのはおそらく私の魔力が探知されたせいでしょう」
アスモデウスはヴィーナの魔力が探知されないようにしていたが、ヴィーナを狙う者がアスモデウスと一緒にいることを逆手に取って、アスモデウスの魔力を探知して居場所を突き止めただろうと言った。
「普通、悪魔の魔力なんて探知しないんですけどねぇ。よほどの死にたがりか、または…………さて、こんなものですかね」
アスモデウスは。手についた汚れをパンパンと叩いて払って、辺りを見回す。部屋には、等間隔で明かりが灯った。さっきまでしていた異臭も消え、天井から釣り下がっていた大量の蜘蛛の巣も無くなっていた。
ヴィーナたちがいる一角の奥は真っ暗のままたったが、ただ牢屋が並んでいるだけだとアスモデウスは言った。
「応急処置はしました。ですが、ここは住むのには不便なので、私はちょっと様子を見てきます。ヴィーナはちょっとだけここで我慢してください」
「え……?」
「すぐ帰ってきますので、ちょっと待っててください」
そう言ってアスモデウスは消えた。
残されたヴィーナは、アスモデウスが消えた方向を見て、また視線を床へ落とした。眉間には皺が寄っていた。
◇
城に戻ったコンセルは自室へ行きローブを脱いだ。本棚から1冊抜き取ると、机に向かって本を見ながら紙に魔法陣や計算式を書き始めた。
コンセルがいるのは、王宮の一室。彼は王室魔術師の一人だった。魔女狩りを担当している。
オレンジ色の髪はくるくるとカーブして、彼の雰囲気を柔らかい見た目にしている。なおかつ背が低いため、ぱっと見は少年に見えるが、今年で30歳になる。
先ほどの小屋では、アスモデウス以外の魔力の痕跡を見つけることはできなかった。しかし、探知した場所に言った魔術師は、アスモデウスと女がいると通信してきた。
アスモデウスと一緒にいる女となれば、ほぼ間違いなくあの魔女であるはずだった。
「しかし、なぜ魔女の魔力が確認できなかったのか……」
書いている手を止めて考えたが、探知されないため魔法の使用をさけていたと考えるのが妥当だと思い、作業へ戻った。
彼がいま書いているのは、対悪魔魔法陣だった。アスモデウスのような強力な悪魔を封じるには普通の魔法陣では無理なため、大昔の魔法陣の資料を集めて解読を進めていた。
過去にアスモデウスは封印されていたが、その魔法陣はどの本にも載っていなかった。封印されていた遺跡の調査や関係する者への聴取でおおまかな全体像は見えていたが、完全に封じるにはまだ何かが足りない計算だった。
今回は幸運にも、現場でアスモデウスが殺した人間の一部を手に入れられたため、それを使って対アスモデウスに特化した魔法陣を作れるとコルセンは自負していた。
そこへドアをノックする音が響いた。コンセルがどうぞと言うと、髭を蓄えた中肉中背の男性が勢いよく入ってきた。
「コンセル! また逃がしたのか!」
「またとは心外ですね、ドルン大臣。前回はあなたの失態だったと思いますよ。私はアスモデウスに対応すべき警備を進言しましたが、あなたはそれを断った。その結果まんまと逃げられてしまいましたよね。大勢の民も被害にして。まあ、死者が出なかったのは不幸中の幸いでしょうか」
「うううるさい!100年以上も経って、また奴が現れるなど誰が予想できたか!」
「私は予想していました。大臣、あれは人間ではなく悪魔です。一度手に入れたものをそうやすやすと他人に手放しません」
「しかし今回は失敗だったな! 陛下もさぞがっかりするだろうよ」
「いいえ、今回は成功です。今回はアスモデウスの痕跡を手に入れることが目的でした」
「まさかそのために部下を一人犠牲にしたのか?」
「陛下も承知の上です」
「どっちが悪魔かわかったもんじゃないな。せいぜい頑張れよ」
吐き捨てるように言い、大臣は入ってきた時と同じように勢いよく出て行った。
「暇な人ですねぇ」
魔法陣を書きながら、コンセルはあきれ顔を作った。
「でも、今回はうまくいきそうだ。必ずアスモデウスを捕らえて、魔女を殺してやる」
口元には笑みがあった。
コンセルの部屋から出た大臣はドスドスと、廊下を歩き、王宮の奥にある王の執務室へ向かった。
扉の前に立っていた警備兵が敬礼するのを無視し、扉を開け、中にいた執務官に陛下に面会したいとだけ伝えた。執務官は奥へ行き、すぐに戻ってきた後、大臣を奥へ誘導した。
部屋に入るなり、顔は向けずに王が話しかけてきた。
「ドルンどうした? またお前の息子が何かやらかしたか?」
手元の書類に目を通しながら、真っ白な白髪の長髪で顔には複数の深い皺が刻まれた王からは、威厳と自信が満ち溢れていた。
「いえ、息子はあれ以来大人しくしています。それより、コンセルです。陛下はなぜ、あのような者に魔女狩りという王家の長年の夢を託されるのですか」
「コルセンが一番適任だ」
「確かに魔術に関しては多くの知識を持っていますが、いささか不気味で重大な任務を与えるのは不安があります」
「不気味か……。ドルン、私たちが相手にしているのは悪魔と魔女だ。不気味な相手に不気味な者で対抗しているのだからちょうどよいではないか。そして、コンセルなら必ず魔女狩りを成功させる。私はそう確信している」
「その根拠をお教えください」
「まあ、そのうちな」
「陛下!」
「余は忙しい。下がれ」
王にそう言われてはもうこれ以上の追及はできなかった。しぶしぶドルンは執務室から出て行った。
コルセンは、元々王宮魔術師の一人だったが、目立った経歴や実績はなかった。しかし、10年ほど前に突然魔女狩りの責任者に抜擢された。王が自らコルセンを指名したのである。
「何かあるな。気に入らん。しかも奴は悪魔というものをよく知っているような口ぶりだったな」
顎髭を触りながら、廊下で立ち止まって思案する。
「少し探りをいれてみるか」
口角を上げてドルンは再び歩き出した。