9 下の名前呼びはまだ早い
雷架と別れ、アメアメ本社で雨宮さんを元の姿にサクッと戻す。
まだ二回目とはいえ、この瞬間は耐え難く「惜しい」と感じてしまうものだ。
特に雨宮さんの綺麗な瞳を覆う、分厚い眼鏡をかけるとき。
これがないだけでもだいぶ違うのに。
とはいっても、訳ありそうな雨宮さんの事情に、ズケズケと土足で踏み入ることはせず、「これで元通りだな」と笑ってみせた。
本社を出たら雷架に宣言した通り、雨宮さんを自宅まで送っていく。
家と家が密集した住宅街は道路幅が狭く、横に並んでは迷惑だろうと、案内役に雨宮さんが少し前を歩いて、俺がそれについていく形になった。
雨宮さんのセミロングの髪が前方でゆらゆら揺れている。
彼女の髪は髪質自体はとんでもなく美しいし、キューティクルさは申し分ないのに、切り方が雑なせいで本当にバランスが悪い。
俺に整えさせてほしい。
さすがにプロのようには切れないが、このアンバランスさを直すことくらいは問題なくできる。
その昔、美空姉さんのヘアカットをたまにしていたのは俺だしな。
いまだにあれだけ周りにプロがいるくせに、「コウちゃんに切ってもらいたいから切って!」なんて頼んでくる。
雨宮さんの髪型も直せたら、わざわざアレンジで誤魔化さなくてもいいし、ナチュラルなヘアースタイルでよりナチュラルな雨宮さんの可愛さが生まれるはずだ。
いろんな髪型を試すのもいいが、ナチュラル可愛い雨宮さんを世間に見て欲しい。
いや見ろ。
目をかっぴらいて息を止めて見ろ。
ああ、整えたい。
「あ、あの、晴間くん……なんだか視線がくすぐったいよ」
「ん? お、おう、すまん」
どうやらガン見しすぎたらしい。
俺の方をチラッと振り返って、雨宮さんがもじもじと体を揺する。
はい可愛い。
「こ、小夏ちゃんの部活が、無事に存続できるといいね。小夏ちゃん、写真を撮るのにとっても真剣だったから、写真部がこのままなくならないで欲しいな」
話題提供だろうが、雨宮さんが雷架の部を心配しているのは本心からだろう。
こういう子なのだ、雨宮さんは。
というか……。
「雨宮さんが雷架のこと『小夏ちゃん』って呼ぶの、今さらだけど可愛いな」
「う、うん! 小夏ちゃんはお名前も本人も可愛いよね!」
いや、俺が褒めたのは雷架を親しく呼ぶ雨宮さんなのだが。
伝わってないな、これ。
「ハ、ハレくんってあだ名も可愛いかったよね。呼びやすそうで……」
「そうか? 雨宮さんもそっちの方が呼びやすかったら、適当にそう呼んでくれていいぞ?」
「う、ううん……私は『晴間くん』で慣れているから……。晴間くんの方こそ、小夏ちゃん相手みたいに、私のこと『雨宮』って呼び捨てでも大丈夫だよ……?」
「俺も雨宮さんは『雨宮さん』だからな。それか友達同士だし、下の名前で呼び合うとかもありか」
「下の名前!?」
雨宮さんは足を止めてバッと振り返る。
彼女は「そ、それはあの、晴間くんが私を、し、しししし雫って、あのっ!」と、真っ赤な顔で口を金魚のようにパクパクしている。
雨宮さんの下の名前ってそっか。
『雫』、だよな。
……いや待て、何気なく提案したつもりだったが、そう呼んでいる自分を想像したらすげえ恥ずかしくなってきたぞ。
しかも呼び合うってことは、雨宮さんに俺も下の名前で『光輝くん』と呼ばれるわけで…………無理だ無理。心臓への負荷がでかい。
俺にまで雨宮さんの顔の赤さがうつってきた。
「や、やっぱり俺たちは、今の呼び方がベストだな! 下の名前呼びはなんていうか早い、まだ早い!」
「う、うん。私もそう、思い、ます」
ふたりして赤い顔で俯く。
定期的に、雨宮さんとこういう気恥ずかしい空気になるのはなんなのだろうか。
とにかく立ち止まっていないで、早く行こうと雨宮さんを促しかけた時だ。
ブォンブォンと背後から激しいエンジンの音がする。
こんなスピード減速が基本な狭い道を、でかいバイクがすごい速さで通り抜けようとしていた。
「ーー雨宮さん! 危ない!」





