前編
※今回、菅谷奏介は落とされる方です。主人公のイメージが崩れる可能性があります。本編とは切り離してお楽しみ下さい。
ふらっと立ち寄ったスーパーにて。奏介は見覚えのある顔を見つけて、はっとした。
「あら。こんにちは」
買い物かごに大量の商品を入れてカートを押していた野竹ナナカがにっこりと笑いかけてきた。
「今帰り?」
「はい」
頷いた奏介はナナカのかいものかごに視線を向けた。
「なんだか、大荷物ですね」
「これね、全部お菓子の材料なの」
「え、自分で買い出しですか?」
「うん。ちゃんとしたものを使ってるっていう証明になるし、もう業者さんとか信用出来なくなっちゃって」
ブログ炎上時のコメント欄は中々エグいことも言われていた。トラウマになってしまっているのかも知れない。
「よかったら家まで運ぶの手伝います」
「え! ……良いの? 正直助かっちゃうな」
すっと顔を近づけられ、ドキリとする。大人の余裕を感じられる態度と笑顔。一瞬の隙も見えない。絶対に同じ立場になれない場所から優しく接してもらえる、というのは奏介にとって少しだけ特別だった。
会計を済ませ、ナナカと歩く。
「あの、お店はどうですか? お客さんの入りは」
「うん、悪くないよ。最近は材料とその賞味期限を全部ブログに載せてるからね。今はそこまでしなくてもってよく言われちゃうの」
恥ずかしそうに笑むナナカ。
「でも、やり過ぎなくらいの方がいいですよね」
「うん、自分の保身にもなるものね」
今日は定休日らしく、入り口にはカーテンがひかれていた。
「菅谷君、こっち」
裏手に周り、ナナカの自宅へ。
玄関を入ったところに大量の小麦粉が入った買い物袋を置く。
「中まで運びますか?」
「うん、ありがと」
奏介は靴を脱いで再び店の厨房へ運んだ。
「助かっちゃった。うーん、さすが男の子」
「え、俺、そこまで力ないですよ?」
「わたしやわかばよりは腕力あると思うけど」
「まぁ」
「さて、お茶入れよっか」
ローテーブルのある居間へと通される。
出されたのは紅茶といちごのショートケーキだった。焼き菓子の店のはずだが、手作り生菓子である。
「いただきます。……野竹さん、ほんとにお菓子作り好きなんですね」
フォークでケーキを切り取って、口に運ぶ。クリームの甘さがかなり控えめであっさりしている。美味しい。
「ちっちゃい頃のわかばに作ってあげてたの。そういえば、最近はどう? わかばと上手くいってる? ていうか、付き合ってどのくらいなの?」
笑顔で聞かれ、奏介は紅茶のカップを口につけたまま、固まった。
「……いや、野竹さん」
カップをソーサーに置いて、深呼吸。
「あいつとは付き合ってないです。というか、あり得ないってお互い認識してます」
真顔で言うと、ナナカがくすくすと笑う。
「そう。仲良さそうだったけど、お友達だったんだ」
「あいつに言っても俺と同じ反応しますよ」
奏介はため息混じりに言う。
「そっか、よかった」
「え?」
「ふふ、だってわたしも彼氏いないのにわかばに先越されちゃったかな? って思ったから。しかも、菅谷君みたいな頼れる人が彼氏なんて羨ましいもの」
テーブルには頬杖をつきながら笑うナナカ。彼女の笑顔に、何故か恥ずかしくなってくる。
「頼れるって、俺なんか」
「君は君自身が思ってるより、ずっと素敵だよ」
「や、止めて下さい」
何故かナナカ相手だと、とんでもなく照れる。
「ごめんごめん。でもからかってるつもりはないよ。紅茶冷めちゃうから、早めにどうぞ」
片付けをすると言って、ナナカはキッチンへ入って行った。
先日の件では大分弱っていたが、今は隙がない。
ぼんやりしながらケーキを食べていると、ナナカが自分の分を持って居間へ入ってきた。
「さてと」
「片付け終わったんですか?」
「そう。休憩タイム。いただきます」
ナナカがケーキを食べ始めたので奏介も再開する。
「野竹さん、彼氏いないんですか」
呟くように聞いてしまった。
「うん、いないよ。あ、わたしをからかおうとしてる?」
奏介は慌てる。
「いや、まさか。ただ、普通に彼氏がいそうだなって思ってたので意外でした」
「残念でした」
ナナカはそう言って、紅茶を一口。
「そういえば、わかばから聞いたんだけど、君、小学生の頃はあんまり学校がたのしくなかったの?」
「え、橋間が言ったんですか?」
初めてナナカが慌てた様子で、
「いや、話の流れでね? わたしが聞いたようなものだからわかばは悪くないよ。菅谷君、顔怖いから」
「! あ、すみません」
ナナカは苦笑い。
「こっちこそ、余計な話振っちゃったね。……でも、自分で乗り越えたんだね。凄いよ」
「……自分で、ではないです」
「ん? 誰かに、助けてもらったの?」
奏介は困ったように笑った。
「まぁ、そうですね。その人に、色々教えてもらって、自分の考え方が変わったんです。……多分、野竹さんと同じくらいの年齢です」
「そっか。年上の女の人ね」
「えっと、なんで分かるんですか。女の人って」
意識して伏せたつもりだったが。
「菅谷君の照れ具合でなんとなく。当たりなのね」
「う……」
「ふふふ。ね、また遊びに来て。お菓子ごちそうするから」
「は、はい」
ナナカの笑顔には逆らえない何かが働いているような気がした。